5-8-2 俺がしくじった後で死ね
「あんた、まさか最初から……!!」
その言葉の真意を悟って、ムジカは歯を軋らせた。
思えば最初から、アルマの目的地はこの浮島の心臓部だった。〝最悪〟に至らぬように、ではなく。〝最悪〟に至った時のために、彼女が目指した場所が、ここだ。
それが最初から、〝自爆〟を想定していたというのなら――……彼女は死ぬために、ここに来たことになる。
アルマは振り向かない。止めていた手を動かして、浮島の操作を続けながら呟く。
「〝最悪〟を想定したと言ってきただろう。最終手段があるというのは、随分と気楽なものだよ。おかげでどれだけしくじったとしても、帳尻は合う。責任の取り方さえ、覚悟しておけたなら――……本当の意味で、唯一の失敗はキミだけだ。私は、キミの取り扱いだけを間違えた」
「俺の取り扱い……?」
意味のわからない単語を、わけもわからず繰り返す。
躊躇うように、数秒の沈黙を挟んで。アルマがぽつりと、それに答えた。
「……あの政務館の前で、キミと別れられていれば後腐れがなかった」
「あ、んた――お前、ふざけんなよっ!!」
それがムジカの逆鱗に触れた。
衝動が、ムジカを突き動かした。肩を怒らせて、アルマへ歩き出す。
(ふざけんなよ、こんな……こんな――!!)
水晶壁に向き合ってこちらを振り向こうとしない、アルマに向かって叫んだ。
「いい加減にしろよ――お前は最初から、ここに死ぬつもりで来たって言うのか」
「そうだ」
「そんなことのために、俺を連れ出したのか。お前の自殺の手伝いをさせたってのか!? 誰かのためなんてくだらない理由で、自分の命を――!!」
勢いに任せて詰め寄って、未だこちらを振り向きもしないアルマの肩へと手を伸ばす――強引にでも、こちらに向き合わせるために。
「だから、そうだ――そうだと言っている!!」
だがそのタイミングで、激昂と共にアルマが振り向いた。
伸ばした手が叩き落とされ、バシィと破裂音を響かせた。振り落とそうとしての仕草ではない。ただたまたま、振り向きざまの手が手に触れた。それだけのことだった。
ただ、だからこそ勢いが乗った。
殴打に近い衝撃に、手が痺れた。
「あっ……――っ」
詰めるはずだった歩みが止まった、その一瞬後に聞こえたのがそんな声だ。アルマが怯えたような顔をした。そんなつもりはなかったと、こちらを振り払って傷つけたことに――
だがその弱さをすぐに怒りで塗り潰し直して……拳を握り締めると、アルマが叫び返してくる。
「他に、どうできた!? キミを騙して、利用して――そうでもしなければ、私には、ここに辿り着く手段さえなかった! どうすればよかった? キミに〝助けて〟と言えばよかったのか? 私の自殺の手伝いをしろと? それでキミが手伝ってくれるならそうした――今のキミの怒りがその答えだ! 私に他の何ができた? こうするしかなかったじゃないか!?」
「お前……!」
「どうしようもなかった、キミに迷惑をかけてでも――そうでもしなければ私は、私の大切なものさえ守れない!」
怒りと共に睨むも、ムジカにはそれ以上何もできない。
気圧されたのとは違う。ムジカには、どうしようもなかったからだ。アルマの怒りに――その怒りの下に必死に隠していた、嘆きに気づいてしまっていたから。
こちらを見上げ、目じりに涙を貯めこんだ少女が悲痛に叫ぶ――
「全部――わかるはずだった、全部っ!! 知識は用意されていた! わかるのは私だけだった! この空がある理由だって――今回のことだって! 私なら全部、わかるはずだった! わかっていた! 全部、わかって、るのに――」
「何を――」
「力が、ないんだよっ!!」
癇癪を起こしたように、彼女は全力で叫んで――
そこで、力尽きた。
怒りか、あるいは体力が続かなかったか。大声を上げ続けて、アルマは肩で息をする。そしてふらつくようによろめくと、後ろの水晶壁にもたれかかった。
壁面には無数に波紋が走ったが、意味のある反応は何もない。彼女はそのままずるずると、倒れるように床に座り込む――……
「……力だけが、ないんだ」
繰り返された言葉に、もう勢いはない。
うなだれ、こぼすように囁き続ける彼女は……ただ、ただ泣いていた。
「どう計算しても、私では届かない。私だけが、全部わかるのに。私に力があれば……今すぐにでも、終わらせられる。その知識だけなら今もあるのに……」
そうしてゆっくりと顔を上げた時……そこにあったのは、ただの少女の顔だった。
「ようやく、決心できたんだ。私しか、気づいてなくて。私にしか、もうできないのなら……それで、この空が続くなら。私がやるしか、ないじゃないか?」
