LOT・6
警告:LOT6には残酷な描写が含まれています。ご注意ください。
童話に登場する様な可愛らしいデザインの小城がそこにはあった。
場所は、エカテリンブルク州・中央区四十八番地の三十三番。
近くには、地味で簡素な一般の木造住宅群しか無く、そんな中に屹立するレンガ塀で囲われた小城は、夜になった今の時間帯でも目立つ事この上無い。
横幅が三十五メートルに及ぶその建物は、長方体の母屋に引っつく形で建設された三角屋根の円筒形の多塔が第一印象としてよく残るだろう。
七棟。それが円筒形の塔の数だ。
小城の壁は、漆喰により塗り固められた複数の石材とレンガで構成され、その出来映えは壮観という言葉がよく似合う。
城の側には、二頭立ての黒い箱形馬車が十三台停められていて、敷地内に広がる切り揃えられた芝生を馬車馬が蹄鉄越しに踏んでいる。
厩舎は西にあるのに、外に駐車している馬車が多いのは、厩舎の中が現在満車であるからだ。
———城の玄関前には、配備されている黒服の五人の警備員とは別に、三人の子供がいた。
一人は、深紅のイブニングドレスを纏ったオレンジ髪の美少女で、
もう一人は、黒のタキシードを着用した藍髪の美少年で、
最後の一人は、藍髪の美少年と同じ服に袖を通したブロンドの少年だった。
「ミラージオくん。タキシードなかなか似合ってるじゃない。まああなたには、可憐なドレスの方がもっと似合うのが事実ではあるけれど」
小悪魔的なクスクス笑いと気軽な笑顔を浮かべるオレンジ髪の美少女から、その言葉は響いてきた。
その相手を舐めた発言に対して、聞き手である美少女の容姿を持った少年は、機嫌の悪い表情を露骨に出す。
「ボクがこの世で一番不愉快に思うのは、そのふざけた事実だ」
「まあ安心して。あなたにドレスを奨めて渡せば、引き千切られて暖炉行きは決定だから、わたしは決して奨めない」
「そうしてくれるとありがたいよ。……で、なんでキミまでいるワケ? 赤釣り針クン」
アレイダとミラージオの視線が、その場にいるもう一人の人物に注がれた。
その人物は、廃墟の教会を根城にしているジェニクス・ファイヴだった。
「あ? 招待されたからに決まってんでしょうが。何の不思議もねェ。オレも伯爵家の人間ですから」
苛ついた表情のジェニクスは、黒いタキシードの内ポケットから、一枚の白い紙封筒の招待状を振って示す。封筒の赤い封蝋は、真っ二つに裂かれていた。
「騒ぎ、起こすなよ。赤釣り針クン。こんな所でキミの能力を発揮されたらメイワクだ」
「さァ、それは確約できませんねえ。貴方だって何らかの要因で罵詈雑言を浴びせられたら、思わず……ってコトもありやがるでしょう? つーか、感情に全てを任せて理性をぶち殺すのも、なかなかどうして最高なんですよ? オススメデス」
「それはまあ一理あるが、舞踏会が台無しになったら、ラヴィがどんな報復をしてくるか分かったモノじゃないだろう?」
ミラージオの正論に、ジェニクスはわざとらしく肩を竦めて首を二回横に振った。
そして、ラヴィの明るい笑顔とは性質の異なる嘲笑の様な笑顔を作り出す。
それは、サーカスを盛り上げる道化師の笑顔に良く似ていた。
「分かりますよ。そういう場合、ラヴィニア・エインズレイがどういう行動に訴えかけるかくらい簡単に頭に浮かびます」
「フウン。じゃあ教えてくれよ。キミの頭に浮かんだ仮想未来を。怒り狂って原因となった人間を半殺しにするとか? 静かな憤怒を抱きながら敢えて何もしないとか? 次に行われる他者が主宰する舞踏会に八つ当たりするとか? それとも、顔を泣き腫らして舞踏会を二度としない事を誓うとか?」
