5-7 なんで、まだ生きている
消し飛んだ正門を抜け、中庭を突っ切る。更にその先にある主塔への門を飛び蹴りで突破すると、ムジカは城内へ踏み込んだ。
背後からは、先ほど誕生したばかりのノブリスもどきが追撃してくる。ラウルたちの攻勢を抜けて追いかけてきたようだが、ムジカはその一切を無視した。
広大な玄関広間の中央に、階上へと続く螺旋階段。他には目もくれずに飛び込むと、螺旋を描いて登っていく。
ノブリスもどきもこちらを追って魔弾をばらまくが――こちらのメタルにさほどの力はないらしい。魔弾はしっちゃかめっちゃかに城内部を破壊するが、〝ヴィルベルヴィント〟のように周囲を消し飛ばすほどの威力はないようだった。
目的地への距離自体はそう遠くない。最上階まで登り切ると、ムジカは周囲を見回した。前方にはおそらく玉座の間なのだろう、閉ざされたままの大きな扉。その逆となれば、背後――
振り向けば、そこには玉座の間の門の大げささと反比例するように、普通の扉があった。いくつかの小部屋もあるが、玉座の間の真反対にあるそれに、目が吸い寄せられる。
下方から迫る破壊音。逃れるためにも、ムジカはその部屋に飛び込んで――愕然と、目を見開く。
(何にも、ねえ……!?)
そこは本当に、ただの部屋だった。
見た限りでは、書斎だろうか。壁面に並べられた本棚の中には無数の古書。執務用のデスクにはいくつかの本が乱雑に置かれたままになっているが、それだけだ。本当にそれだけの、殺風景な部屋。
記憶にある中で、似ているのは生徒会長室だった。
ムジカが探していたのは――そこにあると思っていたのは、この騒動を解決する何らかのものだった。何も思いつきはしなかったが、何かがあるのだと思っていたのだ。だが、そこには何もない。見てわかる範囲では、この事態を解決できそうなものなど何もなかった。
呆然とするムジカの腕の中から、アルマが囁いた。
「大丈夫だ、少年――部屋の中央に立ってくれ」
「……ここか?」
「そうだ。ここが終点だ……頼む。これが最後のワガママだ」
アルマがそう呟くのと時を同じくして。
足元を、光が瞬いた。ムジカの立たされた、部屋の真ん中を中心として輝く円陣。おそらくは何らかの魔道具が放つその光は、次第にその強さを増していき――
追いかけてきたメタルが、部屋に飛び込んでくる。振り上げた銃口がムジカたちを狙うが。
その瞬間に、目の前にあった景色が消えた。
(……なんだ? 何が起きた……?)
今まで自分がいたはずの、書斎が影も形もない。ムジカの周りにあるのは一面の暗黒――そして自らが纏う<ダンゼル>と、抱きかかえているアルマ、それだけだ。
目の前にいたはずのメタルの姿どころか、何もかもが消え失せていた。
ひとまず宙に浮いたままの<ダンゼル>を降下させると、すぐ足元に床の感触。踏んだことがトリガーになったのか、踏んだ箇所から淡い光が周囲を照らした。
改めてムジカは周囲を見回したが、そこには本当に何もなかった。廊下のような形で道が奥まで続いているようだが、先は暗闇に閉ざされて果てが見えない。照らされた周囲は真っ白の壁・床・天井で構成されているようだが、ムジカは既視感を覚えていた。
「ここは……」
「〝通路〟だよ」
「通路?」
問いかけたわけではなかったのだが、独り言に答えたアルマの言葉を、きょとんと繰り返す。
言われて思い出すのは、このスバルトアルヴに来たばかりのことだ。あの時もムジカからすれば未知の、整備用通路なる奇妙な通路から島内に入った。確かにそれと同じようなものに思える。
アルマは頷くと、ムジカの腕の中で身じろぎして、腕の中から床へと降り立った。
そしてムジカと同じように正面を見やって、言う。
「キミが想像しているのとはたぶん違う。浮島中に張り巡らされた整備用の通路ではなく、浮島の心臓部にだけ繋がる〝通路〟だ。この浮島の、どこからも行くことのできない……定められた場所から、魔道具で空間を繋げてようやく入れる場所だ」
