断罪の茶番劇と愛されただけの不憫な男
クラウディアは男爵家の出身で三女、十七歳になった今、ユンカース伯爵家跡取りのランベルトの専属侍女として働いている。
今日も今日とて主のお世話するためにお側についていた。
しかし、その断罪劇は突然始まった。
「ランベルト! あなたとは婚約を破棄しますわ!」
婚約者であるイレーネはやってきて早々そんなことを告げた。
突然のことにランベルトはとても驚いている様子で、口を開けて目を見開いている。
「もともと! わたくしとあなたの婚約は家同士の深いつながりから始まりました!」
イレーネは立ち上がったまま、ばっと手を伸ばしてきりりとした表情でランベルトに向かって言い放つ。
「そうだったね!」
「ええ、そうですわ! ランベルトの家はユンカース伯爵家と言い、昔から精霊に好かれることの多い血筋!」
「精霊にいたずらされて困っていた俺を君はしょっちゅう助けてくれたっ! それなのにどうして!」
「あなたを助けていたのはただの可哀想な人に対する施しにすぎませんの。決してこれは愛情というものではありませんでしたわ!」
「そんな、君は俺を愛してくれていると思っていたのに!」
彼らは、興奮しているのか大きな声で次から次にまくしたてる。
その様子をクラウディアはじっと見つめていた。
「ひどいよ、イレーネ。俺は君を真に愛していたというのに!」
「そうは言っても、わたくしの気持ちがあなたに無いのは仕方のないことよ! 婚約破棄を宣言させてもらいます!」
「納得がいかない!」
拳を握って自分の腿にたたきつけ、くそぉ! と声をあげるランベルトをクラウディアはじいっと見つめて、そんなに傷ついているのならこのイレーネをどうにかすればいいのではと思う。
突然の婚約破棄なんてあまりにも、非道だ。非道なことをした人間には非道なことをしていいことになっている。
そういうことわりの中で人間は生きているのだから問題ないだろう。
やってしまえばいいと思ってクラウディアはじっとランベルトを見つめた。
するとランベルトと一瞬目が合った。
……どうにかしてほしいということでしょうか、主さま。
何かの指示かと考える。ならば専属侍女としてクラウディアは出来る限りのことをしようと思う。
「っあ! ま、まさかあのことがバレたから、俺は君にこんなふうに長年続いていた縁を切られそうになっているのか!?」
……あの事……?
恐れおののいて彼は口元に手を当てて不味い! という表情をした。
それに主の方が何か悪いことをしたのなら、こうされても仕方ない。そう思うだけのことを主がやったのかとイレーネへと視線を向ける。
すると彼女は、拳を握って「そうよ!」っと短く言ってそれから「入ってきて!」と扉の向こうに声をかけた。
すると控えめそうな令嬢が、そろりとユンカース伯爵家の応接室へと入ってくる。
彼女は、きょろきょろとあたりに視線を配りながらイレーネの隣へとゆっくりと歩いていく。しばらくしてクラウディアと目が合うが、ものすごい速度で目が泳いでいて、すぐに合わなくなった。
「わわ、私だって、ランベルトを愛しているのぉ」
彼女は小さな声で言って、どう見つめてみても目が合わない。
ランベルトはクラウディアの隣でなぜか弱々しい彼女を見て、額を押さえている。
ここまでうなだれるほど、彼女の登場はランベルトに取って苦しい状況なのかもしれない。
「ほら見なさい! ランベルト、わたくし、あなたが浮気をしていることを知っていますのよ!」
「困った! 俺が浮気していることがばれているなんて! 浮気は聖書にも不道徳なことだと記載があるのに!」
「え~ん。私との交際は、真剣交際ではなかったのねぇ」
たしかに浮気は不道徳なことだ。突然、婚約を破棄することと同じぐらいには不道徳。
クラウディアはそれに頷いて、真剣交際ではなかったことに悲しんでいる様子の名も知らぬ令嬢は悪くないのだなと思う。
「可哀想に! リーゼルも泣いているわ! わたくしはこんなふうに人を傷つける人とそばにいることはできませんの!」
「クソォ、俺が全部悪かったっていうのか!」
「その通りよ、うわ~ん」
「あなたは大人しく、一生独身でいなさい!」
泣いてしまっているリーゼルと呼ばれた令嬢をイレーネは抱き寄せて、かばうように前に立ちびしっと指を突きつけてランベルトにそう言い放つ。
もちろん彼女たちにはランベルトを振るという権利はある。
しかし、一生独身でいろというのは少々行き過ぎたことじゃないのだろうかとクラウディアは思う。
