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1-1 アニキの――ばかあぁぁぁっ!!

 ――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――


(――……?)


 こぽり、ごぽりと水の中。得体の知れない緑色の液体に閉じ込められた中で。ムジカはぼんやりと、その声を聞いていた。音はくぐもってぼやけ、ハッキリとは聞こえない――どころか、自身の意識さえまどろみの中を揺蕩うように、定かではない。

 だというのに、その声だけはしっかりと聞こえる……

 その声は泣いていた。泣いていたのは少女だった。いつもは傍若無人に尊大で、勝手でワガママ放題で、誰が相手でも自分のペースを崩さないような――

 そんな少女が今、緑色の液体の先、こちらとあちらを隔てるガラスめいた壁に縋りついて泣いている。


(泣くな。あんたのせいじゃない――)


 そう告げた、つもりだった。

 だが代わりに口から漏れたのは泡だけだ。取り付けられた呼吸器から、ごぽりと空気が水の中に零れる。 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――縋りついて泣き続ける少女に何もしてやれぬまま、ムジカの意識は微睡みの後に、闇へと消えた。

 その後のことは覚えていない。何度か曖昧な覚醒と暗転を繰り返した、気がする。夢を見ていたようなもので、自分が起きていたのかどうか、それが現実だったのかさえもよくわからない。

 見覚えのある顔を何度か見た気もするのだが……それが誰だったのかも、まどろみの中では区別がつかなかった。

 ただ一つ、わかったのは――あの泣いていた少女を見たのは、〝その時〟が最後だったということだ。

 そして。


「――…………?」


 夢から覚めるように、すっと。

 ムジカは目を開けた。

 見慣れぬ天井に、真っ白のベッド。かすかにほんのりと漂って鼻をくすぐるのは、薬品の匂いだろうか。周囲は静かだが、人の気配がないわけではない。どことなく覚えのある空気だが、ムジカが連想したのは病院だ。

 少し前、入院させられたのがこの部屋だったような――……

 と、そんなことを考えていた時だった。


「――よお、クソボケナス。ようやく起きやがったか」


 横からぬっと、いかついツラをした大男が仏頂面でこちらを覗き込んできたのは。

 視界の半分ほどをその顔で占拠して、大男が訊いてくる。


「体の調子は? 気分はどうだ?」

「……ラウル、か……?」


 質問に答えなかったのはわざとではなかった。ただ乾いていた喉を無理矢理開いたせいで、ムジカは痛みにせき込んだ。

 と、そうなると察していたのか、ラウルが無駄に準備よくコップを渡してくる。その中の水を一息にあおると、ムジカは喉の調子を整えてから口を開いた。


「ここは、どこだ――スバルトアルヴはどうなった?」

「覚えてないのか?」

「記憶に自信がない。あのポンコツ――〝スバルトアルヴ〟を起動するまでなら覚えてるんだがな」


 スバルトアルヴ――魔道具としてのメタル利用に手を出して、滅んだ浮島。そのスバルトアルヴを滅ぼした敵を倒すために、戦いに臨んだ。思い出せる最後の記憶がそれだった。

 そこから先の記憶はあいまいだ。戦っていた最中の記憶はほとんど覚えておらず、思い出そうとすると頭痛がする。脳裏に残っているのは断片的な光景ばかりで、自分が敵とどんな戦いを繰り広げたのかさえあやふやだが。


