5章幕間-2
アーサーはしばし、呆然と目の前を見つめていた。
文字通りの意味で、人類最後の砦――名前などない。つける価値もない――の、最奥。仮設司令部なる館の名ばかり指令室にて、彼は自分が今見たものが何だったのかを自問していた。
目の前には誰もいない……が、網膜に焼き付いたその姿は、簡単には忘れられそうにない。
「血塗れで、明らかに死にかけの少年……?」
としか、言いようがなかった。
口や鼻からだけでなく、目からも涙の代わりに血を流し、腕や足は変な方向に曲がっていて、背中から魔術でも受けたのか、火傷やら出血やら内出血の痕やらが体中に刻まれた、奇妙な少年。
その少年が生きていると気づかなければ、アーサーは彼を亡霊か何かだと勘違いしたに違いないが……
(どうやら、未来が願った通りに平和で健やかってことはなさそうだ)
理解できなかったのは、なんでそんなものがこの〝目〟に映り込んできたのかということだ。
正直なところ、アーサーの〝未来視〟はさほど強力ではない。それは見たい未来を確実に見る〟ことができないからだ。力を制御できず、特に視えた未来が〝いつ〟なのかがわからない事も多い。
彼の未来視は時折平然と遥か先の未来を見せる。今回の〝遺言〟もそうだ。アーサーが死んだ後の、遥か未来を彼に見せた――だが、今回ばかりは狙い通りであった。
それはこのメッセージを彼ら彼女らが聞く未来だ。アーサーは過去からこの遺言を聞く彼らを見た。この遺言を未来から聞く彼らをだ。
何百人もの〝管理者〟が一斉にこちらを見ていた。その時点でアーサーの未来視は〝未来視〟としては失敗している。時間が重なってしまったのだ。それは間違った未来視の使い方だった。
まあ、それはいい。おかげで伝えるべき者たちにメッセージが伝わったことは理解できた。
といっても、大したことは伝えなかった。管理者たちには〝使命を果たせ〟、調律者の少女には〝もう少し人を信じてほしい〟、そして〝適格者〟の少女には〝キミ、後はよろしく〟だ。情報らしい情報はほとんどないとなれば、メッセージとしてはろくでもない。
だがそれでいいのだ――伝えすぎれば未来が変わる。不用意に背負わせたら何もかもが破綻する。だからこそ、アーサーは彼らに最低限しか言葉を遺さなかった。
それで十分だとわかっていたからだ。
「つまりは、丸投げってことだけどな。俺たちはろくでもないご先祖様だ」
そんなことを苦笑と共にぼやいて、だがと彼はすぐ苦笑を消した。
最後にあの少年が見えた意味が、やはり見つからない。
彼は明らかに意味のない〝ノイズ〟だった。
「――アーサー。今いいか?」
と――ノックの音とそんな声が聞こえてきて、アーサーは物思いから覚めた。
応答も待たずに部屋に入ってきたのは、長い銀髪の美丈夫だ。整った顔立ちは女と見間違うほどに美人だが、その長身と程よく筋肉のついた体は彼を女とは錯覚させない。ついでに言えば、おおよそこの世で五本の指に入るだろう程度には強い戦士だ。
その男――<王>の資格を持つ従兄ロイは、指令室に入るなり顔をしかめた。
彼が見たのは、アーサーの前にある水晶球型の魔道具だ。そちらからこちらへと視線を向け直して――ただし眉間のしわはそのままに――言ってくる。
「お前、まだメッセージを撮ってなかったのか? そろそろ時間がないとわかっているだろう。この期に及んで何を迷っている? 伝え方がわからないなどと、バカなことは――」
「なあ、ロイ」
その彼の、いつもの小言が始まる前にアーサーは訊いた。
「お前、<デューク>のプロテクトは完璧だって言ったよな?」
ロイは訝しげに片眉を上げたが、すぐに答えてくる。
「<デューク>……ああ、浮島に託す予定のアレらのことか。当然だ。人類の未来を預けるのだぞ? 不用意に生半可な者に乗られて〝真実〟を触れ回られては困る。条件に適合しない者が乗っても、システムはその者を拒絶するだろう」
「……だよなあ? 俺もあのプロテクトは確認したし。普通なら、メッセージが届くはずがない……んだけどなあ」
「……? アーサー。お前、何を視た?」
今度は眉根を寄せて、ロイが怪しんでくる。
さすがにこの件を隠し通す気にはなれず、アーサーは早々に白状した。
「メッセージはさっき撮った。未来視も交えながらな。いつも以上によく視えた――定義した通りの条件で、俺を視た者たちが視えた。メッセージは、望んだ者たちにしっかりと伝わる。それは間違いない」
「……? なら、問題ないだろう?」
「イレギュラーが俺を見ていた」
その言葉に、またロイが片眉を上げた。
「……それは、そうだろう? 私たちは適格者を――特異個体を待つために人類を空へ逃がすのだ。私たちがやるべきことを果たして、弱体化したメタリアル・ライブズをいつか彼女が討つ。そのために私たちは彼女へ託すのだ。現れてくれないと困る――」
「違う。俺が言っているのは、正真正銘の〝例外〟だ」
ロイの言葉を遮って告げると、さすがの彼も硬直した。
眼を見開いてこちらを見る彼に、改めて告げる。
「資格のない者が俺を見てた。俺たちが想定した〝特異個体〟――〝適格者〟じゃあない。完全な例外だ。目が合って、つい〝誰だお前〟って言っちまったよ。答えが聞けるはずもないのにな」
