第7話 忍、厨房に降臨す 〜特別顧問(幼児)爆誕〜
アレックスから「安全を条件に」厨房への立ち入り許可を得た忍は、
ビンセントの案内で地下の巨大な厨房へ向かった。
そこにいたのは、筋骨隆々の大男――料理長ボリスだ。
「……アレックス様がおっしゃった“小さなお客様”とは、お前のことか?」
普通の子供なら泣き出すほどの威圧感。
だが忍の背後には “不味い飯への怒り”という最強の守護霊 がついている。
「お客様じゃなくて、今日からここで腕を振るう忍だよ。よろしく、料理長。
……さっそくだけど、なんであんなにも“味のないオムレツ”が作れるのか、教えてくれる?」
「味がない……だと!?
素材の純粋な風味を活かすのが、王都の最先端だぞ!」
「それ、“活かしてる”んじゃなくて“放置してる”って言うんだよ。
――いいから、コンロ貸して」
忍は踏み台を持ってこさせ、手際よくフライパンを熱した。
魔力を帯びた最高級の卵とバター。
棚の隅で誰にも使われず放置されていた「塩」と「乾燥ハーブ」、そして黒コショウの粒。
「いい? これが“味をつける”ってことだよ」
忍の小さな手が魔法のように動く。
卵が弾ける音、バターが焦げる芳醇な香り。
これまでの厨房には存在しなかった“刺激的な匂い”が広がり、
料理人たちの手が次々と止まった。
忍が作り上げたのは、
表面は張りがあり、中はとろりとした 焦がしバターのハーブオムレツ。
「……食べてみて」
半信半疑でボリスが一口。
その瞬間、岩のような顔が劇的に変化した。
「……っ!!なんてことだ……舌の上で、卵が、バターが……歌っている……!」
「オムレツが歌ったら怖いけど……まあ、これが本当の“美味しい”だよ」
「小僧……いや、忍!お前、この“塩の配合”と“火を入れるタイミング”、どうやった!?この黒い粉を、こんな風に使うなんて考えもしなかった!」
「これは、僕のじいちゃんが教えてくれた“食への執念”だよ。じゃあ次、ケチャップ作るから」
忍は鍋に裏ごししたトマト、すり下ろしたにんにくと玉ねぎ、ビネガー、ローリエのような葉を入れて煮込んでいく。
塩も砂糖も貴重品らしく、小さなカップに盛られて渡されたときのボリスの顔は、絶望と羨望で歪んでいた。
(あんな食べられもしない悪魔の実に塩を使う?ましてや貴重な砂糖をあんなに……)
水分が飛び、とろりとした赤いソースになったところで火から下ろす。
「できた〜っ! 簡単自家製トマトケチャップ!さて、次はマヨネーズ〜。じいちゃん、教えが役立ってるよ」
料理人たちは遠巻きに見ていたが、好奇心を抑えきれず声をかけてきた。
「トマトケチャラップ? マヨズーズ?」
「料理をもっと美味しく食べるための調味料だよ。人気洋食店の料理人だったおじいちゃん直伝。あ、味見する?」
忍がスプーンを差し出す。
ボリスが恐る恐る口に入れた瞬間、目を見開いた。
「あの悪魔の実が……こんなに旨くなるのか」
「悪魔の実って、トマトのこと?」
「トマト? そういう名なのか。俺たちは悪魔の実と呼んでいる。口が萎むほど酸っぱいし、割ると中からぐちゃっとしたものが出てくるからな。食べようなんて思うやつはいねぇ」
「……損してるね、この世界」
忍はにやりと笑い、次の工程へ。
「マヨ作ったら……ふふふ。お昼はハンバーガー、フライドポテト、ナポリタン……ぐふふっ」
「ハンバ? フラポ? ポリタン?」
「手伝ってくれたら、異世界料理をごちそうするけど?」
「何をすればいい?」
調理人としてボリスは食い気味に身を乗り出した。
卵黄、ビネガー、塩を混ぜた器に、植物油を少しずつ加え、ボリスにかき混ぜてもらう。
やがて、もったりとした乳白色のクリーム状になった。
忍が味見し、ボリスにも促す。
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
「これは、何というんだ?」
「マ・ヨ・ネ・ー・ズ」
「トマトケチャラップといい、このマヨネーズといい……すごいな」
「ケチャラップ……まあ、いいか。それより、ここからが本番だから」
忍の言葉に、ボリスの目がギラリと光った。
大きな手を差し出す。
「俺はボリスだ。よろしくな」
「こっちこそ」
忍が小さな手で握り返すと、ボリスはそのまま忍を軽々と抱き上げ、豪快に笑った。
「面白い!忍、いや、忍先生、先生はこの厨房の“特別顧問”だ!野郎ども、忍先生の指示に従え!今日からこの城の飯は変わるぞ!」
「「「おぉぉー!!」」」
執務室で書類に目を通していたアレックスは、
地下から響く歓声に手を止めた。
「……また何かあったのか?」
ビンセントが静かに答える。
「忍様がいらっしゃる厨房からのようでございます」
「厨房から……?」
忍はまだ幼い身体だ。
危険がないか気になり、アレックスは立ち上がった。
階段を降りる途中、香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐる。
(……これは、何の匂いだ?この城では嗅いだことがない……)
胸の奥がざわつく。
厨房の扉を開けると、踏み台の上でフライパンを振るう忍の姿が目に飛び込んできた。
小さな背中。
真剣な横顔。
料理人たちに囲まれ、中心に立つその姿は――
(……光っているように見えるのは、気のせいか?)
ボリスが忍を抱き上げ、豪快に笑う。
「忍、いや、忍先生、先生はこの厨房の“特別顧問”だ!」
「「「おぉぉー!!」」」
アレックスはその光景を黙って見つめた。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(……この子は、どこへ行っても人を惹きつけるのだな)
そして、ふと気づく。
(私は……なぜ、こんなにも安心している?なぜ、こんなにも……嬉しい?)
そのとき、忍がこちらに気づき、ぱっと笑顔を向けた。
「アレックスさん! 見て! ケチャップにマヨネーズができたよ!」
その笑顔に、アレックスの心臓が一瞬だけ跳ねた。
(……なんだ。この子に、私は保護者のはず……)
言葉にならない感情が胸に広がる。
アレックスはそっと視線を逸らした。
「……そうか。怪我がないなら、それでいい」
だが、耳まで赤くなっていることに、忍も料理人たちも気づいていなかった。