「……何でわかんねェんですか? 彼女なら報復を考える前に、その状況を笑い飛ばしますよ。良い意味でも悪い意味でもね。……あの女だけはどうにも苦手です。このオレをこんな所に招待するという意図も掴めねェ」
ラヴィとジェニクスは、友人では無い。
ただの一度も会話を交わした事は無いし、どちらか片方がもう片方に対して、異性として恋愛感情を抱いている片鱗すら見られない。
だがラヴィの方は、会話もした事の無いクラスメイト・ジェニクスの事を『ジェニーくん』と愛称で呼び、彼をよく知っているかの様に話す事がブラックミント伯の別邸でも見受けられた。
不思議な話だが、そういう関係もこの当選の国にはあるという事だ。
彼らに限った話でも無い。
もしかしたら、シフォンやミラージオ、アレイダも似た様な関係を、誰かと結んでいるのかもしれない。
「そんなどうでもいい話よりも早く行きましょうよ。ラヴィ、ずっと待ってるんじゃないかしら?」
そう言ったアレイダは、自分のドレスの裾を両手で少し持ち上げながら、ドレスと同色のハイヒールの靴音を軽やかに鳴らして、城内へと歩いて行く。
「ドウデモイイハナシ? 相変わらずアレイダ・ブラックミントはナメた発言が目立つ」
「キミって本当神経質なんだね。実はキレイ好きとかなんじゃないの?」
「綺麗な物は好きですよ。ほら、オレの視線の向こう側に綺麗な物がいやがるでしょう? オレはアレが大好きです」
ジェニクスが、徐にすっと前を指差した。
彼の瞳は、その方向を向いている。
そこには、深紅色のイブニングドレスがよく似合うオレンジ髪の可愛い少女の姿があった。
アレイダだ。
玄関の中で、黒服を着た舞踏会の案内係と会話をしている彼女の後ろ姿が見える。
「は?」
ミラージオの体が固まった。
目を見張って大口を開けたまま、その一言を最後に絶句していた。
まるで、世界の不思議を目の当たりにした学者の様に大いに驚いていた。
「さて、行きますか。ま、告げ口したかったらご自由に」
大告白を果たしたジェニクスは、薄水色の革靴で歩を刻みながら、アレイダの後に続く。
彼の表情には、恥ずかしさや告白の後悔は微塵も感じられなかった。
そもそも告白というものは、好きな相手に対して切り出すのが普通なはずだ。
仲の悪い相手にわざわざ好きな女の子を教えるジェニクスの真意は、まさしく理解不能だった。
「……なんで、アレイダを? ナメた発言がどうとか言っていたのに……。喧嘩無双の自分に対して対等に接してくれるトコが好きとか?」
ミラージオは、先行くジェニクスの姿を見つめながら、誰かに向かって言う訳でも無く、そう呟いた。
「でも、アレイダって異性に興味を持ってても、恋愛感情を抱いたコトは全くないって言ってたから、赤釣り針クンは今のトコ、脈無しだね」
ミラージオは残酷な言葉を吐きながら、ジェニクスの姿を追った。
「シフォンも来られればよかったんだけどな……」
シフォンは、現在三番地の四十五番の外科病院で療養中だ。
彼女が入院してからもう二日経っている。
火傷の大穴は入院日の夜に完治したらしいが、術後の経過を見るという事で、完治後一週間は病院の中らしい。
つまり、五日後の緑曜日には、シフォンは晴れて退院だ。
ミラージオが今日も面会に行くと、松葉杖を突く事も無く、普段に近い院内生活を送っている様子が見られた。
おそらくミラージオの彼女に対する不安も大分取り除かれた事だろう。
玄関の中に入ったミラージオは、城内の様子を見渡した。
「初めて来たな。ラヴィの自宅」
ミラージオの視線の先には、神話に登場する神々の暮らしが描かれた大きな天井が圧倒的な存在感を漂わせて広がっていた。
