第3話 幼児の現実と、守護者の溜息
カーテンの隙間から差し込む陽の光に、忍は眉をしかめた。
寝返りをうち、布団の中に潜り込む。
血圧が低いせいで、朝はいつも苦手だ。
「……ううんっ……」
(家のベッドって、こんなにふかふかだったっけ?なんか忘れてる気が……それに、異様にお腹空いてるし)
ぼんやりした頭で、もう少し寝ようと布団にしがみついていると、
夢の国へ落ちる寸前にドアがノックされた。
「忍様、お目覚めでいらっしゃいますか」
その声に、忍の眠気は吹き飛んだ。
(思い出した!ここ、異世界だった!!)
「は、はい。起きました(いま完全に)」
「旦那様がご朝食をご一緒にと申されておりますが、いかがでしょうか」
「すぐに行きます!」
ベッドから飛び出そうとした瞬間、違和感 が走る。
忍はまず、自分の身体が異様に軽いことに気づいた。
――軽い、というより、頼りない。
手を握ろうとすると、指は短く、力が入らない。起き上がろうとしても、腹筋が仕事を放棄している。
喉が渇いている。胃の奥が、じわりと空虚だ。
昨日から、まともに食べていない。
いや、正確には――お菓子は食べたが、ちゃんとした食事はほとんど口にしていないからなと思う。
(……あれ?なんか、また縮んだ気が……)
いつの間にか子どもサイズの服に着替えさせられていたが、
その服ですら袖も裾も余っている。
仕方なく袖口を折り返し、少し大きめの靴を履いて歩き出す。
人を待たせてはいけないと、ちょこちょこ急ぐ。
だが、ドアノブに手を伸ばすと――届かない。
(……届かないだと?)
飛びつけば触れるが、回す力が足りない。
ガチャガチャと音だけが虚しく響く。
外から訝しげな声がした。
「どうされましたか」
「す、すみません。ドアノブに手が届かなくて……開けられないんです」
情けない声が出た。
「……失礼します」
カチャリとドアが開き、昨日会った初老の男性――ビンセントと目が合った。
「……卒爾ながら、貴方様は忍様でいらっしゃいますか」
「はい」
忍の返事を聞いた瞬間、ビンセントは固まり、
次の瞬間には「お部屋にいてください」とだけ言い残し、
足音も荒く走り去った。
「え、えっ、ちょっと、待って……!」
◆
その後の騒ぎを思い出し、忍は遠い目をした。
ビンセントは、主人の生死にも動じない男だと聞いていた。
その男が真っ青な顔で廊下を走り、アレックスの元へ飛び込んだらしい。
眉をひそめたアレックスも報告を聞くなり、
五分も経たずに忍の部屋へ駆けつけた。
忍を見るなり、アレックスは目を丸くし――
「クリスティナ様! おばば様を呼べ! 今すぐだ!!」
と怒鳴り、忍を抱き上げた。
「だ、大丈夫だ、忍。心配はいらない」
(いや、目の前でそんな慌て方されて“心配いらない”は無理でしょ……!)
忍はごくりと唾を飲み、恐る恐る尋ねた。
「ど、どうしたの?僕、何か変になってる?顔だけ化け物になってるとか……」
「いや、そういう類ではないが……説明が難しい……」
「アレックス様、姿見をお持ちしましょうか。説明より、ご自身で見ていただく方がよろしいかと」
「そうだな。誰か、姿見を」
ビンセントの指示で、大きな姿見が運び込まれた。
映ったのは、アレックスの膝に抱かれた忍――
だが、その姿が問題だった。
忍は目を凝らした。
そこにいたのは、
幼稚園の年長か、小学校入学前くらいの自分。
(化け物じゃないけど……これ、安心していいやつじゃない。
このままいくと赤ちゃんまで戻るんじゃ……?いや、赤ちゃんならまだしも、
その前の胎児まで戻ったら……それ絶対ヤバい!!)
いくら能天気な忍でも、さすがに青ざめた。
アレックスは困惑し、言葉を探していた。
そのとき、部屋の外から掠れた声がした。
「やれやれ、この年寄りを急がすとは……年寄りへの虐待じゃな」
入ってきたのは、ブルーグレイのフード付きマントを纏った、矍鑠とした老婆だった。
白髪を後ろにまとめた上品な老婆は、忍を見るなり目を細めた。
「おや、領主殿。いつの間に後継ぎをお作りになられた?
奥方様はどこじゃ? この子を見るに、さぞ美麗な方であろうな」
アレックスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「クリスティナ様、そうではありません」
「わかっておる。そなたが婚姻前に子を成すとは思わん。
和ませるための冗談じゃ」
「かようなときに……」
「かようなときだからこそ、ゆとりが必要なのよ」
クリスティナは椅子に優雅に腰を下ろした。
「そなた、異世界から来た子じゃな」
「わかるの?」
忍は驚いた。
「そなたの魔力の波動が違うのじゃよ。
どれ、手をこの婆にお貸し」
忍はクリスティナの皺の深い手に、自分の小さな手を重ねた。
指輪を中心に何かが流れ込み、
温かなものが身体にじわじわと馴染んでいく。
同時に、忍の身体が成長し、昨日と同じ十歳ほどの姿に戻った。
アレックスもビンセントも目を見開いた。
「ふむ、やはりな……領主殿、これは厄介なことになるやもしれん」
「どういうことです?」
忍も息を呑んだ。
クリスティナは使用人たちを下がらせ、ビンセントだけを残した。
「まず、異世界の子がこのような姿になったのは、
こちらの世界に渡ったとき、生命力を魔力としてごっそり持っていかれたからじゃ。
こちらの世界に馴染んでおらん故、そのままの身体では生命を維持できん。
ゆえに、維持できる年齢まで戻ったのじゃ」
忍は唇を震わせた。
「昨日より幼くなったのは……?」
「こちらの世界に馴染もうとした結果じゃな」
「戻ったのは、魔力をもらったから?」
「そうじゃ。わしの魔力を少し分けた。
だが、これはその場しのぎにすぎん」
「……じゃあ、また子供に戻ることも……?」
「ありえる。最悪は赤児まで戻るやもしれん」
忍は青ざめた。
アレックスが割って入る。
「ならば、忍に魔力を分け与えればいい。それで解決するのでは」
「領主殿、結論を急いではならん。
誰の魔力でもよいわけではないのじゃ」
忍は首を傾げた。
「どういうこと?」
クリスティナは忍を見つめ、
慈愛と哀れみの入り混じった目をした。
「――魔力の“適合”じゃよ」




