1章幕間-1
――アルマはそれから、目を離すことができない。
暗闇の中に、そのノブリスだけがあった。<デューク>級ノブリス、〝スバルトアルヴ〟――その残骸だ。
壊れた人形のように歪み、ひしゃげ、原形をほとんど留めていない。手足は本来ならあり得ない方向に折れ曲がり、全身の装甲板が熱で融解している。無事なところなど何一つないが、最もひどい損傷は背中側にあった。
ブーストスタビライザーが跡形もなく消し飛び、そこにぽっかりと穴が開いている。穴から溢れてくるのは、赤色をした液体だった。
とめどなく溢れ、止まらない……それは血だった。
誰の?
問いかけたからか。残骸のバイタルガードが、独りでに解放された。
――アルマはそこから、目を離すことができない。
中からは、誰も出てこなかった。
当然だった。その中にはもう、誰もいない――もう、生きていない。
――アルマはそこから、目を背けることができない。
そこにあるのは、遺体だった。
そこにあるのは、死骸だった。
そこにいたのは、〝彼〟だった。
アルマは悲鳴を上げた。
「―――――――っ!!」
そしてその声で目を覚ました。
寒気がする。震えが止まらない――だというのに、体は内側から燃えるように熱い。心臓がどくどくと、破裂しそうなほどに脈を打つ。息ができないが、呼吸の仕方をすぐには思い出せなかった。自分が今どこにいるのか、そんなことさえわからない。
見開いた目の前には、何もなかった。壊れたノブリスの残骸も、血も――最後に見た、〝彼〟の姿も。ただの殺風景で真っ暗な部屋の片隅に、ぽつんとベッドが置かれているだけだ。
逆側の部屋の片隅で、膝を抱えてうずくまりながら。しばらくアルマは呆然としていた。
「……夢、か」
やがて、ようやくそれに気付くと、アルマは止めていた呼気を吐き出した。
嫌な夢だった――だが、最近では見慣れてきた夢でもあった。あのスバルトアルヴの騒動の日から、眠るたびに見るようになってしまった夢だ。
わかっている。あの日、〝彼〟は死ななかった。ノブリス〝スバルトアルヴ〟を不正規的に起動し、<マーカス>級ノブリスに〝浸食〟したメタルを殺しきった。彼はやり遂げて、生還した――はず、なのに。
夢の中で、あの少年はいつだって死んでいた。
(いや、違う……本当に、死にかけたんだ)
運がよかっただけだ。たまたま治療が間に合っただけ。彼はいつ死んでしまってもおかしくなかった。
今もまだ、覚えている。全てが終わったあの後で、救助された少年の姿を。死んでしまっているようにしか見えなかった〝彼〟を見た、その時の衝撃と絶望を。
それが全て、自分の愚かさが招いたことだという絶望を。
彼は生きている。それはわかっている。だがアルマの心は折れた。勘違いだったとはいえ、あの少年を死なせてしまった後悔に潰れた。死んでしまうかもしれないほどのケガを負わせた。その罪に耐えられなかった。
(私の、せいだ)
失敗した。
どうしようもなく、致命的に失敗した。自分なら、もっとしっかりできたはずだった。そのための知識ならあった。自分にはそれができるはずだった。
全部、自分のせいだった。
(……リム君にも、謝らなければならないのに……)
彼女の大切な人を死なせかけた。それもアルマの罪だ。
〝彼〟が目覚めたことはメッセージで彼女が教えてくれたが、それに何の返信もできていない。不義理なことをしている自覚はあったが、アルマには何もできなかった――
いや、とそこでアルマは暗く自嘲した。
怖かったのだ。自分の失敗と愚かさがもたらした結果に向き合うのが――そして彼と彼女からぶつけられる怒りと嫌悪が。迷惑をかけた、あの二人に向き合うのが恐ろしかったのだ。
だから、逃げ出した――それが更なる嫌悪を産むことをわかっていても。恐ろしいものに立ち向かうだけの勇気が、アルマにはなかった。
(こんなところでうじうじしていたところで、何も変わりはしないのに……)
自虐にまた自嘲するが、それこそ何の意味もないことでしかない。
こんなところで落ち込んでいても仕方がない。あの二人に詫びに行かなければならない――頭でわかってはいても、アルマの体は、意思は全く動こうとはしてくれなかった。
眠い。最近はろくに眠れておらず、体は眠りを欲している。だが眠りたくない。寝ればまたあの夢を見ることになる。睡魔と悪夢への恐怖に挟まれて、アルマはただ時間が過ぎるのを待った。
やがて――自分が起きているのか、眠っているのか、そんなことさえもわからなくなった頃。
「……?」
不意に聞こえたドアベルの音に、アルマは意識を取り戻した。
どうやら誰かが来たようだが、ここはレティシアの別荘――とは名ばかりの、住宅街の片隅にあるぽつんとある一軒家だ。