布を開放的に纏ってほとんど半裸状態でいる絵画上の神々たちは、『絵に意思を持たせる』当選者さえいれば、今にもミラージオに話しかけてきそうな程、写実的に細部まで見事に表現されていた。
三十人に達する人間の姿をした神々たちの偉容に、ミラージオは開いた口が塞がらなかった。
「こういうモノは初めて見たね」
次に、彼は天井絵画の真下にある三十五段の階段を眺めた。
階段の欄干は全て純金で造られていて、柵の間には洒落た渦巻き模様が細工されている。
大理石の段には、群青色のウールの絨毯がシワ一つ無く広がり、それは階下の廊下にまで届いていた。
ミラージオが階段の装飾を眺めていると、古城の壁際で男女のペアの応対をしているダークスーツの案内係の視線が彼に向けられた。
すると、ダークスーツの案内人が、男女ペアとの会話をそうそうに終わらせ、ミラージオの元へと歩いてくる。
「?」
ミラージオの側までたどり着いた彼は、「装飾に興味がおありでしたら、この城のベストスポットを案内致しましょうか」と親切に言った。
しかし、ミラージオは特にそこまで関心が無いらしく、丁寧に断って、二階へと向かう為にチェス柄の床を蹴り、階段を上り出す。
程無くして上階の床を踏み締めた彼は、開放された大扉の中で催されている舞踏会の姿を見渡した。
会場になっている大広間は、黒のタキシード・黒の燕尾服・様々な彩色のイブニングドレスに身を包んだ三十人の貴族や従者の招待客たちで溢れ返っている。その中には、新月の夜に当選報告を受けた当選者も混じっているのかもしれない。
いや、ミラージオたちを含めれば確定か。
部屋の四方には、大型の蓄音機が設置され、早く音色を奏でたいと舞踏の開始を待っている。中央に準備されたパールピンクのグランドピアノの座席には、まだ誰も座っていない。
会場を眺めていたミラージオは、壁際にいるジェニクスとアレイダの姿を瞳に捉えた。
「———遅ェですよ。美少女くん」
乱暴な敬語が、ミラージオの眼前から軽やかに響く。
その言葉には、幼児でも分かる皮肉があからさまに込められていた。
「黙れ、赤釣り針。……どうやらダンスはまだ始まっていないみたいだね」
ジェニクスからの悪口に、ミラージオは顔をしかめた。
「もうすぐ始まるみたいよ。招待状には、十九時から円舞曲を演奏するみたいだから」
「ラヴィは?」
「それが見当たらないのよ。一体、どこにいるのかしら?」
すると、純黒の燕尾服を着た若い青年が大広間の奥の扉が現れた。
彼は、カツカツ、と軽い足音を刻みながら、中央のグランドピアノへと近付いていく。
その足は、三十五歩目でグランドピアノの座席の元に辿り着いた。
彼に気付いた貴族たちが、一斉に談笑を止めた。
燕尾服の青年を見ていたミラージオは、胸ポケットにあった藍色の懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
———十八時五八分四九秒———。
直に円舞曲の時間だ。
秒針は十九時ジャストに向けて、針音を軽快に刻んでいく。
貴族たちの男女がペアを組み、大広間のスペースを確保し出す。
アレイダが右手で、ダンスが苦手なミラージオの左手を強く引いて、中央の方に向かおうとした。
その時、異変が起こった。
「——————ッ?」
突如、ミラージオの両瞳に暗赤色の雄の獅子が映り込んだのだ。
威圧感を与える切れ長の鋭い瞳に、首から肩口にかけて伸びる幾本もの鬣、鬣から覗く半円の大きな耳、重々しい雰囲気を漂わせた対の上顎と下顎。
その外見に加えて、喉を鳴らす重厚な音が周りの空気を叩いていた。
この場にいないはずの猛獣の存在に、ミラージオは目を剥く。
その驚いた顔は、尋常では無かった。
「な」
グランドピアノの上に重い体を乗せた獅子は、ミラージオの姿を見ていた。
