第104話 『Re: Boy Meets Girl......s』⑬
その日の夕方、早くもクナドは自分の見積もりがどれだけ甘かったかを思い知らされていた。
水も漏らさぬ資料を午後だけで完成させたスフィアは「夕食までにはまだ時間がありますね」と言ったかと思うと、とんでもないフットワークの軽さを見せてクレアとシャルロットに逢いに行ってしまったのだ。
その旨を念話で伝えた際の2人は「え?」といったきり、今こうしてスフィアとともにクナドの目の前に来るまで通信途絶していたのである。
「えーと……話は済んだの?」
なぜか生唾を呑み込みながら、クナドはそう問うことしかできない。
なんなら額に汗まで浮かべている始末だ。
「はい、きっちりと」
それに答えるスフィアは満面の笑顔であり、そこには怖さも冷たさもまるで感じられない。ただただ機嫌がいいだけの、嬉しそうな様子にしか見えない。
「はい」
「ええ」
スフィアの半歩後ろに立つクレアとシャルロットの2人も緊張しているわけでもなく、かといって無表情で己を殺しているという訳でもなさそうだ。
クナドとしては今なお一切念話を飛ばしてこないことが気になりはするが、少なくとも3人の様子から不穏な要素を感じ取ることはできない。
「で、その結果が彼女たちもこの屋敷に住むことになったってこと?」
だがそんなことよりもクナドに冷や汗を流させているのは、この短時間で自身のことはもとより、クレアとシャルロットすらもこの屋敷で暮らすことを既定路線にしてしまっているスフィアの手腕――というよりもその熱量である。
「そうです。王家も魔導塔も正式にそれを承認してくださいました。ね?」
最後の「ね?」に対して、クレアとシャルロットがこくこくと頷いている。
涼やかな笑顔を浮かべながらスフィアがそういうとおり、個人的な了承を得ているという意味ではなく、すでに公的な許可を取り付けている事実がクナドの流す冷や汗の量をいや増している。
もちろんスフィアがクナド共に暮らすことも、聖教会として正式に許可されているらしい。スフィアの左右でどこか嬉しそうに首肯しているクレアとシャルロットも、今のクナドからしてみれば得体のしれない感が強い。
――どうやって許可を取ったのかは、聞かない方がよさそうだ。
クナドは自己防衛本能に限りなく近いものの囁きを素直に受け入れた。
「いやあの、俺たちって精神年齢こそあれだけど今は14歳同士で、クレアとシャルロット殿下に至ってはまだ11歳なんだけど……」
力を持ち経済的にはなんの問題はないとしても、今の自分たちがまだ子供である事実からは逃れられない。結婚ごっこよと揶揄されてもなにも言い返すことができない。
精神年齢こそ22歳と19歳とはいえ逃れようのない肉体年齢と、それ相応に扱う周囲の方が当たり前なのだ。
「10歳で嫁がれる方もおられますよ?」
「いやあの」
だがスフィアは、敢えてクナドが想像しないようにしていた艶めかしい方向へ切り込んできた。肚の座った女の子はかくも強いのである。
事実、王侯貴族であればそんな年齢での婚姻も珍しいことではない。
ゆえにシャルロットが僅かに肩を揺らしてしまったのだろう。
つまり少なくとも女性陣はそういうことも含めて「共に暮らす」と言っているのだ。
クナドとは覚悟の決まり方が違う。
「ごめんなさい、さすがに冗談が過ぎました。ですが私はもう一時もクナド様と離れて暮らす気はありませんし、それは彼女たちも同じようですよ?」
絶句したクナドを見て、スフィアが攻勢の手をほんのわずかに緩める。
自分たちの覚悟が過不足なく伝わった以上、クナドの中で共に暮らすことを断る選択肢が失われたことを確信し、言質を取りに来たのだ。
「私は序列さえきちんとしていただけるのであれば、クナド様が側室を持たれるのは当然だと考えています」
「……らしいです」
「あう」
その上で自分たちの関係は円満ですよというアピールも欠かさない。
すでに正妻と側室の序列が確立されてしまっている急展開に、さすがにクナドは二の句が継げなくなってしまっている。
「わかった! 一緒に暮らすのはよくわかった! だけど側室とかそういうのは身体年齢が追いついた時にもう一度考えるってことでよくないか?」
なにかいけませんか? とでもいうようにあどけなく首を傾げるスフィアと、期待に目を輝かせているクレアとシャルロットがわりと本気で怖くてクナドは情けなくも逃げを打った。
一緒に暮らすのはいいが、そういう方面は先延ばしにすることを提案したのだ。
「クナド様がそう仰るなら……クレアちゃんとシャルロット殿下もそれで構いませんか?」
「「はい!」」
――あら臆病者。
とスフィアが思ったかどうかは不明だが、存外素直にスフィアは矛を収めた。
精神年齢は19歳とは言え身体はまだ11歳でしかないクレアとシャルロットも、許されるのであればゆっくりと段階を踏みたいと思っていたのだろう、嬉しそうに首肯している。
だがクナドがほっとしたのもつかの間。
「ですが旦那様、正妻はその限りではありませんよね?」
スフィアが清楚そのものの微笑とはひどく乖離した言葉を口にする。
「えーと、聖女は神に対して純潔をってやつが確か……」
完全に隙を突かれた形のクナドは、愚にもつかない逃げを打つ。
当然そんな前周までであれば通用したかもしれない言訳も、今のスフィアに通用するわけもない。
「いやですわ旦那様。『魔王の槍』に貫かれた挙句、大砲で粉々にされた我が身にも神は宿られたのですよ? 純潔など、なにをいまさらではございませんか?」
これ以上ないくらい理論的にダメ出しを食らう始末である。
「……勘弁してくれ」
クナドのみならず、クレアとシャルロットの顔もみごとに朱に染めてみせたスフィアこそが真の勝者であり、この屋敷の真の主でもあるのだろう。




