5-10 消し飛べ
何も見えない聞こえない。内臓を引きずり出され脳みそをぐちゃぐちゃにかき混ぜるような痛みがムジカから全てを奪っていく。理性は既に消失し自分が叫んでいるのか悲鳴を上げているのかもわからない。そもそも自分がどんな生き物だったのかも思い出せなくなりつつある。痛みはムジカが〝ムジカ〟であるための何もかもを根こそぎ奪っていって――
だがそれが、戦いをやめる理由にはならない。
意識は朦朧として、だが闘争本能だけが変わらず、クリアなままに体を動かす。それだけが今ムジカにある全てだった。
(敵は倒す。メタルは殺す。それ以外には、何もいらない――)
だからムジカはノブリス〝スバルトアルヴ〟を機動させた。
〝スバルトアルヴ〟はムジカからすれば、極めてシンプルな欠陥機だ。何でもできる〝魔術師〟という売り込みは、だがその多機能性ゆえに無数の選択肢を常に押し付けてくる。何でもできるがゆえに、最適解を選ばなければならない――それは反射的な行動とは致命的なまでに相性が悪い。
更には魔術を行使するたびに、脳髄が沸騰する。原因はこの機体がガン・ロッドを持っていないからだ。
ガン・ロッドは本来魔弾を放つための照準器であり、術式の刻まれた触媒でもある。それがない〝スバルトアルヴ〟は搭乗者の脳で魔術を使う。システムが術式を脳に転写し魔術を導く。ムジカの脳は術を選ぶたびにシステムに強引に使役され、スペックの足りないムジカの脳は都度灼熱の痛みで煮えた。
加えて内臓をかき回すような激痛は、〝スバルトアルヴ〟を動かすための魔力が全く足りていないから。ムジカを襤褸雑巾のように絞りつくして、まだ足りないと訴えている――不足しているから動かないのではない。不足していて、なお動こうとするから奪われる。それが故の痛みだった。
そしてその魔力を消費して機体を動かす、M・I・B・Sによる慣性制御もまた仕組みとしては最悪の類い。
ゼロスピードから一瞬で最大速度まで機体を吹っ飛ばし、かと思えば最大速度を一瞬でマイナス方向に切り替える。どんな機動でも思い通りのこのシステムは、だが内部の人間の慣性を殺す機能までは備えていない。それが単に魔力が足りないがための結果なのかは知らないが、ムジカは機体の機動が生み出す衝撃に都度押し潰され続けた。
乗っている人間を、ただそれだけで殺しかねない――それが〝スバルトアルヴ〟というノブリスだった。
――だがそれが、戦いをやめる理由にはならない。
全力で後退しこちらを迎撃する〝ヴィルベルヴィント〟へ、稲妻の機動を描いて迫る。突き出されたガン・ロッドから放たれる魔弾を、掻い潜るようにして敵へ肉薄する。
追う敵へかざした掌から放たれるのは魔弾――極めてシンプルなただの魔弾だ。
メタルが学習を経て自らを最適化していくように。ムジカもまた、自身を〝スバルトアルヴ〟へ最適化していく。
使用する魔術は極限まで限定。感応装甲を始めとした不要な機能はすべてオフにして魔力の浪費をカット。そうでもしなければ、ムジカの脳も魔力も早々に焼き切れる。空間爆砕のような大規模な魔術はもう使えない。そんな余力はもうどこにもない。
M・I・B・Sによる機動、それがもたらす痛みはただ耐えることだけを対策とした。体の痛みなどどうでもよかった。元より全身には激痛しかない。今更少し痛んだところで気にする価値は欠片もなかった。
そうして残った機能をまとめれば、完成するのはただ速いだけの大したことない<マーカス>相当機。
最高等級機であるはずの<デューク>を、ただのノブリスのようにしか使えない。
それがムジカの限界だった。
自分に力があればこんな敵、瞬く間に滅ぼせるはずなのに――そう囁く声が聞こえる。
――だが、それが戦いをやめる理由にはならない――
痛みと闘争本能が。それだけがムジカを突き動かす。
引き撃ちに徹する〝ヴィルベルヴィント〟を追うこちらは、その速度の分だけ不利を背負わされる。だが構わない。M・I・B・Sは、脳裏に描いた機動の通りに〝スバルトアルヴ〟を前進させる。
これまで以上の速度で踏み込み、瞬く間に敵の懐へ飛び込んだ。
両腕に灯る燐光が、魔弾となって吹き荒れる。魔道障壁がオートで展開されるが、崩し方は知っていた。〝シルフ〟が実践していたことだ。同じ個所に連打すれば、魔道障壁は飽和する。
だが既に何度も繰り返されたのだろう。敵はこちらの狙いに気づくと関節部を変形。障壁が飽和する前に装甲の隙間から銃口を突き出した。
中に人間が乗っていたなら、到底不可能な武器の展開。悪寒に突き飛ばされるように距離を取る。
放たれる弾丸は通常の魔弾。小規模だが、弾幕と弾速重視。避けきれない数発が機能してない装甲を削り、衝撃がムジカの肺を引き絞る――だがそれだけだ。
ムジカは一切気にせず魔弾の連射を続けた。