だって誰とも愛し合えないということは誰とも体を重ねられないということだろう。それはとても寂しい、死んでしまってもおかしくない出来事だ。
死ねと言っているのに同義に等しい、クラウディアはそういうふうに習った。
それに、悪いことをしていて、返ってきたことが自業自得の出来事だとしても、こうして専属侍女としてランベルトのそばにいる以上は、クラウディアはランベルトを贔屓する。
精神的に傷つけられただけならまだしも、死ねとまで言われては黙っていられない。
殺そうとしている人間がいるならばランベルトを守るだけだ。
「……」
ぎろりとイレーネに視線を向けると、隣にいたリーゼルが「ひぃっ!」と怯えたような声をあげる。
彼女はなんだか化け物でも見ているような顔をしていて、何をそんなに恐れることがあるのかと思う。
クラウディアは普通の侍女だ。金の瞳を持ち、銀髪の髪を結い上げて、手と足を二本ずつ、指はそれぞれ五本ずつ持っている女の子だ。
今は、侍女の制服を着ている。
そんな女の子を怖がるなんて可笑しいことだ。
「ラ、ランベルト!」
「え? あ、あー! とにかくわかった俺が悪い、全部。浮気っていうのはほんっとうにここまで人を傷つけることで、彼女たちはまるで、まったく微塵もこれっぽっちも悪くない!」
「じゃあ、とにかく婚約は破棄! もう金輪際、あなたとは男女の関係性を結ぶような相手は現れないということでいい?!」
「もちろんだ! 金輪際、俺は誰ともそういう仲にならないし、仕事一本の誠実な男としてユンカース伯爵家を守っていく!」
……。
クラウディアはイレーネに対してどうにかしてしまおうと思っていたが、ランベルトとイレーネは途端に合意し、これからは誰ともそういう関係にならないことを約束し始める。
もちろんランベルトが自分で判断して納得してそうしようと思うのならば止めることはできないし、何も悪くないとランベルトが思っている相手をクラウディアがどうにかして……。
例えば腕と足が二本ずつ指がそれぞれ五本ずつという人間らしい形以外にイレーネをしたら、クラウディアが人間のルールに反していると思われてしまうかもしれない。
それはとても困ることだ。
仕方がないがランベルトがそういうのなら認めるしかないだろう。
……それに男女の関係にならないということは人間同士の恋仲というものや夫婦にならないという意味ですね。
それなら抜け道もあるでしょう。主さまは孤独に死んだりせずともよい。
ならばランベルト贔屓のクラウディアも許容が出来る。
さっさと応接室から去っていくイレーネ達に最後にランベルトが急いで駆けて行ってを耳打ちしているが内容は聞こえない。
それに話は終わったのだ。ならば内緒で何を話していようとクラウディアには関係がない。
ただ、今回の話に一つだけ引っかかる部分があった。
それについては、ランベルトのお勤めが終わったあとにでも聞いてみようと思う。
シャツにスラックスのラフな恰好になったランベルトはベッドのそばにあるサイドテーブルの明かりを頼りに、淵に腰かけて本を読んでいる。
その様子をクラウディアはじっと見つめていた。
もう夜も遅い時間で睡眠時間を考えるともう眠った方がいい。しかしこの時間が跡継ぎとして忙しいランベルトの唯一のまどろみの時間だとわかっているのでクラウディアは口を出さなかった。
「……」
「……」
静かに本をめくるだけの時間が過ぎる。
彼の瞬き、口元でかみつぶしたあくびと、それから魔力のいい匂い。
堪能するように見つめて、クラウディアはにんまりと口角が上がってしまうのを抑えていた。
ふと彼が本をそろそろ閉じようと考えたことが理解できる。
その瞬間に切り出した。
「主さま」
「っ……。君ってたまに、俺の行動を先読みするね」
「いいえ、先読みなどという便利な能力は持ち合わせていません。ただ気配でそう感じただけですよ」
「うん……うん。……ああ、それでどうかしたかな、クラウディア」
彼はなんとも微妙な顔をして本を閉じる。それから、サイドテーブルに本を置いて、クラウディアのことを見上げた。
「はい。今日の出来事、私、とても驚きました」
「ああ、そうだよね。びっくりさせてごめん」
「いいえ、主さまは主さまなのですから、決して私に謝る必要などありません」
「っ、うん」
「主さまはとても悪いことをしていたんですね」
ランベルトはどこか怯えているようなそんな様子で時折、クラウディアから視線を外したり、手の置き場に困っている様子で言葉を探した。
