1-4 救う?
翌日、ムジカは退院すると、独りそのままの足で学園に向かった。
リムも一緒に来たがったが、今日は平日。彼女は講義の都合もあり、今はいない。目的地は錬金科棟、アルマ班の研究室――というよりは、アルマだ。現在行方不明らしい彼女だが、彼女がいそうな場所でムジカの心当たりといえばそこしかない。
(話したいことが山ほどあるんだがな……)
スバルトアルヴで起きた騒動。彼女の決断と隠し事。説教の約束――そしてもしかしたら知っているかもしれない、アーサーのこと。他にもたくさん。聞きたいこと、言いたいことは山ほどある。
だがしこりのように心の内にあったのは、朧気にしか覚えていない彼女の泣き顔だった。
悪いのはお前じゃない……そう伝えようとして、だがうまくいかなかったことをかすかに覚えている。
(やらかしたのはスバルトアルヴの連中で、どうにかしなきゃいけなかったのはノーブルとかその辺の連中で……あんたが謝るのは、筋が通らんだろうに)
ため息をつく。
そして、ムジカは目的地であるアルマ班の研究室前で足を止めた。
研究室の扉には、ムジカがスバルトアルヴに旅立つ前と同じく〝面会謝絶〟の張り紙。中に人の気配がないのもあの時と同じだ。
さほどの躊躇いもなければ間を置くこともなく、ムジカは扉を押し開いた。
『――む? 助手よ、遅かったではないか。今時間あるかね? やりたい実験があるんだが――』
幻聴だ。いつもなら、そんな声と共にアルマが出迎えてくれそうなものだが。今日は、何の音もない。
中には誰もいなかった。真っ暗闇の室内が、ムジカの存在を検知してようやく照らされる。
視線は自然と壁際の大型マギコンとそのディスプレイに向かったが、普段ならそこにいるはずのアルマの姿はどこにもなかった。
彼女の行方不明は今も続いている。予想はしていたが、ムジカは嘆息した。
「さて、どうしたもんかね。探そうにも心当たりねえしな……」
今更だが、ムジカはアルマのことなどほとんど知らない。普段のプライベートなど特にだ。彼女の住まいは元よりこの研究室にいる以外で、彼女が何をしているのかなどさっぱりわからない。
そもそも振り返ってみると、彼女との付き合いはセイリオスに入学してからのたった二ヶ月程度しかないのだ。それも、この研究班を通しての付き合いだけ。となれば知らないのも当然といえば当然なのだが……
(となると、知ってそうなやつに訊くしかないか。人を頼るのは、あんまり好きじゃないんだけどな……)
だがそれしか手段がないのであれば仕方がない。リムが言うには、アルマはレティシアが匿っている可能性がある、らしい。ならば彼女に訊くのが一番手っ取り早いだろう――
と。
「…………?」
そんなことを考えていたところで、不意に腕時計型の携帯端末が鳴動。きょとんと見やれば、メッセージを受信したらしい。送り主は――
渡りに船とでも言えばいいのか。生徒会長、レティシア・セイリオスだった。
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「急にお呼び立てして申し訳ありません、ムジカさん……お加減は、いかがですか?」
「見てくれの通りだよ。今はもう特に問題ない」
戦闘科棟最上階にある、生徒会長室。ムジカがその部屋に入室しての、最初の会話がそれだった。
相変わらず殺風景な、書斎めいた部屋の奥。そこにあるデスクの先に、レティシアはいた。デスクの上には何やら紙束が積んであるが、ムジカが来るまではずっと仕事をしていたようだ。
その手を止めると、レティシアは席から立ち上がってこちらへと近寄ってくる。
きょとんと見ていると、彼女はこちらの手のひらを両手で包むように取り、まるで押しいただくようにその手を彼女自身の額に添えた。
そうして囁いてきたその声音は、かすかに震えていた。
「一日千秋とはこのことです。よく、ご無事で……」
(おおげさ、とは流石に言えねえか)
これも、心配をかけたということなのだろう。まるで祈るような彼女の姿を見ていると、その手を振り払う気にもなれない。
なにしろラウル曰く、死にかけたのだ。ムジカに自覚はあまりないが、話を聞く限り確かに死んでいてもおかしくはない状態だったらしい。