「……そんなところがあるなんて、聞いたこともねえけど」
「それはそうだよ。管理者と調律者の一族だけが知ることの許された場所だ。ここの存在は、それ以外の誰に対しても秘匿されている」
もしかしたら、キミが初めての部外者かもしれないね、と。
そう呟いてから、アルマはムジカに告げてきた。
「この通路は人間用だ。おそらくノブリスでの移動は想定していない。その機体は置いていったほうがいいだろうね」
「この状況でか? 生命線だろ、これ?」
「ではあるけど、この通路はただの通路じゃないんだよ。浮島の心臓部に繋がってるから、資格のない者を追い出すためのトラップがある。何に反応して何が起きるかもわからないんだ。持っていくのは諦めたほうが無難だよ」
「資格のない者――管理者と、調律者以外?」
「そうだけど、厳密には少し違う。正確には、ここの歩き方を知らない者を、かな」
訊くと、アルマが素直に答えてくる。
頼みの綱のアルマもこの通路を詳しく知らないとなれば、無茶もできない。一抹の不安を感じながら、ムジカは<ダンゼル>から抜け出した。
数時間ぶりに空気にさらした生身は、ひどく頼りない。状況を思えばなおさらに。そんな事実にため息をつきたくなるが――
それよりも、アルマがムジカの手を取って歩き出すほうが早かった。
「あ、おい――」
「急ごう。私の後ろをついてきてくれ。私の後ろからは一歩も外れずに」
有無を言わさぬその声に、ムジカは言葉をなくす。本当はどこに行くのかと訊こうとしたのだが、すぐにやめた。アルマが先ほど言っていたではないか――ここは浮島の心臓部に繋がる通路だと。
つまり、そこが彼女の目指す場所なのだろう。
迷いなく進むアルマの後ろを、ムジカはしばらくの間無言で続いた。ちぐはぐだが、気分はまるで迷子のようだ。先導するのは年上の女性だが、見た目は遥かに年下の少女のよう。身長差を考えれば普通は逆が正しい形だ。傍から見たら、それはきっと奇妙な光景だった。
その中でふと、ムジカはアルマに訊いた。
「なあ。さっきの……最後のワガママって、どういう意味だ?」
「…………」
何か……致命的な。ムジカも深くは理解できていないが、そんな感触があった。
というより、今日のアルマからはずっとそんな気配が漂ってきていた。自暴自棄の、一歩手前とでも言えばいいのか。諦める覚悟を決めてしまった、そんな危うい気配だ。
今も、その気配を漂わせて……こちらを振り向きもせずに、アルマが口を開く。
「……この旅が〝最悪〟にたどり着いた時の、最後の目的地がここなんだ」
最初はね。大したことなんてないと思ってたんだ、と。
そんな語り出しから、彼女の告白は始まった。
「浮島スバルトアルヴが、航路を外れた。この異常の始まりを、私はセイリオスの〝警告〟で知った……とはいえ、その時には航路を外れただけだと思っていた。誰かが何かをやらかした。であればそれは人の世界の話で、調律者の管轄ではない、とね。だから私はレティシアにその事実だけを伝え、後は管理者の管轄だと任せた」
「…………」
「そして事態が急変した。〝警告〟の種類が変わったんだ。システムはスバルトアルヴがゼロポイントを目指していること――そしてスバルトアルヴがメタルの研究をしていたことを検知した。そこに至って、私はようやく〝最悪〟が起こり得る可能性を危惧した。本当に〝最悪〟の道筋を辿った場合に備え、スバルトアルヴに赴かねばならなくなった」
「それが、俺を拉致した時か?」
メタルの研究――最も引っかかったのはその一言だ。
思い出すのはあの〝ヴィルベルヴィント〟だ。メタルに乗っ取られ、〝巣〟としての機能を持った<マーカス>級ノブリス。
メタルの研究の成果がアレだというのなら、研究の末路は暴走だったということか?