それから、とても真剣に眉間にしわを寄せて考えて、クラウディアを見上げて言う。
「そう。君にはわからないような少し繊細な関係性を壊してしまったんだ。たしかに悪いことをしていた。ただ……ああ、なんていうかもちろん彼女たちも悪くないよ」
「はい。悪くないのですね」
「そう、だからいや、でも俺もそんなに悪くないんだよ。クラウディア」
言い訳のようにいう彼にクラウディアは首をかしげてしまう。
「どういうことでしょうか。主さまが悪くないのだとしたら、どうして主さまは金輪際、男女交際を認められないような目に遭うのでしょうか。わかりません。それならイレーネ様は悪いのですか」
「っ違う、違う! もちろん大前提としてイレーネもリーゼルも悪くない、一番悪くない!」
「では、主さまが一番悪いのですか?」
話が大きく前後しているような状態でクラウディアはよくわからない。誰が悪いのかそれが問題ではないのだろうか。
きっぱりと自分が悪いのなら悪い、ほかの悪いのなら悪いと口にしてくれればいい。
そうしても、今回はランベルトがそうして欲しいと望まない限りどうにもしない。
しかし、その思いは伝わらず、ランベルトは自分が悪いのかと問いかけられて、まるで罪を押し付け合えと言われているようで呼吸が荒くなった。
イレーネやリーゼルに迷惑をかけるわけにはいかない、しかし自分が悪いと言い切った時クラウディアが何をするか正直分からない。
なのでうかつなことを言えずに、冷たくなった手で手を握って考え続けて答えを出せない。するとクラウディアはそんな様子のランベルトを見てぽつりと考えを口にした。
「ああ、それは、もしかして罪悪感というものですか? それがあって自分が悪いのだと胸を張って言えないのでしょうか」
「……そ、そんなところさ」
「そうなんですね。人間は複雑ですね。主さま」
「人間は……っていうのやめてって何度か言っているだろ?」
「はい、複雑ですね。主さま」
クラウディアはまったく同じ調子でランベルトの要望に応える。
そのいつもと変わらない様子に、これで今回の件はもう終わりだと思ってくれたのだろうと少しホッとする。
あんなに滑稽な演技でもそれならやるだけ価値があっただろうと思える。
彼女を刺激しないために、昔からの婚約も放置していたが、意を決して婚約破棄をしてよかったと思った。
しかしそう思ったのもつかの間、クラウディアは縦長の瞳孔を興味津々といった様子で開いたまま「それで」っと聞いてくる。
「あの時、全員から嘘のにおいがしましたが、何がどう嘘だったんでしょうか?」
「っ、は? ……え、な、なにそれ。君なんでそんな」
「気になっていたから、聞いたんです。聞いてはいけないことでしたか?」
「ちがっ、違うよ。……君って、嘘が見抜けるの?」
「嘘の内容を見抜くのではありません。嘘をついている人が匂いでわかります」
「っ、……っ~」
そう言ってクラウディアはランベルトの腿に手を置いて、大きく息を吸ってランベルトのうなじから胸元にかけてのにおいをかぐ。
まじかで目が合うと瞳が金色に光っていて、夜の彼女はいつにもまして恐ろしい。
もういい大人だというのに、いまだに彼女をうまく制御できている気がしない。
「今は嘘をついてません。誰が悪いかという話をしていた時は嘘をついていました」
笑みをうかべてクラウディアは手を絡めて首筋に頬擦りをする。
「何故ですか。私はよくわかりません。人間のことには詳しくないので」
問いかけられて、ランベルトは様々な思考を巡らせた。しかし最終的にどんな言い訳を重ねても嘘をついたらバレるのだとしたら、いつまでたっても彼女を納得させることはできないだろう。
もう観念するしかない。
せっかく、穏便に済ませるためにきっちりとした作戦を練ったというのに、これでは台無しだ。
そう思いつつもランベルトはクラウディアの手を取って隣に座らせて顔を覗き込んで聞いた。
「……分かった、嘘はつかない。でも頼むからだれもこの件に関して殺さないこと。約束してくれたら話をするよ」
そういうと彼女はこくこくと頷いていう。
「約束は得意です。主さま」
「わかった。……本当に殺さないこと」
「はい。約束です。……契約です。真実を話してください」
約束を契約という言葉に置き換えられて、ランベルトは彼女が恐ろしくなるがそれでも事情を話すことにした。
「……君は……間の子だろう? それもなんだかよくわからないほど高位の精霊と人間の」