嘆息すると、ムジカは持っていかれた手をしばらく彼女の好きにさせた。
そうして黙っていること、十数秒。ハッとレティシアは手を離すと、恥じ入るように言う。
「す、すみません。はしたない真似を……!」
「いや、気にしちゃいない。心配かけてたなら、悪いのは俺のほうだしな」
レティシアとしては――あるいは淑女としてはなしな振舞いだったのだろう。それについては苦笑で流して、ムジカは改めて訊ねた。
「それで、用事ってのは?」
話したいことがあるから生徒会長室まで来てほしい、と。それが先ほどのメッセージの内容だ。ムジカとしてもアルマのことを聞きたかったため会うのはいいタイミングだったが、話をするなら彼女の用件を済ませてからだろう。
話を切り出すと、レティシアは表情を一転して曇らせた。
一度、躊躇うように視線を伏せ……そうして顔を上げると、ムジカの目を真っすぐに見つめて、言ってくる。
「……お願いします。アルマちゃんを……救ってくれませんか?」
「救う?」
今度の言葉は――大げさと言えるのかどうか。
わからないが、レティシアの顔は予想をはるかに超えて真剣だ。思い詰めている、とすら感じるほどに。
その顔のまま、レティシアは自身の携帯端末を操作した。
宙にホロスクリーンが投影されるが、そこに映っているのはどこかの部屋だ。見た目には普通の民家の、普通の一室のように見える。
カメラは上方から部屋全体を見下ろしているようだが、その光景はどこか監視映像じみていた。ただ気になるのは部屋の中が極端に暗いことだ。明かりもなく、カーテンも閉ざされている。かろうじてカーテンの隙間から差し込む光のおかげで、部屋の様子が見えないわけではないのだが……
と、レティシアがカメラの設定を調整したらしい。少しずつ、部屋の中が見えるようになる――
「……これは……」
端的に言って、ひどい状態だった。
といっても部屋の様子が、ではない。部屋自体は家具らしい家具もほとんどなく、がらんどうとしていた。散らかせるほどのものもなく、寝具やベッド程度しかないその部屋は、明らかに寝るためだけに用意された場所のようだが……
ベッドとは逆側の部屋の隅に、その少女の姿があった。
縮こまるように身を小さくして、膝を抱えて座り込んでいる――という表現も、正しいのかどうか。少女の体格からすればその部屋は十二分に広いはずなのに、彼女はまるでそこしか――あるいは、そこにすら――居場所がないかのように、身じろぎ一つしなかった。
眠っているわけではないのは、その少女の顔を見ればわかる。だが少女の目は長く泣いていたのか腫れており、そして目の下にはどす黒い隈がある。少女は起きているはずだがその目はうつろで、どこを見ているのかも判然としない。
「これ、アルマか……?」
やつれているという表現では足りないぐらいに憔悴しているその少女が、ムジカの知るあの〝マッド〟だと気付くのに、少し時間が必要だった。
「その通りです。アルマちゃんは今、私の隠れ家に匿っています……あの子は今、心のバランスを崩してしまっていまして」
「なんだってまたそこまで……?」
「あなたを、自分のせいで死なせてしまうところだったから」
ぽつりと、ささやくほどの声量でレティシアが言う。
「ムジカさん。アルマちゃんは普段はワガママ放題で傲岸不遜な態度ばっかり取ったりしていますが……その心は普段の態度やあの子の才能ほどには、強くないのですよ」
「……そうとも思えんところもあるが」
彼女の才能ほどには、というのは、調律者やノブリス・エンジニアとしてのずば抜けた能力に比例するほど、という意味か。
確かにそこまで彼女の心が強いと思ったことはない。歳に対して子供っぽいところもあるし、好き勝手喚いたり癇癪を起こしたりするところを見てきてもいるのでなおさらだ。
だが弱いかどうかで言うのなら、そうとも思えないのもまた実情だった。
何しろ、彼女はこの空のために――誰かのために、自分の命を使おうとしたのだから。〝誰かのために〟を実践しようとしたその精神性を、ムジカは〝弱い〟とは思わない。
そんなこちらの内心を見抜いたのだろう。その上で、レティシアは首を横に振った。
