第1話 迷い人、廃トンネルで異世界へ~そこは飯が不味そうな世界でした~
いわく付きのトンネルを抜けたら、忍は異世界にいた。
帰れない、魔力ゼロ、身体はなぜか幼児サイズ。
――それより何より、この世界の飯が、致命的にまずい。
「トンネルを抜けると別世界だった」
――そんな有名な一説をふと思い出しながら」
有川忍は、目の前の廃トンネルを見上げた。
ここは“通ると行方不明になる”“不気味な叫び声が聞こえる”など、いわくつきの場所だ。
だが、ここを迂回すると三十分は余計に歩くことになる。
連休を利用して祖父母の家に顔を出すよう母に頼まれ、都内から電車を乗り継ぎ四時間。
無人駅に降り立ち、そこからさらに徒歩で一時間。
初夏の陽気に、薄手のシャツでもじんわり汗ばむ。
「……祖父ちゃんの料理、早く食べたいし。行くか」
地元民すら滅多に通らない廃トンネルへ、忍は迷わず足を踏み入れた。
(本当に危険なら封鎖されてるはずだし、SNSでバズってるだろ。つまりフェイクニュース)
そんな楽天的な思考で、湿った薄暗いトンネルを進む。
出口が見えた瞬間――
ブォーン、と低い共鳴音が響き、視界がぐにゃりと歪んだ。
「……気のせい?歩きすぎて疲れたかな」
気にせず歩き続け、出口に立った忍は言葉を失った。
そこにあるはずのアスファルトの道は消え、鬱蒼とした森が広がっていた。
「田舎すぎて道路が消えた……わけないよな」
振り返ると、さっきまでいたトンネルが跡形もない。
「はぁっ!? 衝撃体験!消えたトンネルの謎!あのトンネルはどこに!」
驚きすぎて思考が止まり、口が勝手に動く。
鳥の高い鳴き声が響き、ようやく思考が再起動した。
「……どこ、ここ?」
ヨーロッパの森のような風景。小川がきらきら光っている。
「さて、どうするかな……日本なら問題なし、海外でも両替して大使館へいけば大丈夫。うん、なんとかなる」
お気楽に結論づけ、小川沿いに歩き出す。
だがすぐに異変に気づいた。
服が大きい。袖が余り、チノパンの裾は地面を引きずり、靴はガバガバ。
視線も妙に低い。手も小さい。
「……子供になってる?いやいや、まさかね。服だけ巨大化したとか?ハハハ…」
能天気に笑い飛ばすが、どう見ても幼児化している。
忍は儚げな美少年だが、性格は図太く楽天的。
家族も友人も、そのギャップに何度も涙した。
「川沿いに歩けば民家くらい……あるよね。最悪、即死はしないし」
しかし森は途切れず、人影もない。
「つ、疲れた……休憩」
倒木に腰掛けると、足が地面に届かない。
周囲は野焼き跡のように黒く、木々は幹から折れたり、根こそぎ倒れていた。
「自然破壊するバカはどこにでもいるな……」
ため息をついた瞬間、腹が鳴る。
「お腹すいた……喉乾いた……自販機ないよな……小川の水飲んで大丈夫?いや、腹壊したらトイレないし……天然ウォシュレットは嫌だ……」
そんな能天気な危機感を抱いていたとき、草むらがガサガサと揺れた。
「迷子か? それとも親に置いていかれたのか?」
現れたのは二十代後半から三十代前半の美丈夫。
腰には剣。栗色のくせ毛。逞しい体つきなのに、少し垂れた目元と穏やかな声が優しい。
「怪しい者ではない。この先に住んでいるアレックス・コンウォールという者だ。どこから来た?」
(自分で怪しくないって言う人は大体怪しいんだよな……)
そう思いつつも、忍は答えた。
「怪しげな言い伝えで言えば……移転させられた?でも迷子……いや、帰る場所は分かってるし……疑似迷子?」
「……わけがわからんが、置き去りにされたのか?小さな子供を置き去りにするとは」
「小さな子供じゃないですし!先月で十七です!」
「十七!? 十歳の間違いではなく?」
(いやいや、どんだけ視力悪いのこの人)
忍がむっとしたのを察したのか、アレックスは少し眉を下げた。
「悪かった、忍。で、なぜここに?」
忍はトンネルで起きたことを説明した。
アレックスは眉間に皺を寄せながら聞き、そして言った。
「……その話は、家で落ち着いてした方がいい。忍、我が家に来ないか?」
普通なら警戒するところだが、忍は疲れ切っていた。
(最悪、叫んで逃げればいいし……この人、優しそうだし)
「お邪魔します」
「よし、行くか……歩けるか?」
「歩けますけど」
言葉とは裏腹に、足取りは覚束ない。
ため息を一つ吐き、アレックスは忍を抱き上げた。
「えっ」
「文句は後だ。落とす気はない」
「いや、そこじゃなくて、抱っこはちょっと……」
男としての沽券がどうとか言っている間に、アレックスは楽しげに森を進む。
やがて視界が開け、吊り橋の向こうに石造りの城が現れた。
(はぁっ!? 家がお城!? 心臓止まるわ!)
吊り橋の両脇には兵士が直立不動で並び、玄関前には初老の執事と使用人たちが整列していた。
(やば……本物の貴族じゃん……)
アレックスは忍を応接間に座らせ、お茶と菓子が供された。
空腹の忍は遠慮なく手を伸ばす。
(食べる。食べてから考える。お腹いっぱいならなんとかなるって祖母ちゃんが言ってた)
頃合いを見て、アレックスが口を開いた。
ここは忍の世界とは別の世界。
魔力や魔法が存在し、魔法と剣で身を守る世界。
三つの大陸と五つの国があり、ここは大国ランディアの王都郊外。
忍がいた森は「ウエルシアの森」で、オーロラが架かると異世界から何かが迷い込むという。
そしてアレックスは侯爵であり、森の調査と保護を担っている、と。
忍の頭は完全に追いついていなかった。
(……祖父ちゃん、悪ノリ好きだったよな……夢オチとかじゃないよな……)
お茶を飲んで気持ちを落ち着け、忍は確認した。
「つまり、僕は異世界に飛ばされた……ということですか?」
「ああ」
「帰れますよね?」
「……元の世界に戻った者の話は、聞いたことがない」
その瞬間、忍の思考はぷつんと切れた。
「森の木陰でどんじゃらホイ……」
意味不明な呟きを残し、忍の身体ががくりと傾く。
「忍!? おい、忍!」
アレックスの焦った声が遠くに聞こえ――忍の意識は闇に沈んだ。