同時に脳が更に削れることを承知の上で、他に使える魔術を探した。
今の一当てで悟った。魔弾では威力が足りない。この敵を殺し得る力がない。術を発動するための魔力もない――それでも無力に打ち震えたりはしない。
こちらの攻撃力の欠如に気づいたか。逆襲に転じるメタルにムジカは正面から付き合った。
全身から生やした銃口に加えて二丁拳銃に持ち変えた〝ヴィルベルヴィント〟に、二本の腕で対峙する。
魔弾の雨に晒されて、魔弾の雨でやり返す。
時折どこかから〝ヴィルベルヴィント〟めがけて誰かが放った魔弾が飛んでいくが、やはり威力が足りていない。敵が気にするのはこの〝スバルトアルヴ〟だけだった。
誰かから通信が飛んできていた気もするが、よくわからない。悲鳴も。血の味を感じたが、それがどんな音だったのかがわからない。聞こえているものが見えない。感覚が狂っているのを自覚する。意識は混濁して、酸欠に喘ぐが――それの何が駄目なのかがわからない。
畢竟、〝ムジカ自身〟に役割はなかった。機体は闘争本能が動かし、脳は魔術の演算にしか使わない。体は魔力を絞り出すためだけの臓器でしかなく――だから〝ムジカ〟という個体にはすることがない。
だからか。戦闘の中にあって、ぽつりとその疑問が聞こえた。
(なんで……こんなこと、やってるんだっけか?)
わからない。いや、わかる気はするのだが。痛みが思考を塗りつぶし、うまく考えることができない。
そもそも考えるとは何なのか。頭を使うことだ。知識では知っていた。そしてそれもすぐに忘れた。機動が鈍って魔弾に捕まった。反射的、機械的に防御用の魔術を展開し、ムジカの脳が更に焼かれたからだ。
ぶち、ぶち、と頭の中で音がする。何かが壊れていっているようなのだが、それが何なのかもわからない。敵を倒すのには関係のないことだろう、きっと。
だからすぐにそれも忘れた。
代わりに思い出したのが、これだった。
――力だけが、ないんだ。
それは自分の声ではなかった。少女の声だった。
力さえあれば、自分にはできるはずなのに。そう嘆いていた少女の声。
それを思い出したのは、おそらく共感していたからだ。今のこの状況のことではない。それもあるが、ムジカにとってはもっと根源的な部分での共感だ。
あの日、父を独りで行かせた。
その後悔を思い出していた。
(――俺に、もっと力があれば――)
力がない。それは絶望だ。ムジカはそれを知っていた。誰よりもよく知っていた。
自分には何もできない。届かない。だから何もしなかった。後になって、振り返る――もし、自分に力があれば。
考えても仕方ない。過去は変えられないのだから。だがそれでも考えてしまう――お前には、もっとできることがあったはずだ。
それは血の味をしていた。自分自身へ向かう、何よりも耐えがたい憎悪だ。いくら目を背けても消えない怒りだ。お前に、力さえあれば――それは自責しか生まなかった。
だから共感した。そしてアルマを凄いと思った。彼女は腐らなかった。力がないことを呪いながら、それでも自分がやるべきことをやろうとした。
ふと思い出した。だから戦っていたのだ。
あの少女が、そんなことで泣かなくていいように――
それを思い出して、またすぐに忘れた。
それを覚えているだけの機能が今のムジカにはなかった。
ムジカは攻め方を変えた。
慣れ親しんだ魔術を見つけ、左の魔弾の代わりに宿す――イレイスレイの、破滅の光。
右手に宿した術は魔弾。いつもの一銃一刀流。どれだけ機体に素晴らしい機能がついていようと、ムジカが辿りつくのは結局この構成だった。
戦い方を――生き方を変えられない。敵を蹴散らすために前へ、前へ。迎撃の弾幕を飛び越えて、前へ。
再びの近距離。躊躇いもなく敵の懐へ飛び込んだ。左手に灯した破壊の閃光で防御を無視して敵を切り刻む。
敵は学習の浅い個体だ。敵は学習の偏った個体だ。対ノブリス戦闘はよく理解している。射撃戦を。だがムジカが動かす〝スバルトアルヴ〟を、そして白兵戦をこの敵は知らない。
だからその瞬間だけ、ムジカは敵を圧倒した。
飛び込んで踏み込んで切り裂いて。腕を裂いて足を切り付けて胴を貫いて頭を斬り落とす。何度も何度も切断する。切り刻む。苦もない。
だが、それでメタルが死ぬ様子はない――即座に再生し、あるいは切断された部位を銀砂で繋いで復旧させる。
アールヴヘイムのノーブルたちは、相当この敵を削ったらしい。死なないための学習が、相当の強度にまで進んでいた。
メタルの倒し方とはすなわち〝殺す〟ことだ。だがこのメタルはノブリスに寄生している。生物を模倣した、普通のメタルとはわけが違う。このメタルの命がどこにあるのか見当がつかない。
――だが、それが戦いをやめる理由には――
「――ムジカっ!!」
(…………?)
