2-3 私はただ、知りたいだけ
「……スバルトアルヴの騒動は、確か緘口令敷かれてたんじゃなかったか?」
何故彼女がそんなことを気にするのか――それより先に気になったのが、それだった。
スバルトアルヴの〝航路〟逸脱による暴走騒動、ひいてはメタルクライシスによるスバルトアルヴ滅亡。言葉にしてしまえばそれだけだが、あそこで起きた出来事はいくつかの禁忌が関わっていた。この空を揺るがしかねない大事だ。
それ故の情報秘匿のはずであり……この件にラウル傭兵団は関わっていないということになった。特にムジカによるノブリス〝スバルトアルヴ〟の起動は大問題だから、ムジカはあの件に一切無関係の立場になった、とラウルは言っていたが。
片眉を上げて訝しむように見つめた先、ヴィルヘルミナは薄く笑んで、
「それはその通り。スバルトアルヴが――浮島一つがメタルに滅ぼされたなんて、この空の秩序が揺らぎかねない一大事だもの。メタルを利用しようとして自滅したなんて末路もね。それが大衆に隠されるべき事だという点については、私も反対はないわ」
「随分と他人事みたいに言うが……あんたらの決めたことだろ?」
「それは違うわね。この件を秘密にすると決めたのは、私の父――すなわちアールヴヘイムの管理者とラウル講師、そしてレティシア様の三人。そこに私の意思はないわ」
だから他人事というわけ、と。ヴィルヘルミナは肩をすくめてみせる。
そして、こうも言ってきた。
「とはいえ、むやみに吹聴する気は私にもないわ。この三人とセシリアは、あの件の関係者だから特別。既に知っている相手よ。でなければ、大っぴらにこんな話はしないわ――身内の内輪話で緘口令なんて、バカらしいと思わない?」
「……まあ別に、俺は困らないから好きにすればいいと思うけど」
騎士服女三人のことは知らないが、少なくともセシリアがスバルトアルヴの騒動に関わっていたとは思えない。となれば身内から既に情報をもらっていたか、緘口令を無視してヴィルヘルミナが教えたか……あるいは信頼か何かは知らないが、今知っても別に構わないと思われたか。
どれにしたところでムジカには関係のないことだ。それにこの件は――少なくともスバルトアルヴが滅んだこと自体は――隠しきれるものでもないとムジカは思っていた。浮島が一つ滅んだという話の規模は隠し通せるものではない。緘口令にどこまで効果があるかは怪しいところだ。
なので内心で呆れるものはあったが、ムジカは何も言わないでおいた。
と――ぽつりと、だが鋭くヴィルヘルミナが付け足してくる。
「それに……私はそれ以外の部分で、その〝お願い事〟を聞く気はないの」
「……? それ以外の部分?」
「ええ。私の関心はそこにはない」
スバルトアルヴを巡る一連の騒動。それ自体はどうでもいいと、ヴィルヘルミナはバッサリと切り捨てる。
そうして彼女はデスクから離れると、侍らせた配下たちもその場に残して歩き出した。
どこへ? ――ムジカの目の前までだ。
随分と距離が近い。どちらかが手を伸ばせば容易く触れる距離だ。吐息が触れることはないが、それが動かした風の気配は感じ取れる。そんな距離。
その距離からヴィルヘルミナは手を伸ばすと、くすぐるようなしぐさでムジカの頬に触れた。
そうして嫣然と微笑みながら、ささやく。
「あの騒動で……私が関心を持っているのは、あなたのことだけよ」
「……そいつはまた、随分と熱烈な告白だが」
皮肉な気分でそう言うと、ムジカは頬に触れる手を、自らの手の甲でそっと払うように遠ざけた。
言葉を額面通りに受け取る気はさらさらない。そもそもヴィルヘルミナがこちらの何に関心を持っているのかは、先ほど彼女自身が言っていた。
「〝スバルトアルヴ〟を起動したことは、あんたたちにとってそれほどの重大事ってことか?」
浮島スバルトアルヴの深奥に、残置されていた<デューク>級ノブリス〝スバルトアルヴ〟。
血が薄れ、既に機体を正常起動できなくなっていたあの島の管理者は、〝スバルトアルヴ〟の魔道機関にレギュレーターを噛ませて機能を制限する形で機体を運用していた。本来なら魔力適正の足りないムジカがあの機体を動かせたのも、それのおかげだった。
つまるところ、あんなものは<カウント>級の魔力適正がある人間なら――死にたくなるほどの大激痛と引き換えだが――誰だって動かせるもののはずなのだが。
ふと思い出したのは、ケガから目覚めたばかりの頃にしたラウルとの問答だった。
(そういや、理由を訊いてなかったな)
何故、ムジカがノブリス〝スバルトアルヴ〟を起動したことがバレると面倒なことになるのか。ラウルはそれについては説明しなかった――まあ実際、今わけもわからず追及されていることを考えれば、ラウルの言ったことに間違いがあったわけでもないのだが。
ヴィルヘルミナはこちらの疑問には答えず、逆に問いかけてくる。
「〝適格者〟。この言葉をあなたは知っているわね?」
「言葉はな。そいつが何者かは知らない」
「それでも、あなたは託されたはずよ――私たち、管理者の血族ですら知り得ないものを」
(…………?)