その獣と、ミラージオの視線が重なる。
「ラ……ライ、オン?」
ピアノの座席の前で屹立していた燕尾服の青年は、あまりの事態にへたり込んだ。
獅子は、そんな人間の様を強者として傲然と見下す。
そして、断末魔の様な悲鳴が木霊した。
「キャァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「なっ……どこから現れた!? あんな猛獣!」
「州都警察本部に連絡をしろ! 城の周回に配備してる警備員を連れて来い! 全員当選者だ。対処できる!」
獅子の姿を認識した招待客たちは、大声を上げながら、事態に驚愕する。
彼らの大半が、すぐさま開放されている大扉を目指し、凄まじい速度で逃げ出した。
人の大波が生まれ、幾千もの足音が大広間全体へと乱暴に響き渡る。
その場に残ったのは、ミラージオとアレイダとジェニクス、招待客と同じ格好をしていたエインズレイ家の使用人の八人だった、
「オマエ、その体毛。双子殺しと同じ……」
ミラージオが目の前の彩色を見つめ、声を出した。
すると、ピアノの上の獅子が重い口を開いた。
「そうだ。私は双子殺しだ」
十六の瞳が言葉の主を睨みつける。
言葉の主である双子殺しは、その中の二つの瞳を銃弾の狙いを定める様に見返した。
その形相は、小動物なら一瞥されただけで瞬間死してしまいそうなほど悍しい。
「アレイダ・ブラックミントを差し出せ。彼女の命は、ここで、摘む」
死を予感させる言葉は、名指しされた彼女の元へと無慈悲に響いた。
「…………私を、殺、す?」
アレイダは、殺意が凝縮された言葉に対して、不安な顔色を浮かべる。
「何だと……」
アレイダの西隣にいるミラージオは、その言葉に柳眉を逆立てた。
すると、獅子の姿の双子殺しは、自分の視線をアレイダからミラージオに移す。
「……これで会うのは三度目だな。一度目は、情けなくも当選協会に守ってもらい、二度目は、無様にもこの私に敗走を見せた」
「激安の挑発だね。その協会に勝てなかったのは誰なのか、よく考えてみなよ」
ミラージオは、殺人鬼・双子殺しを相手に堂々とした態度を見せる。
「……アレイダを差し出せ、とはどういうイミだ?」
「言葉通りだ。何ならここで君の手によって彼女を殺してもらっても私の目的は果たされるんだが、君は友人だろう? だから君の心を慮り最大限の譲歩として、私に寄越して欲しいと言っているのだ」
双子殺しの獅子は、ミラージオの質問に穏やかな口調で答えた。
だが、その内容は明らかに常軌を逸している。
「フザけた寝言だね。殺人鬼に友達を易々渡すものか」
ミラージオの怒気を含んだ話し方は、会場の緊張の色を更に濃くした。
「抵抗するのか? しかし、狼状態で苦戦した貴様が、獅子状態の私と渡り合えるのか?」
「……随分、自信があるようだね」
ミラージオは、両手の手刀を外に向けて構え、臨戦態勢を取る。
しかし、そこで一つの声が響いた。
「やれやれ、貴方が双子殺しですか?」
ジェニクスの声だった。彼は、ミラージオと双子殺しの中間の場所にゆったりと割って入る。
「州都警察本部が公布している手配書の姿と比べると、色しか合ってませんね。ま、たしか変身の当選者って報道もあったな。だったら別の人物に化けて暗殺すればいいものを。それほど精密には能力を扱いきれていないって所か?」
「……ジェニクス・ファイヴ、か。何のつもりだ? 人殺しの私が怖くはないのか?」
双子殺しの声が響くと、ジェニクスは嘲笑に似た笑顔を作った。
「ははッ、そりゃ怖いですよォ。なんせ貴方は本物の殺人鬼ですから。正直貴方に面と向かう心構えも万全では無い」