何もかも全て、諦めることを決意してしまった。ただの少女の、顔だった。
「だから……ねえ。褒めてよ。私は……やるべきことを、やろうとしたんだよ?」
――だから。せめて、褒めてくれ。
それが最後の望みだと言う、彼女の姿に――
ムジカはふと、いつか聞いた言葉を重ねていた。
――戦えるやつが戦えばいいんだよ。始まりはそれだ。そんで、その程度のこった。
父の言葉だ。貴族としての在り方を説いた。ムジカにとっては、始まりとも言える記憶。
あの日から今日まで、ずっと胸の内に抱えてきた、大切な――
なのに、どうして。今はこんなにも、忌々しい。
(だから、こいつに死ねって言うのか)
アルマにしかできないことだから。
アルマにはそれができるのだから。
――だから、みんなのために死ねと。
「…………っ」
肺が震える。吸い込んだ息を吐き出すのが、ひどく手間だった。
怒りに指がわななくが、それをどうすることもできない。拳を握り締めても震えが治まらない。
視界を歪めたのは怒りだった。呼吸を荒らげたのは憤りだった。何もかもが理不尽で、だというのにもう打てる手もなくて、どうしようもなくて――
ふざけるな。
ムジカは歯軋りすると、それを最後に無言でアルマに背を向けた。
「あっ――……」
アルマの口から漏れたのだろう、そんな声にも、二度と振り向かない。
うんざりだ。うんざりだった。
心の底から――どうしようもなく、うんざりしていた。
(どいつも、こいつも……!!)
握り締めていた拳が軋む。力を込めさせたのは、やはり怒りであり、憤りであった。視界を赤く歪めるほどの、それは灼熱の衝動だった。
それでも冷静でいられたのは、やるべきことをわかっていたからだ。
だからムジカは歩を進めると――床にへたり込んでいた、スバルトアルヴの調律者とかいう女の胸倉を掴み上げた。
「ひぅっ!? ゆ、許して!? 暴力は、暴力だけは……!!」
「……少年?」
「…………」
全部、無視した。
全部、無視して――手短に、命令した。
「――今すぐに、このポンコツを動かす準備をしろ」
「え……?」
「あのクソボケメタルを消し飛ばせばいいんだろ。上等だ――誰もやらねえなら俺がやる。やってやりゃあいいんだろ、クソッタレ……!」
その言葉に、息を呑む音が二つ聞こえた。だがそんなものはどうだっていい。
視線の先、震える声で女が呟く。
「せ、整備は、済んでる……いつでも、出られるよ? だ、だけど――」
「無茶だ――無茶だよ、少年!! そいつは<公爵>だ――管理者用のノブリスだ! キミに動かせるはずがない!!」
その声を止めたのが、アルマの悲鳴だ。
今度は、立場が逆転した。ムジカが突き進み、アルマが引き留める形に。
愕然と目を見開く彼女に、だがムジカは引く気などない。冷たく言い返した。
「魔力適正の問題だろ。今ならレギュレーターがついてる。せいぜい<侯爵>級なんだろ……だったら、短時間なら俺でも動かせる」
「だから、それが無茶なんだ! キミの魔力適性は<伯爵>までだ――適性の足りてない機体を動かそうとすれば、地獄の苦しみを味わうことになるぞ!! まともに動くかどうかも怪しい――そんなこと、キミがやる必要はない! か、勝てる見込みだって……!! 」
引き留めようと駆け寄ってきたアルマが、ムジカの手を取った。
服の袖まで握り締めて――涙を流したまま、縋りつくように言う。
「私の案が、一番確実なんだ! それが一番、犠牲の少ない――」
「うる――せえっ!!」
そんなアルマに、それ以上は言わせなかった。
「うるっせえんだよ、さっきから好き勝手……けったくそ悪いことばっかり、言いやがって!! そっちがその気なら、こっちだって好き勝手やってやる!! 誰がテメエの思い通りになんかしてやるものかっ!!」
「……っ!?」
「どうせ死ぬ気だって言うんなら――俺がしくじった後で死ねっ!!」
自らを犠牲にする道を選んだ、彼女に返すべき言葉はそれだ。
怒声に晒され驚いている、アルマにムジカは全力で吼えた。
「どいつもこいつも、人の気も知らないで……っ!!」
それはもはや単なる八つ当たりでしかなく、ここにいない、誰かたちへの恨み言でもあった。
――アーシャはセイリオスの人々のために、無謀な戦いに命を懸けた。
レティシアは自らの浮島の未来のために、自分の人生を掛札に使った。
リムはムジカを助けるために、自分を見殺しにして生き残れと命じた――
それで今度は、アルマの番だ。
(この、バカどもは……!! なんだって、こんな、こんな簡単に、命を粗末に使う……!!)