何に疑問を感じたのか。奇妙な違和感に顔をしかめたが、それを口にするよりもヴィルヘルミナの言葉のほうが早い。
まっすぐにこちらの目を見据え、挑むようにして言ってくる。
「この空には謎がある。人類はメタルの魔の手から逃れるために、この空へ昇った――いずれ行き詰まることが見えていた、この空に。そして当時の指導者たちは、今の管理者たちへ使命を遺した――〝今はまだ、その時ではない。この空を維持せよ。いずれ適格者が現れるその日まで〟」
「…………」
「〝その時〟とは何? 〝適格者〟とは何をする人なの? この空を維持せよ――それが父祖から託されてきた、管理者の使命。だけど、それは何のため? 管理者の血族の……私たちの生は、いったい何のためにあるの?」
知らず、ただ自分の生が浪費される。何のためにかもわからないことに――それが許せないと、ヴィルヘルミナは言う。
「私は追うことをやめて、目を背けて諦めた父とは違う――そんな風には生きたくない」
その目に見えたのは、決意だ。あるいは覚悟か。ヴィルヘルミナは既に笑っていない。
周囲の、彼女の配下たちも。真剣な表情で、主とムジカを見つめているが……
(管理者の血族の、生……何のために、ねえ?)
ふと思い出したのは、アルマだった。彼女は長い年月の中で管理者たちの血が薄れ、情報の伝達がうまくいかなくなっていったと語った。
アールヴヘイムもその通りなのだろう。長い年月の中で彼女たちが失ったのは、おそらくは目的そのものだ。役割だけが遺され、自分たちが何をしているのかもわからぬまま、その責務を繋いできた。人々を守ることこそを使命としたノーブルとはそこが違う。
(そらまあ、何か知らんがアレやっとけって意味わからん命令下されて、すんなり従う気になれるかっつーとそんなこともねえけどさ)
彼女の苦悩の度合いや重さは知らないが、理解のできない悩みかというとそんなこともなさそうではある。
その上でだが、ひっそりとムジカは嘆息した。
(しくじったな。こんな話になるくらいなら、断っとけばよかった。アルマのやつと話してからにするべきだったな……)
スバルトアルヴの件の中で、アルマに散々脅されたことだ。知ること、ただそれだけで罪となる知識もあると。これがそうなのか――そして語ることが許されるのか。そんなことすら今のムジカにはわからない。
だがそのため息を何かと勘違いしたらしい。視線の先で、ヴィルヘルミナがそのまなじりを吊り上げた。
「答えて。私は何もわからないまま、何の価値があるのかもわからない使命のために全てを捧げるなんて生き方はできない――私はただ、知りたいだけ」
「…………」
それ以上先を、彼女は言わなかったが。
ムジカはなんとなく、その先にはこんな言葉が続くような気がしていた――もし黙秘を続けるのなら、実力行使も辞さない。
ふと視線をヴィルヘルミナから外せば、彼女の従者三人がそれぞれの位置からこちらを見ていた。そっと服の中に手を忍ばせた者もいれば、わずかな動きだがいつでも飛び出せるよう重心を下げた者もいる。無表情の女は……相変わらずよくわからなかったが。
そして、最後。眉間にしわを寄せて肩越しに後ろを見やれば、セシリアは困惑したような表情をしていた。この辺りは彼女も知らなかったのか、あるいは単に、急に剣呑に変化した空気に驚いているだけか。
ひとまずムジカはまたため息をつくと、話の途中で気づいた違和感の正体を告げた。
「勘違いしてるようだから、先に言っておくが……俺は別に、〝適格者〟でもなんでもねえよ」
「……え?」
「システムは俺を否定したよ。〝適格者〟に非ずってな。俺は何も託されちゃいない――」
と。
ちょうど、その時だった。
「へえ――随分と面白い話をしてるじゃないか」
背後で扉が開かれる音。ついで我が物顔で入ってくる――一人の男。
憎々しげに表情を歪めたヴィルヘルミナに微笑んで、不意の乱入者はこう笑った。
「抜け駆けは少しズルいと思うよ、ヴィルヘルミナ嬢――こんな大切な話をしてるなら、同志の僕も呼んでくれないと、さ?」
2‐3章更新です。
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