2-5 僕らとは違う
「おやおや。やっぱり聞かれてたか」
突如として声を響かせたスピーカーを見上げて、ラスターがそんな声を上げた。顔には皮肉そうな微笑み。どうやら〝彼女〟がこの様子を覗き見していたのを予想していたらしい。
その彼女――まあつまり、レティシアにだが。
顔も見せず、声だけの相手に最初に声をかけたのは、意外なことにヴィルヘルミナだった。
「……ねえ、レティシア様?」
『はい?』
スピーカーの先からはきょとんとした気配。レティシアも意外に思ったようだが……
ヴィルヘルミナは露骨に顔をしかめ、一字一句を噛み砕くようにしてこう言った。
「ここ。私の、部屋なのですけれど。覗き見なんていったい、どういうおつもりなのかしら……?」
『あーっと。それはですね……まあ、悪いのは全部ラスターさんです』
「おっと。僕のせいにするか」
急に矛先を向けられて、ラスターがおどけたように言う。
じとり、とヴィルヘルミナがラスターを睨んだが、その彼へとレティシアが追撃した。
『それはそうですよ。だって困るんですよ、基幹システムをハッキングされるなんて。加えてその犯人がラスターさんという、普段からなんだか怪しい人ですし。そういう方がそういうこと始めると、無視もしがたいわけでして』
「おいおい、その言い草はひどいんじゃないかな、レティシア様。別に、僕は悪いことをしようとはしてないよ? 彼と楽しくお話ししたかっただけじゃないか?」
『アールヴヘイムの、淑女の皆様のお部屋に押し入って?』
「……それを言われると耳が痛いね」
流石にそこは思うところがあるらしい。ラスターは困ったように肩をすくめてみせた。
まあ実際、やったことが押し入り強盗並みにひどいのは事実ではある。ムジカも〝さもありなん〟という表情でラスターを見やった――
『というわけで、悪いのはラスターさんです……あ。ムジカさんもムジカさんですからね?』
「げっ。今度は俺かよ」
『そうです。ムジカさんにはお説教です。なんで少し目を離したらすぐ問題に巻き込まれてるんです? ちょっと迂闊すぎませんか? 少しは気をつけていただきたいなと思ってます』
「それ俺のせいじゃねえだろ。こいつらに言えよ、こいつらに」
思わずムジカはその〝こいつら〟ことアールヴヘイムの淑女とセシリアを指さすが。
レティシアはてんで取り合わず、むしろすねたように言い返してきた。
『いーえ。ムジカさんのせいです。女性からのお誘いに警戒心なくすーぐついていっちゃうところ、すっごくダメなところだと思ってます』
「その言い方やめろ。誤解生むから、本気でやめろ」
なんでそんな非難のされ方をされにゃならんのだ、とムジカはジト目でスピーカーを睨んだ。もちろんそこにレティシアの顔はないのだから、睨んでも意味はないのだが。それでも抗議だけは全力でしておく――
だがふと視線に気づいてムジカは隣を見やった。
そこにいるのはセシリアだが……口元を手で隠しながら、にやけた顔で言ってくる。
「あなた……意外ね。そういうタイプだったの?」
「……呼び出したあんたがそういうこと言うなら、次からはあんたの呼び出し全部無視するからな」
「ちょっと、冗談を真に受けないでよ。からかっただけじゃない」
セシリアにも思いっきり半眼を向けてから、ムジカはうんざりとため息をついた。
と――スピーカーのほうから不意に咳払いの音。
視線を戻すと、レティシアが改めて言ってくる。
『まあそれは置いておいて……ムジカさん。アーサーのことが知りたいなら、明日アルマちゃんに訊ねてくださいな。ラスターさんとの取引なんて、後でどんな目に遭うかわかりませんよ?』
「待った待った、ちょっと待ってよレティシア様。それはひどいよ、いろんな意味でひどい。彼とはウィンウィンな取引をするつもりだったんだよ? それを取り上げるなんて本当に酷い。お目こぼしがあってもいいじゃないか?」
『ダメです。ラスターさんとの取引なんて、絶対にこちらの心臓に悪い結果になりそうなので……今日だって〝鞍替え〟なんて言葉が出てきた時なんか、私、思わずドキッとしてしまったくらいなんですよ?』