ひとまずそれは話が長くなりそうだったので、後に回して続きを促した。
アルマは頷くと、先を続ける。
「そうだよ。〝最悪〟に対する備えとして、ここに来るためにキミを連れてきた……ここまで押し通る力としてのキミだ。キミに何も伝えてこなかったことは、改めて詫びる――でもその時にはまだ、そこまで深刻だとは思ってなかった。楽観視してたんだ」
「楽観視?」
「まだ間に合うはず。どうとでもなるはず。だからキミには、念のためについてきてもらうだけだ……とね」
そこでアルマは苦笑――いや、自嘲した。
「いや、楽観視っていうのも違うかな……私はたぶん、祈ってたんだ。〝最悪〟の事態にはならないだろう――ならないでほしいって。私がスバルトアルヴに辿り着くまで事態は変化せず、私が辿りつければそこで終わりになると。疑いながらも、それを信じて――私たちはメタルに撃ち落とされた。心の片隅では間に合わないかもって疑っておきながら、大丈夫だろうって目を背けてたんだ。それでやっぱり、ダメだったわけだが」
「それで結局、〝最悪〟に行き着いたって?」
「そうだよ。初動を間違えた。致命的なレベルで。少なくとも、この可能性をレティシアに伝えておけたなら――……」
と、そこでアルマの言葉が失速した。
「……いや、それもどうかな。<デューク>か、<マーカス>数機が必要な状況だと伝えたところで、信じてもらえたかどうか」
「生徒会長には、信じてもらえたんじゃないのか?」
「アレにはね。だがセイリオスには今、<デューク>がないんだよ。<マーカス>もレティシアの〝アダラ〟だけだ。雑兵を連れていっても仕方なし、まして他の島出身の生徒が首を突っ込む道理もなし。この状況を純粋な力だけでどうにかしようとした場合、圧倒的に戦力不足だね」
言われて思い出す――入学直後の、あのメタルの〝巣〟の襲撃。セイリオスの管理者であるはずのレティシアが使っていたのは、確かに今アルマが言った<マーカス>級ノブリス〝アダラ〟だった。あの状況なら、<デューク>で出るべきだったはずなのに。
それが何故かを訊きはしなかったが、アルマはこちらの疑念に気づいたらしい。他人事のようにあっさりと答えてきた。
「<デューク>級ノブリス〝セイリオス〟は前管理者――つまりはレティシアの父君が、隠居ついでにかっぱらっていったよ。今はどこぞの空を旅行中らしい。だから今、セイリオスにはない」
「はあ? かっぱらってったって……何のために?」
「さあね。あの方も、なかなか破天荒な御仁だから……まあそんなわけもあって、戦力は他に融通してもらうしかない状況だったんだが……その当てもない。アールヴヘイムの連中がここにいたのもたまたまだしね。ともすると、最初から詰んでたんじゃないかな、今回の件は」
「……どうしようもなかったってことか?」
「少なくとも、私の手の届く範囲に完璧な回答はないよ。私が気付いてからこれまでの短期間で、他の浮島の管理者から助けを得られる手立ては思いつかないな……私以外の調律者がこの事態に気づいた様子もないし。どうせ、信じてもらえないよ」
そしてぽつりと、こう呟いた。
「……それでも私は、それをするべきだったんだろう。とすれば結局のところ、言い訳かな。これは」
「…………」
だからこそ、彼女は自分がしくじったと言うのだろうが――
他の浮島の戦力を借りられる可能性があったとすれば、同じ管理者であるレティシア経由での依頼くらいか。だが浮島の暴走も、この島で起きていたメタルハザードも、他の浮島は気づいてすらいなかった。近隣のアールヴヘイムですら、航路を外れたことに気づくのが関の山だったのだ。