「情けないな。ならば逃げ帰れ。恐怖で心が潰れない内にな」
逃走を促す声。ここでその通りにすれば、命だけは助かるかもしれない。
だが、ジェニクスは踵を返さなかった。
「そういう訳にもいきやがらねェんですよ。貴方がやろうとしている事は、オレにとって都合が悪いんです。だから、ここで貴方はオレの【振子遊び(メトロノーム)】を体感する事になりました」
強気な台詞を放ちながら、彼は、ピアノの上の双子殺しに一歩一歩肉薄していく。
「おい、ミラージオくん。アレイダを連れてこの小城を脱出しやがりなさい。こいつはオレが仕留めます」
「……………………」
ミラージオは、ジェニクスの背中越しの覚悟を聞いて、真剣な表情で押し黙った。
そして、両手の手刀を解くと、自身の東隣にいるアレイダの右手を、今度は自分から左手で固く掴んだ。
大火傷によって苦しむシフォンの手を握った時の様に。
「……アレイダ、行くよ」
「え、あの、でも……ファイヴくんは……」
「大丈夫だよ。アイツはボクやシフォンよりも強い」
アレイダの手を握った彼は、そのまま一足先に逃走した貴族たちを追い、開放された大扉へと駆け出す。
走る中、アレイダは後ろにいるジェニクスの姿を心配そうに振り返った。
「行かせない」
暗赤色の獅子は、ピアノの上から大きく跳躍し、逃亡する二人の背中へと容赦無く襲いかかった。
空中を舞うその捕食者は、醜悪に嗤っていた。
しかし、
「止めやがってくださいよ。そんな怖ェ顔」
そこに横から割り込んだジェニクスが、右手に握ったある物で双子殺しの攻撃を打ち払う。
そのある物とは、二十センチほどの長さの尖った細い指揮棒だった。
彼は、袖から出した赤い金属製の指揮棒一本で、双子殺しの右腕の爪撃を食い止めたのだ。
「なん、だと……」
普通はそんな使い方をすれば、か弱い指揮棒など一撃でへし折れるはずだった。
だが、ジェニクスが握る指揮棒は、曲がるどころか、傷一つ負っていない。
「たかが棒一本で、私の攻撃を……」
「そうそう。その戸惑った顔で良いんです。貴方にはそれが一番似合ってやがりますよ」
棒撃を受けた双子殺しは、そのままジェニクスの三メートル前方へと後ろ脚で華麗に着地する。
「さすがだ」
ミラージオが、ジェニクスの棒捌きを褒めた。
彼とアレイダは、ジェニクスの助力により大扉から外に出る事に成功する。
「さて、演奏開始ですよ。【振子遊び】の独奏曲をせいぜい堪能しやがりなさい」
覇気のある言葉。ジェニクスが青染めの床を強く蹴る。
———その瞬間、彼の体が今までいた場所から唐突に消え失せた。
「!?」
すると、その現象を引き金にする様に、双子殺しの全身が硬直して動かなくなる。
何らかの能力が作用したらしい。
「トリアエズ十五小節までどうぞ」
言葉と同時に肉を突き破る音が響き、双子殺しの体に刺し傷が十五ヶ所生まれ、無数の流血が宙へと迸った。
圧倒的な正体不明の攻撃に対して、崩れ落ちる獅子の肢体。
「な……に……?」
いつの間にかジェニクスの姿は元の位置に戻り、持っている指揮棒から赤い液体の雫が滴り落ちていく。
「……だからこれで十五小節———十五撃、貴方に食らわせたんですよ。あまりに早すぎて認識できませんでしたか?」
彼は、持っている赤染めの指揮棒を気軽に示す。
「……ッ……ゴガ……今のが、貴様の振子遊びか。当選者の名簿通り……の能力だな。指揮棒を操るのは……記されていなかったが……」
覚束ない口調で、双子殺しはなんとか言葉を紡いだ。
「へえ、調査済みとは……。勤勉じゃねェですか」
そう言ったジェニクスは、右手の指揮棒を勢い良く水平に払って、付着した双子殺しの血を振り落とす。
舞踏会場の壁に、払った血が飛び散り、生々しい痕が残った。