「はい。私、人間が好きです」
「うん。間の子にも程度はあるけど君はあっち側に随分よってるね。それで、精霊に好かれる家系の俺が好き」
「はい。主さまは人間の中でも贔屓します。大好きです」
「それでイレーネが少しね。身の危険を感じて調べてたらしいんだけど、同じようなことは昔もあったんだって」
クラウディアはキョトンとして目をぱちぱちとして首をかしげる。
はたから見れば普通の女の子だ。しかし縦長の瞳孔と、そばにいると具体的によくわからない恐怖感に駆られる。
大体の人間はクラウディアと出会って一分も経たないうちにその場を離れたがる。
精霊に慣れてない貴族だとなおさらだ。体調を悪くした人間も何人か見ている。
「ユンカース伯爵家の人間が精霊寄りの間の子に惚れられて、結婚したら激高して、そのまま……」
「人間らしい形ではなくしてしまったんですか?」
「殺してしまったんだって。だから、もちろんイレーネも同じ目に遭う可能性が高いし怖いから婚約を破棄してほしいっていう話になってね」
「私はそんなことしません」
「するかもしれないっていう話。それに俺も、君に好かれてから出来るだけ刺激しないように婚約も維持してきたけど、正直限界を感じてた」
ランベルトは疲れを吐き出すようにクラウディアに言うが、クラウディアはやっぱり腑に落ちない。
クラウディアは人間のルールに反することをするつもりはないのだ。
そんな野蛮な精霊と一緒にしないで欲しい。
別に結婚したからと言って何だというのだろう。ランベルトをイレーネが独り占めするわけでもあるまいし。
「わかるよ。君、怖いから。関わりたくないってのは正直なところ皆の本音だと思う」
「…………怖くありませんよ。私、こんなに非力な腕をしていますから」
「うん。そういうことじゃあないんだけどな」
そういってランベルトは穏やかに笑う。考えて否定したのに彼のお眼鏡には敵わなかった様子でクラウディアは少し困る。
怖がらせないようにこんな体をしているし、侍女に見えるようにこうしているのにどうしてみんなうまく騙されてくれないのだろう。
「……」
「それに、いやだよな。君がどんな容姿であれ、すでに君のものみたいな扱いの俺を夫にするのは」
「……まだ、きちんと、主さまは私のものではありません」
「うん。しないでいいからね?」
「したいです」
「しなくていいから」
「……わかりました」
「うん。良かった、わかってくれて。まぁ、そういうわけで、ついでだからイレーネに協力してもらって勘違いで誰かに君が嫉妬しないように、俺は金輪際男女関係を結ばないって宣言しただけ」
事情は分かったがなんだかそういうふうに言われると、こんなに愛している彼が、クラウディアの向けている愛情をきちんと理解していないような気がして無性に寂しくなってくる。
「君がどういうふうに思っていようと、俺は筋は通そうと思って。愛してくれていることで恩恵もあるし。君は力が強いから…………って、どうしたの」
「……スン……いい匂いがします」
感情に任せて、彼の腿へと手を置いて、クラウディアは匂いを嗅ぐ。彼は、というかユンカース伯爵家の人間は皆こうしていい匂いがする。
きっと魔力が特別なのだ。
「うん。そうかな」
「はい」
しかし、別にクラウディアはそれだけの理由で彼を好いているわけではない。
こんなに擬態しても、人間らしくないクラウディアだけれど、凹んでいると思えば慰めに頭を撫でてくれるところ、愛情には筋を通そうと思ってくれるようなところ。
そういうところが好きなのだ。恐れられていたとしても、こうして生まれついてしまったのだから仕方ない。
それでも人間を好いて人間らしくなろうと日々クラウディアは努力している。
その師匠ともいうべき存在が彼なのだ。
「とにかく、俺はおおむねこれからも君のものということでいいから。だから君はゆっくりでいいから……」
「……」
「焦って無理せず、間違えなければ大丈夫だよ。クラウディア」
「はい。私、主さまが大好きです。頑張ります」
「ありがとう。俺も君が……割と好きだ」
そういう彼から嘘のにおいがしない。
怖がって刺激しないようにと、考えている彼だが、それでも返される情に胸の中が温かい。
何者とも違うクラウディアだが、彼とならばどうにか何かになれる気がするのだった。
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