5-8-1 この島を消す
放たれたその言葉は、疑問ではなかった。
真っ青に――真っ白に血の気を失った、アルマの顔には何もない。引いた血の気と共に彼女の顔からは、感情らしい感情が抜け落ちていた。
だがその声にまで感情が覗いていないかと言えば、そんなことはない。
その声は怒りを湛えていた。その声には嘆きが、悲しみが含まれていた。批難が、後悔が、苦悩が――……
「どうして、まだ生きている。話が、違ってくるだろう」
だが最も強いのは、やはり怒りだった。
かつん、と……よろけるようにして、一歩。踏み出したら、その勢いはもう止まらない。
ふらふらと弱々しい足取りは次第に勢いを増していき、それに合わせるように声量もまた強さと鋭さを増していく。
「誰もやれる者がいないから――誰も、やろうとしなかったから。だから私が来たんだ。誰にもどうしようもなくなって、それでもどうにかしなきゃいけなかったから。だから私が来たんだ。なのに、なんでお前がまだ生きている。なんでお前がまだやっていない――なんでまだ生きてる!?」
「ひ――ヒィっ!? だ、誰ですか、あなたたち――」
女がたじろぎ、怯えながら誰何の声を上げる――
だがアルマはそれを完全に無視すると、怯える女の胸倉につかみかかった。
「調律者だろう!? お前――お前!! ここの調律者だろう、お前が!! なのに、なんで――なんで、まだ生きてる!?」
アルマの叫びは支離滅裂だ。怯える女の問いかけに答えていない。これまで見てきた中で、一度も見たことがないほどにアルマは取り乱していた。
奇妙な話だが、身長差のせいもあるのだろう。ムジカにはその姿がまるで、アルマが女に縋りついているようにしか見えなかった。
子供が親に、泣きながらワガママを言っているような――分からず屋の親に、どうしてと泣き叫ぶような。
だが、ムジカはそれだけを見ているわけにはいかなかった。
視線はアルマと怯える女――そしてノブリス〝スバルトアルヴ〟の更に先を見ていた。水晶めいた壁の先で蒼く燃える、炎から目が離せない。
炎が問題なのではなかった。それがたとえ異様なほどに、あまりにも鮮やかに蒼く燃えていたとしても。
問題なのは、それが何を燃やして灯された炎なのかということだった。
「なんだよ、これ……どういうことだ……?」
それが何かをムジカは知っていた。もはや慣れ親しんだと言ってもいい。それはムジカのよく知るものだった。
だからこそ、問いかける舌がもつれて震えた――いいや、震えたのは舌ではない。体だった。
それは〝敵〟だった。
「なんで、浮島の心臓部に〝それ〟がある――そいつは、メタルだろう!?」
青く燃える炎。その〝炉〟の中で、メタルが燃えている。〝炉〟の下部からこんこんと銀の砂が湧きだし、舞い上がり……そして燃え、消えていく。
女に詰め寄っていたアルマが、乾いた声で答えた。
「――そうだよ。〝浮島〟とは、すなわちメタルだ」
振り向いて、こちらを見た彼女の顔には何もない。虚無色の目で、彼女はこちらを見ている――
いや……それもすぐに違うと気づく。
アルマは笑っていた。ムジカを、ではないが。それよりも大きな何かを嘲るように、唇だけをわずかに吊り上げて笑っていた。
「厳密には、少し違う。浮島はメタルと同根の技術を利用して生み出された……いわば制御に成功した、最初で最後の、唯一のメタルだ。メタルを〝メタル〟として運用せず、誰かがその機能と役割を固定化する方法を、偶然見つけて誕生させた。そして、二度と再現に成功しなかった――少年。キミは、一度でも疑問に思ったことはないかね?」
「……何を?」
「資源だよ」
突きつけるように。そこで一度言葉を区切って、先を続ける。
「この空には何もない。だから浮島は、外部から何かを補給することができない――そして資源は消費されれば必ず消える。消えるんだ。既に人類が空に逃げ延びて数百年。浮島に乗せて持ち出せた資源など限りある。早々に限界が来るはずなんだよ」
「……廃棄物のリサイクルは」
「足りんよ。延命はできても、否応なく失われる資源はある。増やす方法がなければいずれ枯渇する。補給手段をごまかさない限り」
「なのに……俺たちは、問題なくこれまで生活を送れてこれてる?」