「振子遊びは、たしかリズムを……自在に操る能力。今のは、能力を使って……私に十五回攻撃を当てるまでの時間を……まるごと『省略』したのだろう? 『省略』された時間は……それこそ一瞬にま……で薄まる。大した能力だ」
「仰る通りですよ。まァ、この力は時間の『省略』だけでなく、『延長』・『停止』なんかも可能ですがね。残念ながら、『逆行』は実力不足でまだできませんが……」
時間のリズムを掌握する能力。
人間や当選者が時を生きている以上、インコンプリートではあるがそんな能力を相手にすれば、すぐに心臓を突き刺されてまさしく一瞬で即死するだろう。
しかし、ジェニクスはそれをしなかった。
指揮棒で双子殺しの体を刺しこそしたが、心臓、あるいは脳目がけての攻撃はしなかった。
何か情報を引き出すまで殺さないつもりか。
もしかしたら、血を流させるほどの攻撃を行っていても、内心、命を奪う事に抵抗があるのか。
本当の所は、本人にしか分からない。
「……なぜその棒は、さっきの攻撃で……折れなかった?」
双子殺しの青い瞳が、ジェニクスの指揮棒に注目していた。
「これは『ある特別な金属』でできてやがるんですよ。金よりも金剛石よりも強く硬い。過去にある当選者が創造の能力で拵えた一品でしてね。オレの実家———ファイヴ伯爵家が何代か前に購入しやがったんですよ。それを勝手に奪って、勝手に使ってるんです」
「……そうか。……能力格差が……起きていないという事は……、貴様の実力は私と同等か。それ以上と言う事か?」
「……ノウリョク……カクサ? ……なんですか、それ? 知らないワードですね。初めて聞きました」
ジェニクスは、わざとらしく首を傾げる。
それに対して、引きつった双子殺しの顔の眉間に、重なり合う深いシワが生まれた。
どうやら、ジェニクスは四日前のシフォンたちの様に、能力格差の事を知らないみたいだ。
「……まあ、気が向いたら後で調べておきましょうか」
ジェニクスが、血色に染め上げられた指揮棒を悠々と相手に向けた。
「それにしてもなんですか? 殺人鬼のレベルってこの程度なんですか? 美少女くんと金髪サイドテールは貴方みてェなヤツに苦戦しやがったんですか。まったくオレが思っている以上に彼らは弱かったみてェですね。酷く残念です」
指揮棒の先で満身創痍になっている獣は、止まらない血を滴らせながら、四本の脚で何とか立ち続けている。
「……随分言ってくれる。だが、たしかに獅子状態では貴様には勝てんようだ。獅子状態のままだったらな」
「? 何か他に手でも?」
怪訝な表情をしながら、ジェニクスは前にいる敵から目を離さない。
今にも倒れそうな双子殺しの顔には、なぜか余裕の表情が浮かんでいる。
「本来の状態に還るのだよ」
すると、双子殺しの体に異変が起こった。
突然、体全体を包み込んでいた暗赤色の体毛が空気に溶け消え、王者の貫禄を感じさせる雄々しい鬣もそれを追う様に消え去っていくのだ。
さらに、顔の輪郭から尻尾の先に至るまで———獅子の形を成していた全ての体の部位が、泡立ちながら人の姿へと変貌を始める。
そして、ジェニクスの攻撃によって、周囲に飛び散っていた血痕と、傷口から流れる血が、まるで振子遊びが時間を巻き戻したかの様に、変身する体へと急激に吸収されていった。
「私の能力の本領を発揮するには、本来の姿に還る必要があるからな」
変貌する双子殺しの作りかけの口から、声が響いた。
ジェニクスは、その悍しい状況に対してたじろぐ様に左足を一歩退く。
「—————————ッな」
彼の口から、その一言が漏れる。
一撃も浴びていないはずの体は強張り、左頬から玉粒の汗が一筋流れた。