いいや、違う。簡単にではないのかもしれない。
決断には、決心には、苦渋が――覚悟が必要だったのかもしれない。きっとそれは、そんな簡単に決められることではないはずだ。
だがそれでも……だからこそ、ムジカは〝ふざけるな〟と言うしかないのだ。
もう、うんざりだ。
〝誰かのために〟なんて理由で、これ以上誰かに死なれるのは……もううんざりだ。
だから、告げた。
「自己犠牲なんざ、クソ食らえ――俺は今から〝ワガママ〟を通すぞ。〝それ〟を戦う理由にしていいって言ったのは、あんただろう?」
「ムリだよ……無茶だよ。それじゃあ、私がここに来た意味がない……! キミが死んじゃう。死んじゃうよ……!!」
「死なねえよ」
断言する。
そうしてそれを最後に〝スバルトアルヴ〟のバイタルガードを解放すると、ムジカはアルマを置き去りにした。
機体内部に体を滑り込ませて、最後にバイザーを被る――
と。
「本当に、やるの……?」
震える声が、傍から聞こえる。
まだ起動前のバイザーを上げてそちらを見やれば、こちらを見上げて調律者の女が呟いていた。
「か、彼女の言い分も、一理あるよ? <公爵>級ノブリスは、本当に特別なノブリスだもの。特に〝スバルトアルヴ〟は――」
「御託はいい。それより、こいつの特徴を言え」
「……いろんなところが、普通のノブリスと違うよ。特に違うのは、機体の機動制御がM・G・B・Sとは異なるコンセプトの、慣性制御で行われてる。重力制御とは違う――やろうと思えばどんな機動でも取れるけど、代わりに中の使用者も振り回される。それと……最大の特徴は、この子にはガン・ロッドがないってこと」
「なら、攻撃手段は?」
「魔術を使う――本当に、魔術を使うの」
「……寝言言ってんのか?」
「違うよ。ガン・ロッドに魔弾の術式が組み込まれているように、システムに攻性魔術の術式が登録されてる。どんな状況でも、どんな敵が相手でも、単騎で殲滅するための機能として――ガン・ロッドを扱うために発展したノブリスの中で、この子だけはコンセプトから逆行してる。この子は……正真正銘の〝魔術師〟なんだよ」
言っていることはさっぱり理解できない。だがムジカにはどうでもいいことだった。
攻撃手段があるならそれでいい。それだけ分かれば十分だった。後は使いながら覚えればいい。
もう時間がない――アルマの言葉を思い出す。
外はまだ、戦闘中だろうか。耳を澄ませば、遠くのどこかで爆音が聞こえる気がする。だがそれが本当かどうかもわからない。ここは戦場から遠すぎた。
ムジカは〝スバルトアルヴ〟に起動を命じた。
見慣れた――ようでいて、少しだけ違う。ノブリスの起動シークエンスが開始する。
――サリア内燃魔導機関、イグニション。M・I・B・S始動。各種システム並びに駆動系チェック実行。バイタルガード、感応装甲ウェイクアップ。ライフサポートシステム、レディ――
その途中で、一瞬だけモニターにその言葉が瞬いた。
――汝、〝適格者〟ニ非ズ。
(……適格者?)
そして。
「……ぐ、ぎ? ぃ。ガ、ぁっあ――!?」
脳髄を何本もの剣で串刺しにされ、同時に内臓という内臓を強引に外へ引きずり出されるような。
脳みそをぐしゃぐしゃに押しつぶされ、同時にはらわたを切り刻まれるような。
不意に訪れた激痛の中で、ムジカは悲鳴と――それを塗り潰すほどの、雄叫びを上げた。
「――ああああああああっ!!」
――〝スバルトアルヴ〟の眼に〝火〟が灯る。
5-8-2章更新です。
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