「そうだよ……浮島の機能として、各種資源生成プラントなんてものがあるからね。だがアレの中身がどうなっていて、何が起きてそれを生み出してるのかなんてのは誰も知らんよ――〝存在する〟という情報そのものを改竄して自己増殖する、メタルの機能を利用してるなんてことは」
でもね、と。
そんなことはどうだっていいと――アルマがクッと、嘲笑するように喉を鳴らした。
「どうしてここが――この〝炉〟が秘匿されていると思う? 浮島がメタルだから――敵性存在だからなんて理由じゃない。人類がメタルのおかげでまだ生きてられるなんてことを知られても、大したことじゃない……本当に問題なのは、メタルを制御可能であるという実例が存在してしまっていることなんだよ」
「……? それの、なにが――」
「――マネするバカが出てくるだろうっ!?」
ヒステリックに――情緒不安定に。叫んだ彼女は、だがすぐ恥じ入るように視線を伏せた。
先ほどの一瞬の勢いはもうなく、だがその言葉は止まらない。
「浮島はメタルと同根の技術でもって作られたのは、苦肉の策だったんだよ。生き延びるための方法をがむしゃらに探して、たまたまうまくいったのがそれだった。その資料も残されていない――何をしたのかは、浮島のシステムの最奥にすら。成功例だけが目の前にある。問題なのはそれだよ。やれる方法があると思わせてしまう……手を出す、ただそれだけのことでも危険だと言うのに」
と。そこでアルマが女を睨んだ。
今の会話の隙に女はアルマから離れていたが、逃げ出せる場所もない。睨まれてまた「ヒィ」と悲鳴を上げたが――
それでも必死に、こう言い返した。
「さ、最初は――最初は、うまくいってた!! 〝炉〟から取り出した銀砂の増殖も、ノブリスに取り付けて魔力の補助機にすることも! 全部……全部、しっかり制御できてた!! 管理者様も、お父様も、これなら大丈夫って――なのに、こんなことになるなんて知らなかったっ!!」
「その程度の理解度で、ゼロポイントを目指したのかっ!!」
「ひぃっ!?」
アルマに一喝され、また女がノブリスの陰に隠れるが――
そこでムジカは、ようやくその疑問を浮かべた。
「ゼロポイント……?」
スバルトアルヴの目的地だ。メタルを生み出した、古代王国があるという。
そこを目指すからには、用があるのは地上だろう。そこに何かがあるらしいが……アルマの口ぶりでは、まるでそれこそが禁忌のようだ。
宝探し――以前、アルマはそう言っていたが。
その言葉の突拍子のなさと同じくらい、アルマの問いかけは突然だった。
「――どうして、人類は空に逃げてきた?」
「どうしてって。暴走したメタルから、逃げ出すために――」
答え切る前に、また次の問いが来る。
「人類が地上から逃れるその時、人類は何をした?」
「何を?」
「限られた人類だけが浮島に〝搭載〟され逃げ出した。大多数の人類はメタルとの戦闘、時間稼ぎのために使い潰された。〝三銃士〟と呼ばれた伝説のノブリスが旗頭となり、命と引き換えに、メタルの核個体を〝破壊〟した――」
「それの、何が――」
「――メタルだよ!!」
問題なのか、と。その言葉は続けられなかった。
それよりも激しい、アルマの声が掻き消したからだ。
まくしたてるように、叫んでくる。
「真なるメタル。本当の――コアとなった、オリジナル・メタル・ユニット。彼らは〝破壊〟しただけだ! 殺してないっ!!」
「殺して、ない?」
「メタルは魔道具だ――魔道具なんだよ! 使用者がいなければ機能しない。ユーザーが必要なんだ。だから古代魔術師の連中は、人間を改造してメタルのコアユニットを作った。人の願いを読み取るための機能として〝予言者〟を魔道具に組み込んで! 未来を見ることのできる人間が、願望を先回りして実現する! メタルはそういう魔道具なんだ!! メタルの本体は、改造されつくして〝機能〟だけになった人間なんだよ!! まだ生きてる!!」
「な……!?」
そんな話は聞いたことがない――あのラウルからすらも。
愕然と見つめた視線の先、アルマの表情に嘘はない。気が触れた様子も。彼女はどこまでも正気だった。だからこそ、思い知る……少なくとも、彼女はそれを真実だと信じている。
情報の洪水に叩き落されて呆然としているムジカを置き去りにして、アルマが後ろの女を睨んだ。