誰かの悲鳴を聞いた。
衝撃はその後にやってきた。
背中から、何かに撃たれた。理解できないままそちらを見やれば……切り捨てたはずの敵の手が、銃身に変化して魔弾を吐いていた。
メタルとしての機能だ。この土壇場で、切断された部位をメタル化することを思いついたらしい。敵が〝巣〟の機能を持つことを忘れていた。
呼吸が止まる。血の味がする。痛みの質が変わったと感じる。機体はズタボロだ。闘争本能はまだそのままある。だが、体が動かない――
ここで、死ぬ?
「――――――っ!!」
誰かが叫びながら、乱入してくる。<ナイト>が一機に、名前を思い出せない<カウント>級。
更に彼らを援護するためか、四方から〝ヴィルベルヴィント〟へ魔弾が殺到。何やら砲台らしきものが地上で蠢いているが、それがいつ現れたのかをムジカは知らなかった。
敵の注意がそれらに移る。その光景をムジカは見ている。
体が動かない。自分がどんな状態にあるのかもわからず、空から大地へと落ちていく。
痛みはまだそのままある。機体はまだ、死んではいないらしい。
だが、体が動かない――……
(俺じゃあ……やっぱりダメだってのか?)
しくじった。
<ナイト>にも<カウント>にも地表の砲台にも、〝ヴィルベルヴィント〟の防御を貫く手段がない。〝スバルトアルヴ〟の攻撃性能も、搭乗者がムジカでは届かない。この戦闘は、それを確かめただけで終わった。
あれだけ大見得を切ったのに、このままでは負けてしまう――
脳裏に、ぽつりとその声が弾けた。
――私がやるしか、ないじゃないか?
それは、やはり少女の声だった。
どうしてこの空は、こんなにも理不尽なんだろう。ふとそれを思った。
この敵に勝てないことではない。そんなことはどうでもいい。真の理不尽は、それとは違う。
まだ生きたがっていた少女が、自分にしかできないからと死を選んだ。
この空を救うために。だから仕方ないと、全てを諦めて死を選んだ。
皆を救うために死ねと――この空が、彼女に死を選ばせた。
――ふざけるな。
そうやって、死んでいった人を知っていた。
自分にしかできないからと、押し付けられた役割を果たした後で死んだ。
――ふざけるな。
〝誰かのために〟と使命を掲げ、死に臨んだ少女がいた。
〝皆のより良き未来のために〟と、自分の人生を使う女がいた。
〝あなたのために〟と覚悟を決めて、自らを見殺しにすることを命じた子供がいた。
ようやく決心できたからと、生きることを諦めた少女が――
心臓が跳ねた。
「――ふざけるなぁっ!!」
ムジカは手を伸ばした。
敵に、ではない。それは、自分の腰元へ――腰部に据えられた、魔道機関へと伸ばされた。
そこにはレギュレーターがある。魔道機関に取り付けられた、機能を制限するための装置が。魔力の足りない者でもひとまず機体を動かせるようにと、取り付けられた――
(力が――威力が、足りないって言うんなら――!!)
それをムジカは躊躇いなく砕いた。
激痛の濃度が上がった。
「――――――っ!!」
それは何もかも全てを消し去るような、人間では知覚できない領域の地獄。痛みを痛みとして知覚できる臨界点を超えた灼熱。
吸い上げられた〝ムジカ〟という存在そのものが組み替えられて、魔力そのものへと捻じ曲げられるような――
ムジカの全てを食らいつくそうとする略奪に、だがムジカは逆らわなかった。
(――上等だ)
全部。
全部、くれてやる。
それで、ようやくたった一瞬。
それでようやくたった一発。
それだけが自分の存在価値。
それを本能で悟り――そして、それで構わなかった。
――そうして〝スバルトアルヴ〟は真に起動する。
両腕を突き出し、構えた。
この身は銃身。この身は弾丸。念じるのは、全てを消し去る破魔の光。
脅威に気づいた〝ヴィルベルヴィント〟が、遅れてこちらに振り向いた。
メタルに感情などあるはずがない。だがそれでも恐怖におののくように、こちらへガン・ロッドを突き出す――
それを、<ナイト>と<カウント>が。大地の砲台が邪魔をした。何発もの魔弾が殺到し、敵の視界を眩ませる。
ぶれた照準が、ムジカを捉えることはない。
そしてムジカの腕の先で。
その術式が完成した。
全てを消滅させる、破砕光。世界を一瞬だけ――だが完全に――白く染め上げる、破壊の光。
(消し、飛べ―――――っ!!)
それは音もなく弾け、光さえも穿ち、空間を砕き、メタルを飲み込んで――そして。
ムジカは、結果を見届ける前に意識を失った。
ぐしゃりと、地に墜ちる音を最後に聞いた気がした。
5-10章更新です。
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