「……あのメタルはどうなった?」

「答えるのはやぶさかじゃないが……お前さあ。目覚めて最初に訊くのが仕事のことってどうなんだ?」

「答えてくれよ、大事なことなんだ」


 呆れたように言うラウルに、ムジカは焦燥感を募らせながら言い返した。

 思い出していたのは、戦闘に出る前にあの少女に――アルマに告げた言葉だ。

 ――どうせ死ぬ気だって言うんなら、俺がしくじった後で死ね。

 やりきったはずだ。不思議とその感覚はある。だがそれでもやはり最後の記憶はない。だからこそ、自分はやりきれたのかどうかを知らねばならなかった。

 対するラウルの返答は……心底あきれ果てたかのようなため息だったが。


「あのメタルなら死んだよ。お前が殺した。スバルトアルヴのメタルハザードも完全に鎮圧されたよ。もう一週間も前のことだ」

「一週間も?」

「そうだよ。つまりお前は、一週間寝っぱなしだったってわけだ」


 何度か起きたかと思えば、白目向いてうわごと呟いてぶっ倒れるし……などとぼやいてから、ラウルは先を続ける。


「ひとまず状況を先に説明しておくと、スバルトアルヴは完全に滅んだ。今はアールヴヘイムが無人の浮島を制御してるが、この後どうするかはまだめども立っていない。今回の騒動は空歴史上類を見ないほどの大事件になった……だからってわけでもないんだが、ラウル傭兵団は今回の騒動とは無関係の立場を取ることになってな」

「……あん? 無関係って、どういうこった?」

「俺たちはレティシア嬢の護衛を任された、単なる雇われ傭兵に過ぎないってことだよ。彼女を守ってただけで、騒動とはほぼ関係ないってことだ。ついでに言っとくが、お前とアルマ嬢はあの騒動には関わってない――つまりあの場にはいなかったってことにしたからな。そこ、覚えとけよ」

「どういうこった?」


 さっぱり意味がわからない。ムジカもアルマもあの騒動の関係者だ。それは間違いない――アールヴヘイム側からすれば、意味のわからない乱入者と見られてもおかしくはないのかもしれないが。

 それが騒動には関わってないということになったのは、どういうことか。

 きょとんと首を傾げた先で、ラウルはまたため息をついた。

 なんでか恨めしそうにこちらを睨んで、言ってくる。


「お前が<デューク>――〝スバルトアルヴ〟を動かすなんて無茶したせいだよ」

「……あれ、そんな問題になることなのか?」

「大問題だよ。とんでもない大問題だ……が、それがなんでかとかは聞くなよ。お前が知るべき話じゃないし、話が広まると非常にややこしいことになる……必要な処置だったとはいえ、アルマ嬢がスバルトアルヴを消し飛ばそうとしたこと自体も本当は問題なんだ。だから、それらは〝なかったこと〟にすることになった。そっちのほうが話がこじれないで済むからな。文句言うなよ」

「……俺はまあ、別にいいけど」


 つまり、政治の話というわけだ。

 ラウルの口ぶりからすると、おそらくはあの場にいた関係者――アールヴヘイムの連中とそういう取り決めになったのだろう。ムジカに否やはない。

 だが。


「……アルマのやつは?」


 彼女は、それでいいのか。

 あるいはその質問はそのことではなく……彼女が今、どうしているのかを聞いたのかもしれないが。

 ムジカ自身どちらの意味で訊いたのかわからないでいる間に、ラウルは前者に対する答えを口にした。


「アルマ嬢には既に承諾を得ている。彼女もそのほうが都合がいいことを理解しているからな。ただ……」

「……ただ?」

「……いや、今はいい。後で話す」

「……?」


 妙に歯切れの悪いラウルを怪訝に見やる。その顔はこの大男には珍しく、何かを悔やんでいるように見えたが……


「それよりも問題はお前だ、お前。言っとくがお前、今回はガチのマジで死にかけたんだからな?」


 ラウルは露骨に話題を変えると、再び呆れたような表情を作ってこちらを睨んできた。

 思いっきり顔をしかめて、噛みしめるようにゆっくりと告げてくる。


「腕とか足とか体中の骨がバッキバキにへし折れてるわ、全身内出血だらけで背中は大やけどの上に皮膚が剥がれて大出血だわでよ。内臓もいくつか破けてるわ肺に穴開いてるわ、魔力も完全に枯渇してとんでもない熱出すわで散々だ。術式フル稼働させた最新型の医療用ポッドに三日四日漬け込んでも治りきらねえとか、お前、今回はマジでよっぽどだったんだぞ?」