レティシア曰く〝隠れ家〟であり、たまの休日、誰にも邪魔されないようにゆっくりするための場所だと聞いている……が、それだけにここに来る者などレティシアか、その従妹でアルマに取っても幼馴染であるヤクトくらいのものだろう。
二人は家主とその親戚だ。用があるなら勝手に入ってくればいい……のだが、わざわざドアベルを鳴らすのは、アルマをほんの少しでも外に出そうとしているかららしい。以前無視したら何度も執拗にチャイムを連打された挙句、結局は乗り込まれた。心配するから顔だけは見せろと説教され、今は渋々そのようにしているが……
(放っておいてくれたら、楽でいいのに)
アルマはのろのろと立ち上がった。
重い足を引きずるようにして、寝間着姿のまま玄関まで向かう。
重い玄関を押し開けると、まず見えたのは薄闇だった。それで時間がまだ日も明けない早朝だと気づく。
次いで見えたのは――案の定な、見慣れたニコニコ顔だった。
「おはようございます、アルマちゃん。ご機嫌はいかがですか?」
最悪だよ。わかりきったことを聞かないでくれ――普段なら返すだろうそんな軽口も、今では口にする気にすらなれない。
そこにいたのは、やはりレティシアだった。制服の上に肌寒いから、ケープを羽織っている。
きっと濁りきっているのだろう瞳でどんよりとレティシアを見つめると、彼女はそっとこちらに手を伸ばしてきた。
壊れ物でも触るように頬に触れると、その触れ方と同じくらいに優しい声音で言ってくる。
「また少し、やつれましたね……ご飯はしっかり食べてますか? 睡眠はしっかり取れてますか?」
「……必要最低限は、取っている」
嘘だ。食欲などさっぱりないし、ろくに眠れてもいない。特に深刻なのはやはり眠りだ。眠いのに、眠りたくない。限界が来て気絶するように眠りにつくが、悪夢を見て悲鳴をあげながら飛び起きる。
そして、そんな嘘がレティシアに通じるはずもない。痛ましげに表情を歪めたレティシアから、アルマは目を背けた。
(頼むから、放っておいてくれ)
自分のせいだ。自分のせいで、〝彼〟と、その大切な人に迷惑をかけた。その詫びは絶対にする。恨まれる覚悟もしっかりと決める。だから、今だけは――
そんなこちらを見てレティシアはため息をつくと、自分のケープをアルマに羽織らせてから苦笑した。
「なまじ、頭が良すぎるというのも考え物ですねえ。ほとんど失敗しませんし、するようなこともしませんから、失敗そのものへの耐性がないというか……一回やらかすと人生の終わりってレベルまで落ち込んで……まあ、今回は大事になってしまいましたし、仕方ないところもありますけれど」
「……?」
そして唐突に頭上を見上げた。
「――とまあ、アルマちゃんの様子はこんな感じです。後、お任せしても」
「……は?」
それは、誰に対してかけた言葉だったのか。
答えはすぐにわかった。上から――おそらくは、屋根の上から――それが降ってきたからだ。
――〝クイックステップ〟。
それに乗る誰かが、レティシアに言った。
〝彼〟の声だった。
『あいよ、協力あんがとさん。それじゃあ借りてくぜ?』
「ええ、ご随意に。でも、そのまま出奔とか、日を跨いでの外出はご遠慮くださいね? でないと……妬けてしまいますので」
『そこまで長い時間出かけたりしねえよ。昼までには帰るさ――ってわけでな』
と。
呆然としているアルマのほうを、顔だけ動かして〝彼〟が見た。
『約束通り、説教の時間だ。付き合ってもらうぞ』
「えっ。あっ、いや――」
何かを考えたわけではなかった。ただ反射で、アルマは咄嗟に逃げようとした――
だが〝彼〟はそれを許さなかった。
いつの間に近寄ったのか。背後から覆いかぶさるようにこちらを捕まえると、包み込むようにこちらを抱きかかえる。
抜け出そうともがくが、〝彼〟の拘束は力こそ優しい割にさっぱり抜け出せない。
バイザー越しに〝彼〟が、耳元にささやいてくる。
『暴れんじゃねえぞ、危ねえからな』
「や、やだ。待って、待ってくれ。いったい何する気――」
『そいつは見てのお楽しみってやつだ……んじゃ、行ってくるわ』
「ええ。警護隊には周知してありますので、ほどほどにごゆっくりどうぞ」
そうして彼はレティシアの返答に頷くと。
アルマを抱えたままゆっくりと浮上し――そしてそのまま、彼方目指して飛び出した。
「う、わ、あ、ああ――わああああっ!?」
状況の変化に追いつけないまま、アルマは〝クイックステップ〟に抱えられて悲鳴を上げる――
いつぞや〝彼〟を〝誘拐〟した時とは逆のようだな、と。慌てる心の片隅が、他人事のようにそんなことを考えた。
1章幕間-1更新です。
もう1章分、アルマ視点の幕間が続く予定です。
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