「強い、弱いでは表現が不適切かもしれませんね。アルマちゃんは……言うなれば、繊細なんです」
「繊細?」
「自分が死んでしまうことは諦められても、人が傷つくことには耐えられない子です。ましてや、それが自分のせいとなれば……罪の意識に耐えられない。自責の念が強いのですよ」
「別に今回の件は、あいつのせいじゃないだろう?」
「でも、ムジカさんを巻き込んだのはアルマちゃんでしょう?」
アルマはスバルトアルヴの〝炉〟に向かうために、ムジカを利用したと言っていた。自分だけでは〝炉〟に辿り着くことはできないからと、懺悔のようにそう言った。
ムジカとしては、利用されたこと自体にはあまり思うところがない。傭兵だから、というのもあるが、相手にも事情があれば仕方ないと思えてしまうからだ。だからそれ自体は別にどうでもいい。
気に食わなかったのは、アルマの目的が最初から〝自殺〟であったことだ。自分にしかできないからと、自分しか気づいていなかったからと、自らの生を諦めた。
それが気に食わなくて、だから何もかも全部ひっくり返したのだが。
「あれでアルマちゃん、結構責任感が強いというか……気にしいなところがあるんですよ」
「気にしいなところはわからんが、責任感が強いは嘘だろ。あいつ、貴族としての責務放り捨ててるって言ってたぞ?」
貴族の嫡子として生まれたが、後を継ぐのが嫌で放り投げたとか家出したとか。そんなことをいつぞや聞いた記憶がある。
ただ、アルマは調律者の一族だ。その話を聞いた当時は疑問に思わなかったが、本来調律者は管理者と並んで重要な存在だ。
答えは、レティシアの苦笑だった。
「ああ、それは少し欺瞞というか……話してない裏の事情があります。貴族の――アルマー・エルマの嫡子としての責務に背いたのは、まあ事実なのですけれど」
「……なんかあんのか?」
「アルマー・エルマの特殊性、とでも言いましょうか……ムジカさんがどこまでご存じか知りませんが、元々アルマー・エルマはアルマー家とエルマ家、セイリオスの調律者から分かたれた、二つの貴族家の総称です。アルマー・エルマの当主はこの二家の中から選ばれます。その一方で……アルマちゃんはアルマー家の子でも、エルマ家の子でもありません。〝アルマー・エルマ〟の子なんです」
「……あん? どういうことだ?」
「アルマーの父とエルマの母を持つ、血筋的にはもっとも純粋なセイリオスの調律者、ということです」
そこで一度言葉を区切ると、レティシアは自身の背後――外へとつながる窓を見やって、
「ご両親は不慮の事故で亡くなられ、アルマちゃんはエルマの一族に引き取られました。そしてその能力を発露させたことで、エルマの一族は彼女を次期アルマー・エルマの当主へと推し始めました。血筋という意味では、そちらのほうが正しい。ですが、慌てたのがアルマー家です。次代のアルマー・エルマは、アルマー家の者がなると決まっていましたから。それが、アルマちゃんを推すエルマ家との諍いになって……」
「うんざりしたあいつが、責務ほっぽり出して家出したと?」
「うんざりというか、本来の継承者からその権利を奪うのを嫌がったんだと思います。横紙破りになりますし。なのでアルマーとエルマ、双方とアルマちゃんとでバチバチにやりあった結果、あの子は半ば勘当の扱いとなりました。それを露悪的に、責務から逃げ出したというように言ったのでしょう」
アルマの言っていたことの真相は、そんなものらしい。本来なら受け取れたかもしれないものを、誰かから奪わないように逃げ出した。
ムジカは、内心でひっそりと苦笑した。
(そいつは、責任感とは少し違うな。それで心が強くない、ね……)
誰かに損をさせるくらいなら、自分が損を背負う。誰にもできないなら自分がやる。それを責任感と呼ぶのは聞こえが良すぎる。
何故なら、アルマの行動の根幹には諦めがあった。であればそれは、犠牲の強要と何も変わらない。自己犠牲を受け入れれば全てが円満に終わると思うのは、ある種の安直な甘さと言えた。
あるいは、それを甘んじて受け入れられることを優しさと言うのかもしれないが……
(でもそれって、結局はあいつが割り食ってるってだけだろ?)