「今回の騒動だがね。おそらく順番はこうだ。スバルトアルヴのノーブルの力が衰えた。焦ったバカどもが力を求めてメタルの研究に手を出した。そしてたまたま、うまくいっているような結果が出た。それで愚かにも調子に乗った――メタルの力があれば、この空がある本当の目的を達成できると信じて、ゼロポイントを目指した、そしてメタルが暴走した!! 何をトリガーにしてかはわかっていないが、複製したメタルは必ず〝暴走〟するように出来てる。うまくいくのは最初だけだ――古代魔術師ですらその罠に引っかかった! お前たちも気づかなかった!!」
「そんなの、私――私、知らなかった! お父様だって――こんなことになるなんて、誰も教えてくれなかったっ!」
「どうせ、そんなことだろうと思ったよ」
取り乱す女を蔑んで、吐き捨てるように続ける。
「浮島の中枢システムの奥深くには、完全な〝調律者〟だけがアクセスできるブラックボックスが存在する。この空に逃げる中で、置き去りにした技術を取りまとめたデータが。この空でいつか、役に立つようにと託された知識だ。メタルに浮島が乗っ取られてみろ。大惨事になるぞ」
「……どうなるって?」
「今なら、全部そろってるんだ。〝浸食〟することを学んだメタルが、浮島に寄生して全ての知識を手に入れる条件が。スバルトアルヴが入力しただろうゼロポイントの座標も……おそらくはそこを目指した理由である、オリジナル・メタル・ユニットのことも。知れば、メタルはユニットの修復に乗り出すだろう。それが本当の〝最悪〟だ。かつて破壊された機能が修復されて、全盛期のメタルが復活する」
「全盛期のメタルって、確か……」
「ああ、そうさ。学習結果の集積・共有のための機能だ。これまでは単体で行われてきた学習と最適化が、ユニットに集積されて全個体へ適用される。これまで以上に進化する速度の早まったメタルが、全ての情報を相互にフィードバックして人類を駆逐する――今の弱体化した人類なんか、瞬く間に滅ぼされるぞ」
そして再び、アルマの口からその言葉が漏れた。
――もう、時間がない。
アルマが再び歩き出した。
殴られるのかと思ったのか、女が慌ててノブリスの陰に逃げるが……その横を素通りして、彼女は〝炉〟の前に立つ。
そうしてムジカからすれば得体の知れない透明の壁に触れると、こぉん……と透き通った音が辺りに響いた。
アルマの触れた箇所から波紋が広がり……その瞬間、〝炉〟が激しい変化を見せる。
蒼い炎の火勢が極端に増した。
同時に、地響きが響く。浮島全体が大きく揺れ、ムジカはその衝撃に耐えなければならなかった。
「な、ん……!? なんだ、何をする気だ!?」
アルマは――振り向いては、こない。マギコンを操作するのと同じように、水晶壁に触れ何かを操作している。
そんな彼女のささやく声は、感情を排して無機質に響いた。
「この島を消す」
「……は?」
「この島の全機能を停止して、集めた全ての魔力を爆発させる。浮島一つをまるまる作り変えた〝爆弾〟なら、あの〝ヴィルベルヴィント〟も消し飛ばせる――し、まかり間違って倒しきれなかったとしても、この島の知識の強奪は阻止できる。ゼロポイントへの到達もできなくなるし……浮島一つ消し飛ぶほどの大惨事だ。他の島も無視はできまい。となれば<デューク>も出てくるだろう。この空はまだ続く」
「待て――待てよ。つまり……自爆するってことか? でもそんなことしたら――」
「そうだな、レティシアやリム君たち、それにアールヴヘイムの連中が困るな。だからこの島にいる人間が逃げる時間くらいは、私が稼ごう。浮島の中枢システムが私の手にあれば、それくらいはできる。キミはここを出て、あの<ダンゼル>に乗って逃げろ」
「そんなことは聞いてない! 俺が言いたいのは――」
「……心配するな、少年。キミは必ず、リム君とラウル講師の元に帰す――」
「――あんたはっ!?」
自爆するから、逃げろと言う。この浮島を消し飛ばすから、と。
だが、では――その操作をする、アルマは?
切羽詰まって、言葉になったのはそれだけだ。
だがそれだけで伝わったのだろう。アルマが一瞬、怯えたようにびくりと体を震わせた――
そして、ぽつりと……消え入りそうな声で、こうささやいた。
「……だから、ここにキミを連れてきたくなかったんだ」
5-8-1章更新です。
本章と地続きの話がもう1パート続きます。
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