「鞍替え――ああ、傭兵としての彼を僕が奪うかもって?」
確かに、そんな単語も会話の中で出てきた記憶はある――だがその時の話題は傭兵とは全く関係なかったはずだが。
当然、ラスターにもそんな考えはないらしい。彼は呆れたように肩をすくめて――
だがふと硬直すると、ポンと手を叩いてこう言った。
「そうか。その手があったか」
『ほらー。ラスターさん、そういうこと言うでしょう? だからダメです。ハッキングもバレてるわけですし、ペナルティです。今日は引いてくださいね?』
「ペナルティ、ね……まあわかった、わかったよ」
降参のつもりか、ラスターは両手を上げた。
そこが話の終着だろう。蚊帳の外にされてしまったヴィルヘルミナは先ほどからずっと不機嫌そうな表情だが、言いたいことはないらしい。こちらと視線が合うと、フンとそっぽを向いた。
それを見たからというわけではないだろうが……レティシアが、話を締めくくる。
『それでは、そういうことで――あ、あと。あんまり彼には手を出さないでくださいね? 彼は私の配下なので』
そしてそれだけ言い置くと、スピーカーは完全に機能を停止した。もう喋り出す気配もないが……
そのスピーカーを見上げて、ムジカは微妙な表情を浮かべた。
(別に、雇われてるだけで配下になったつもりはないんだがなあ……)
まあ言っても野暮だし、意味もないだろう。ヘタなことを言って後であれこれ言われるのも面倒だったので、ムジカは素直に沈黙を選んだ。
と。
「こういうところに腹が立つんだよなあ……」
「……?」
ぽつりと吐き捨てるように言ったラスターを見やれば、彼は皮肉げに表情を歪めていた。
視線が合うと、恥じ入るようにわずかに視線を逸らしながら、言ってくる。
「僕らが何を探しているのかを知っているくせに、彼女は何も教えてくれない。浮島の基幹システムをハッキングするなんて、本来は暴挙のはずなんだよ。だけど結果は御覧の通り、お咎めなし……まるで怒るほどでもない子供のイタズラとでも言うように。別に、彼女のことが嫌いなわけではないんだけどね……腹が立つっていうのはそういうとこだよ。僕らのことが眼中にない」
「……さっきのは? 眼中にないなら声なんかかけてこない気もするけど」
「アレは君にちょっかいをかけすぎたからだよ」
でなければ、彼女は僕らのことなんか気にもしなかった、と。
ラスターは苦笑と共に断言して、先を続けた。
「何も教えてくれないのは、知らないほうがいいことだから? それとも、知る価値がないことだからかな? 調べることを咎めないのは、そもそも知る術が既にないから? ……僕らには何もわからない。この空が、何のために在るのか――僕らは、何のためにこの空に在るのか。彼女は僕らに、何も教えてくれない」
「…………」
「彼女は知ってる側の人間だよ――僕らとは違う」
軽薄そうな態度で。どこか人を食ったような表情で――だが、重々しくラスターが言う。
ふと気になって視線をヴィルヘルミナのほうへ向けたが、彼女は何も言ってこなかった。目は合った。話を無視しているわけではない。
となれば彼女も、ラスターと同意見ということなのだろう。
気になったのは、暗く陰った彼女の瞳だが……ラスターに向き直れば、彼の瞳の中にもそれと同じ陰が見えた。
(この空は、何のために在るのか……か)
壮大な話だ。所詮は傭兵に過ぎないムジカからすれば、理解のできないスケールの。そんな話にため息をつく。
なんにしても、クライアントからのNGで取引は中止だ。となればこれ以上話すことはない。
ラスター、ヴィルヘルミナ、セシリアと。ムジカは順に視線を向けた。彼らの反応は様々だったが、全員何も言ってこない。帰っていいという意味だろうと踏んで、ムジカは素直に部屋を出ていった。
最後に見えたのは、ラスター――そしてヴィルヘルミナの、こちらを見送る瞳だった。
2-5章更新です。
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