今度は表に出して苦笑すると、ムジカはレティシアに告げた。
「事情はわかったよ。まあ、こっちとしてはちょうどよかったかな。救えって言われても何をどうしろってところではあるけど、アルマのやつには言ってやりたいこともたくさんあったし……ったく。自己犠牲なんて、けったくそ悪いことしやがって」
と。
「……ムジカさんが、それ言いますか?」
「……あん?」
ふと気付いて、ムジカは目をパチクリとした。
何にかといえば――レティシアの目が、いつの間にか据わっていたことにだ。
凝視、と呼ぶのも生易しいほどにがっちりと、その目はムジカを見据えている。彼女の顔に微笑みが浮かぶが、その笑みに感じたのは寒気と圧だ。視線に射竦められて、思わずぎくりと体が硬直する。
そんなこちらにレティシアは更に微笑むと……距離を詰め、体を突き出すようにしてこちらの顔を覗き込んで――
間近からたおやかに、だが瞳を陰らせて、ささやいてくる。
「やってはいけないような無茶をしたことを、忘れていませんか? ご自分が死にかけたこと、お忘れになっていませんか?」
「い、いや。忘れちゃいないが……別に俺は、自分を犠牲にするつもりなんて欠片もなかったし――」
「つもりがあろうがなかろうが、やったことは自己犠牲そのものでしょう? どの口が言っているのですか? 私もノーブルですので、〝必要ならば仕方ない〟という考えは理解します……が、アルマちゃんもアルマちゃんなら、ムジカさんもムジカさんだということ、ご自覚くださいね?」
「お、おう」
目の前に迫る美人の笑顔に気圧されて、ついムジカはたじろいだ。
そんなこちらを目だけは笑っていない笑顔で、じとっとレティシアは見つめてくるが……
ため息をつくと身を引いて、呆れたようにこう言ってきた。
「〝まったく〟は私たちのセリフなんですよ、ムジカさん。たくさんの方が、あなたのことを心配していたんです。もちろん、私も……泣かなければ、伝わりませんか?」
「勘弁してくれ……悪かったよ」
リムたちにも言われたことだ。ムジカは素直に降参した。
それに対してのレティシアの反応は、困ったような微笑みだった――
ただ、素直に許してくれるわけでもなかった。
困ったような笑みから一転。笑顔に怪しいものを混ぜ込んで、彼女はこうささやいてくる。
「次は、ありませんからね? もし次があったとしたら……セイリオスから出ていけないように、首輪で繋いでしまいますから」
「やめろ。あんたが言うとシャレにならん」
「ええ。もちろん、シャレになりません」
にぃ……こり、と。
それはもういい笑顔で言ってくるレティシアに、ムジカは頬を引くつかせた。ムジカは冗談にもならないという意味で〝シャレにならん〟と言ったつもりだが、レティシアのはこう聞こえたのだ。
――冗談にするつもりはありません。
無茶できない理由が増えたことに、ついため息をつく。
なんにしても、その話はそこで終わりだ。ムジカは話を元に戻した。
「とりあえず、何するにしてもまずはアルマだな。話がしたい……呼び出せるか?」
「部屋からほとんど出てこないので、呼び出すよりは迎えに行ったほうがいいですね。今から行きますか?」
「そうだな……いや」
ふと思いついて、ムジカはにやりと笑った。
「ちょっと、工夫するか。少し時間もらってもいいか?」
訊ねた視線の先で、レティシアがきょとんと首を傾げた。
1-4章更新です
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