「そんな状態だったのか? 聞いてる限り、よくそれで死んでねえなって気もするけど」

「死にかけてたんだよ本当に!! だから最初に体のこと訊いたんだろうが。お前、体は本当に大丈夫か? 気分悪いとかねえだろうな?」

「気分?」


 改めて問われて、ムジカはきょとんと自分の体を見下ろした。

 何とはなしに背中を見ようとしたりなどして体に異常がないか確かめるが、痛む箇所どころか違和感のあるところすらない。最新型の医療用ポッドというのが伊達ではなかったのだろう。体の調子はすこぶる良好なようだった。

 ついでに言えば、ムジカはどうやら仕事をやりきれていたらしい。あのクソボケメタルの最期を覚えていないことだけが惜しかったが、倒した確証を得られたのは悪くない。

 内心まで含めて自身の観察を終えると、ムジカは極めて素直に返答した。


「気分は不思議と、すっきり爽やかだな」

「……………………」


 対するラウルの反応はと言えば――


「お前……お前さあ……」


 凄まじい苦虫でもかみつぶしたような、凄まじく苦そうな顔だった。


「死にかけて、人に心配かけさせまくっておいて出てきたセリフがそれなのマジか?」

「んだよ。気分訊いてきたのはそっちだろ? 体の調子は悪くねえし、怪我も治ってるんなら言うことないし。それにあのメタルだって、あの状況で倒せたなら大金星だろ。放置できない、倒さなきゃならんもんぶっ倒した。そら気分もすっきりってなもんだ。そうだろ?」

「それはそうかもだが。そうかもしれんけどさあ……もう少しこう、空気というか、デリカシーというかをさあ……」

「?」


 呆れを通り越して嘆き始めるラウルに、だがムジカは理解が追いつかない。

 ぽかんとしていると……不意にラウルは何かを諦めたように、一度深々と息を吐いた。

 そしてぽんとこちらの肩に手を置くと、真顔でこう言ってくる。


「よしわかった。お前、この後しっかり説教されろ」

「あん? 説教?」


 なんで? と思わず首を傾げる。

 と――ラウルは無言のまま、振り向きもせずに自身の背後を指さした。病室の入り口のほうだ。

 そちらを目で追いかけて、ムジカは思わず絶句した。


「……………………」

「……り、リム?」


 物凄い形相でこちらを見ている、リムと目が合った。

 真ん丸な目を更に真ん丸に見開いて、その目じりには涙が溜まりつつある。

 だがラウルとの問答も聞こえていたのだろう。その目はみるみる吊り上がっていき――


「一応年長者として言っといてやるけど、お前、その無神経さはいつか自分を殺すからな? 俺はもう知らんぞ。人に散々心配かけさせといて、反省のそぶりも見せずにアホなこと言った報いを受けろ」

「い、いや待て! 俺今回は別に――」


 悪いことしてないだろ、と続けるつもりだったのだが。ムジカは最後まで、その言葉を続けることができなかった。

 何故かといえば、音が聞こえたからだ。

 すぅっ……と、深く息を吸う音が。その小さな体にどれくらいため込んだのかと思うほどの呼吸の音が。

 察したラウルが距離を取るが、ベッドの上のムジカは逃げられない。慌てて向き直れば、涙混じりの目に力を込めたリムが、キッとこちらをまっすぐ睨んで――


「……アニキの――ばかあぁぁぁっ!!」


 どこからその声出てんだと思うほどの大音声――そしてその後のどれだけ心配したかという泣きながらの説教に、ムジカはひたすら身を縮こまらせた。

1‐1章更新です

前回から新章始まってますが、更新はおそらくスローペースになる予定です。

前回までと比べると一週間に1回投稿できるかどうかくらいの頻度になると思いますが、引き続きお付き合いよろしくお願いします

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25/5/31
6月17日発売予定の書籍版ノブリス・レプリカ、書影が公開されました。
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― 新着の感想 ―
周囲の心情はさておきムジカが無茶をやり通さなかった場合 どのぐらいヤバい状況になってたんだろう
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