「…………」
「未来ではどうも、俺たちが想定しきれなかった事態が起きるらしい。どういう理屈でプロテクトを突破したのかがわからん。それがいいことなのか、悪いことなのか……」
実際にどうプロテクトを突破した――いや、未来のことなのだからこれからする――のかは、アーサーにもわからない。
特殊な血、つまりは血縁か魔力量、後はいくつかの例外規定。プロテクトは条件にそぐわないものを無差別かつ徹底的に排除する。そして短時間だが見た限り、あの少年にそれを突破するような素養は見つからなかった。
なのに、プロテクトを突破した。
その方法もだが、それが何を意味するのかが、全くさっぱりわからない。
しばしの沈黙を挟んで、ため息交じりにロイが言ったのが、これだ。
「……どうする? 今からならかろうじて間に合う。システムのプロテクトを見直すか?」
「…………いや。やめておこう」
「……本気か?」
「どうかね。どっちかといや茶目っ気のが強い気もするが」
「おい」
睨まれるが、今度はこちらが肩をすくめる番だった。
「〝適格者〟でさえ運頼みなんだ。彼女がいつ現れるかもわからない。条件を厳しくするにしたって、今の時点でギリギリなんだ。迂闊に条件は変更できんよ。それなら、たった一人分の不確定要素は許容したほうがいい」
「……随分と、ギャンブルをするな」
「どうせならってやつさ。歓迎してやろうじゃないか。何か起こしてくれるかもしれんぜ?」
「何かやらかすほうを危惧するべきだと思うが」
「たった一人のやらかしでどうにかなっちまうってんなら、その程度の計画だったってことさ」
言いながら、自分で口にした皮肉に内心で苦笑した。おそらくは、ロイも気づいて苦い気持ちになったことだろう。
なにしろ、今がそういう事態なのだ。
たった一人の男の家族愛が、憎悪に歪んで世界を滅ぼすきっかけとなった。
(あのクソオヤジめ……ちっとは頭使えってんだよな。派手に負債だけ遺してぽっくり殺されやがって……)
既にこの世を去った、元王とかいう肩書のバカ野郎を呪う。そもそもの話、あのバカが調子に乗って宮廷魔術師どもをそそのかしたりしなければ、こんな事態にはならなかったのだ。
と、ふと思い出して訊いた。
「<勇者>のやつは、今何してる?」
言いながら、アーサーが見やったのは窓のほうだ。外の景色。ここからでは見えないが、その先に故郷があるはずだった。
メタルに犯された、かつての故郷。失った――もう取り戻せない過去。
同じほうを見やりながら、ロイが言う。
「奴なら変わらず敵のいるほうを見据えているよ。一切喋らず、無口で……私には、未だに奴のことがよくわからん」
「そう言ってやるなよ。世が世なら、お前がアレに魔王退治を頼む立場だぜ?」
「幻想を現実に混ぜ込むな。魔王などいない……巻き込まれたことに同情はするが」
だが<勇者>はいる。今度は肩をすくめなかったが、やはり皮肉な気分ではあった。メタルは魔王みたいなものだと思えば、人々が〝勇者〟を求めるのも道理ではある。
惜しむらくは……その〝勇者〟は何者でもない、ロイが言った通りに巻き込まれただけの平民に過ぎないということだが。たまたま魔力適正が高かったというだけで、この地上に残ることを強制された。
それでもなお彼は戦うのだから、〝勇者〟の名は彼にこそふさわしい。
「……それで? 結局、何の用だったって?」
逸れた話を本題に戻す。
結局、ロイの本題は短かった。
「決行日は明日だ。浮島のほうの準備が整った。遺言を取り終えたのなら転送してとっとと寝ろ。明日はお前頼みなのだからな」
それだけ言い終えると、彼は指令室から出ていった。
大方、この後配下たちの元に顔を出すのだろう。というより、まさしく今がその時なのか。
彼がアーサーたちの王だ。真実、最後の――そしてきっと、歴史に名を遺すことのない。敗北と共に、歴史の汚点として消される名君。
(あるいは、尻拭いのプロか……)
ロイの役割は常にそれだ。愚かな先王のせいで、割を食ってきた哀れな男だ。逃げ出しても責められはしないだろうに、最後の最後にその使命を背負った。
高潔な男の去る背中をしばし見送ってから、アーサーは苦笑した。
「寝ろって言って寝れるんなら、苦労はしないんだけどな」
状況が状況だ。緊張で眠れない……というのは子供っぽいが。心境は似たようなものだった。
なにしろ明日、人類は敗北する。
地上に残る人類は一人残らず死に絶える。浮島を守るために最後の<王>、ロイは明日その命を散らす。可能性に賭けて敵中を突破する中で<勇者>も死ぬ。
そして、それは自分もだ。
――愛する女を殺しきれず、殺すのを躊躇って殺される。
「……そこにもう、お前はいないって知ってるのにな」
だが、まだ生きている――そして生き続ける。誰かに殺されない限り、永遠に。
指令室に独り取り残されて。アーサーは静かに項垂れた。
泣ければ気分はよかっただろうが、涙は一滴も流れなかった。
五章幕間‐2更新です。
次回エピローグ投稿して、3章ひと段落の予定です。
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