第5話 料理が心を折りにくるんです
クリスティナとアレックスを残し、ビンセントは忍をサロンからステート・ダイニングルームへ案内した。
左右対称を意識した広い空間。
天井には立派なシャンデリア、奥には大理石の暖炉。
家具やカーテンは淡いブルーグリーンを基調に、ゴールドのアクセントが上品に効いている。
忍は思わず息を呑んだ。
(うちの母は外資系企業の部長、父は華道の師範だけど……生活は中の上だし、あの人たちと比べたら庶民代表。そんな僕には、この空間は無理〜っ。汚したら一生タダ働きコースだよ。“近寄りたくない場所ランキング”堂々の一位だわ、ここ)
場違い感に震えていると、遅れてアレックスたちが入ってきた。
「待たせてすまない」
「いえ」
「さて、いただこうか」
クリスティナが慣れた様子で席につく。
「昨夜は食事もせずにいたからね。空腹だろう?」
(それ聞きます? 昨日の昼からほぼ何も食べてませんけど?今なら牛一頭いけますけど?育ち盛りの食欲を甘く見ると痛い目みますよ、ダンナ)
言いたいことは山ほどあるが、
心象を悪くして食べさせてもらえなかったら最悪なので黙る。
「はい」
「では、食べよう。今後の話は食後にしよう」
アレックスが席につき、忍も恐る恐る椅子に座った。
(よ、よし、いいか、忍、汚さず、壊さず、傷つけずだぞ……)
汚さず、壊さず、傷つけずと心の中で呪文のように唱える。
パン、スープ、サラダ、卵料理が並んでいた。
美味しそうな匂いがする。
(いや、絶対美味しいだろう、これ)
わくわくと忍は手を合わせた。
「いただきます」
パンをちぎって口に入れる。
焼き立てなのか、ほんのり温かい。
小麦の香りと優しい甘さが広がる。
(染みわたる〜)
ご機嫌でスープを口に運んだ瞬間――
(……!?)
眉間に皺が寄る。
次に卵料理。
ふわふわのとろとろオムレツを一口。
(…………)
濃厚な素材の味が広がる。
そう、素材の味だけが。
塩味も香辛料もない。
ただの“卵そのもの”。
忍は祖母の言葉を思い出した。
「海外に行くときは、マイケチャップ、マイマヨネーズ、マイ醤油は必需品!忘れて地獄、食事鬱! あれは立派な労災だわよ」
そして、祖母が祖父にプロポーズした理由も思い出す。
祖母は海外赴任で食事鬱になりかけていた時、帰国直後に祖父の料理を食べて衝撃を受けたらしい。
(この料理を作った人を逃したら、人生終わる)
そう確信した祖母は、
カウンターの奥でフライパンを振る祖父を見つけるなり、鬼気迫る勢いでこう言ったという。
「あなたの料理に恋をしました。毎日ごはん作ってください!」
ちなみに祖父は
「えっ、初対面ですよね?」
と困惑したらしいが、祖母の勢いに押されて結婚した。
まぁ、結果的に祖父は幸せだったので、誰も損していない。
(ばあちゃん……あの時は大袈裟だと思ってごめん。今なら分かる。分かりすぎるほど分かる……!)
しかし――
(不味いは罪悪)
(料理人の舌の細胞は死滅してるの?)
(病人食よりマズいぞ、これ!)
そんなこと、口が裂けても言えない。
アレックスもクリスティナも普通に食べている。
(これがこの世界の一般的な味……?帰れないことより絶望しそう……)
忍は心の中でむせび泣きながら、
“薬だ、漢方だ、薬膳だ”と自分に言い聞かせ、一心不乱に流し込んだ。




