4章 プロローグ
滅んだ浮島の名はスバルトアルヴ。もはや残骸しかないその島の最奥部、〝炉〟にて――
「――ダメですね。ここ数年の、全てのログが抹消されています」
「まあ、予想通りではあるね」
浮島〝グリムテラー〟の御曹司、ラスター・グリムテラーは苦笑混じりに配下の男にそう返答した。
周囲には、誰もいない。強いて言うなら自分と、グリムテラーの調律者である配下の男が一人だけ。それは幸運なことではあったが、一方で無意味な空振りの気配を感じなくもない。
〝炉〟の水晶壁に触れる調律者は、その操作を続けながらもため息のように言ってくる。
「復元は不可。バックアップ領域のデータまで執拗に消されている……上に、その消去のログもない。何をやったらここまでキレイさっぱり消せるのかがわかりませんね。どうやらこれをやったのは、私より数段は上の使い手のようで」
「……そんなやつがいるの?」
「どうやら、いたようで」
男の言葉は素っ気ない。が、そこに感情がないかというと、そんなことはない。
何しろこの男、郷里では天才を自称するほどの技術者だ。調律者として自分以上はいない、などと豪語するその明晰さを、ラスターはそこそこ信頼していた。自称天才などろくでもないやつばかりだが、そんな中での信頼だ。事実、グリムテラーに彼ほどの技術者はいない――
そんな男の敗北宣言だ。流石のラスターも目を丸くするが。
存外、男は気にしていないらしい。少なくとも悔しがるような素振りはサッパリ見せず、淡々と言ってくるのみだ。
「以前、スバルトアルヴに〝視察〟に来たこともありますが。彼らにコレができたとは思えませんね。彼らにそれほどまでの力は感じなかった」
「その彼らも、どうも全員死んでるようだしね……となれば、やっぱり第三者か」
そいつが誰かは知らないが。そいつがスバルトアルヴで何が起き、どのような経緯でここが滅んだのか。その全てを隠ぺいした。
出遅れた、のだろう。ラスターはそれを知るために現在、このスバルトアルヴに潜入しているのだから。
――スバルトアルヴ滅亡の報を受けて、まだ二日目のことである。
誰よりも先んじて、その情報を入手したのが自分たちだという自負がある。だからこそラスターは他の浮島の目を盗み、独断専行の形でこの島の調査を開始した。
本来なら、待っていてもよかった。どうせこの後、各島との合同でこの地の調査が行われる。そして必要な情報は全島で共有されるのが常だ。このような形で抜け駆けする必要はなかった――何故ならそれは、危ない橋でしかないからだ。抜け駆けを良く思わない者は――当然ことながら――多い。度が過ぎれば白眼視もされよう。
それでもそうしたのは、ラスターには予感があったからだ。今でなければ必要な情報は手に入らないという予感が。
(メタルに敗北したという、ただそれだけのことなら気にもしないんだけどね……)
それだけなら浮島の基幹システムから、数年分のログを消したりする必要はなかったはずだ。それをしたのが管理者か調律者かは知らないが、彼らは意図して記録を消した。その意図が何かはわからないが……
嘆息すると、ラスターは配下の男に告げた。
「引き上げよう」
「よろしいので?」
「ここで出てくる情報はもうないんだろう? なら、時間の無駄だよ」
「痕跡を残さずに、となるとここいらが潮時ですか」
「そろそろ逃げないと、ご同類とバッティングしかねないからね。僕らはただ知りたいだけだ。不和を望んでるわけじゃない」
告げるが、男は明らかに不満そうだ。どうやらまだ見ぬ誰かへの敗北が気に食わないらしい。消されたログをどうにか復旧できないかと苦闘していたようだ。
ラスターが気にしていたのは、ここから最も近場の浮島であるアールヴヘイムのことだ。やはり近いからか、既にアールヴヘイムの船団が島外に展開している。ただし今回の事情を知ってか知らずか、彼らは島外で待機するのみだ。彼らの目を盗んでスバルトアルヴに上陸したが、長居すれば彼らに潜入を気づかれかねない。
見つかれば、何を言われるかわかったものではない。それを想像したからか。存外配下も素直に引き下がってみせた。
「仕方ありませんね。私もあなたもお互い、時間に余裕があるわけではありませんから」
「僕もそろそろ、学園に戻らないといけないからね……さっき拾った、アールヴヘイムのノブリスの残骸。アレのログがあれば十分だ」
「本当は、もう少し情報が欲しいところですが……承知しました。帰り道にもし他の機体が落ちていたら、そちらのログも盗む程度で納めますか」
「機体を持っていけたら楽なんだけどね。火事場泥棒はやめておこう。ヘタこいて恨まれるのは割に合わない」
告げるが早いか、男は〝炉〟の水晶壁を高速で操作し始める。記録を消した誰かと同じように――というわけでもないのだろうが、自身がここにいたという記録を消したようだ。
そうして二人、無人の浮島から帰路につく。
収穫はあった。最低限の収穫だ。物的証拠は何もなく、ただ情報を抜いただけ。
(メタルに乗っ取られたノブリス――ノブリスを食らう術を覚えたメタル、か……)
この浮島を滅ぼしたのだろう、メタルに浸食されたノブリス。ラスターが手に入れたのはそれが繰り広げた戦闘の情報だ。
この事件を隠ぺいしようとした者も、流石に見落としたのだろう。戦闘で撃墜されたノブリスのログだけは、消されずにそのまま残されていた。搭乗者が死した後も、しばらくは残存魔力で稼働を続けていたらしい。地に臥した機体は見難くこそあったが、戦闘の光景の一部を捉えていた。
メタルに乗っ取られたノブリス。それとアールヴヘイムの御令嬢を筆頭とした、ノブリスたちとの戦闘。参戦したラウル傭兵団の<ナイト>。そして――
(明らかに、管理者の血統が乗っていなかった<デューク>……ノブリス〝スバルトアルヴ〟)
わざわざレギュレーターまで積んで、不完全な状態で機体を動かしていた。管理者の血統が乗っていたのなら、<デューク>であの無様さはあり得ない。すなわち、乗っていたのは管理者ではない――
それが、何を意味するのか。
(収穫はあった。〝適格者〟が本当に現れたのか、どうか……可能性が出てきた。先んじたのは、アールヴヘイムの御令嬢かな? 彼女に出し抜かれるのは癪だな……)
〝適格者〟。それはこの空を維持し続けてきた〝管理者〟の血族が、待ち続けてきたものだ。
それが何かは知らず、その存在が何を成すのかも知らず。だがそれでも、その存在を待ち続けろと使命を与えられてきた。全ての管理者はそのためだけに生きてきたといってもいい。
ラスターは、皮肉げに頬を吊り上げた。
「――僕らが何のために〝在る〟のか。僕らは、それを知りたいだけだ」
そう簡単には割り切れない。大人ほどには――親や祖先たちほどには。
この探求心には恨みがある。何も明かされず、ただ責務を課される者の恨みが。
あるいはそれは、切実な祈りだ。自らの行いが、無意味でないことを求める祈り。
何しろ我々は……この空が生まれた数百年前からずっと、その時を待たされてきたのだから。
新章「誰がための責務」編、開始しました。
ただ書き溜め等はゼロストックのため、低速進行&思い付き改稿など多々あるかと思います。
それでもよろしければ、お付き合いよろしくお願いします。