となればそれを伝えたところで、信じてもらえるかどうかは怪しい部分がある。戦力を借りるなど――まして<デューク>を出せなど、何を言っているのかという話だ。
それに振り返ってみれば、ここに来たアルマの立場はあくまで〝調律者代理〟だ。それもレティシアに言わせれば方便であり、彼女はこの場では何の肩書も持っていない。とすれば彼女は、事態に少々詳しいだけの一個人に過ぎなかった。
アルマの秘密主義には腹が立つこともあった。だがそれ以外の部分で改めてものを考えてみると、彼女を責めるのはいささか酷なように思えた。
(それでもやるべきだったと思ったからこその後悔なんだろうが……まあそもそも、やらかしたのはスバルトアルヴだしな)
アルマはいち早くそれに気づいただけで――初動をミスったと彼女は言うが、他の連中はこの事態に誰も気づいていなかったのだ。対応をしくじったとアルマは自身を責めるが、その彼女を他の人間が責められるかというと、そんな道理はないだろう。ムジカ自身も含めて。
それを伝えるより早く、アルマが嘆息した。
呟かれた言葉は、まるで自分に言い聞かせるような独り言だった。
「それでも、私はここに来たんだ。私がやらなければならない。私は私の〝役割〟を果たす……」
そしてアルマは足を止めた。
合わせて、ムジカもその場で立ち尽くす。といって、周囲は変わらず一色だ。アルマが何を目印にしてそこに止まったのかすらわからない。
怪訝にアルマを見やるが、足元の明かりが急速に消えていく。闇の中に、彼女の存在が消えていく――繋いだ手のぬくもりでさえも。ムジカもアルマも、動いていないはずなのに。
それでも声だけは、ハッキリと聞き取れた。
「――どうか、そのままで」
「…………」
ムジカは素直に、その通りにした。何も考えずに、暗黒の中でただ待った。
そして――闇を裂く亀裂のように、光が溢れた。
なにかの扉が開いたのだと気付いたのは、その亀裂が大きく開かれてからだ。中から溢れるのは青白い光――その光の強烈さに、目が眩む。
「ここが浮島の心臓部だ。我々は、ここを〝炉〟と呼んでる」
「〝炉〟? ――あ、おい」
握っていた手を離してアルマは先に進む。それを追いかけて、ムジカもその光のほうへと歩き出した。
眩んでいた目も少しずつ慣れてきて、周囲の景色を捉え始める。完全に開かれた扉の先は、広い空間になっていた。得体の知れない、だだっ広い空間だ。
その空間の中央に、鎮座する一機のノブリス――
「あれは――……?」
それは奇妙なノブリスだった。
全高は、おそらく二メートル強。一般的なノブリスよりも一回りは小さく、その形状は華奢だ。どことなく女性らしさを感じるのは、装甲の薄い機体の形状が丸みを帯びているからというのに加え、ガントレットが手甲ではなくドレスグローブのように見えること、また魔道機関を含めた腰部の形状がスカートのように見えるからか。
特に異様なのはそのリアスカート――いや、魔道機関そのものか。<ナイト>級はおろか、爵位持ちと呼ばれるノブリスの魔道機関ですら、その機体のもののサイズには追い付かない。
ムジカの知る限りにおいて、どのノブリスとも一致しない奇妙な特徴を持つその機体の名を、アルマがささやいた。
「――<デューク>級ノブリス〝スバルトアルヴ〟……こんなところにあったのか」
「あれが……?」
この空を守る、管理者のためのノブリスだった。
それが今、所在なさげにぽつんと広間の中央に置かれている……
眼を細めるようにしてその機体を見ていたアルマは、だが何かに気づいたらしい。ため息のように呟いた。
「魔道機関にレギュレーターが噛ませてある」
「レギュレーター?」
「制御装置だよ。通常は、ノーブルから魔道機関への魔力の流入量を調整して、出力を安定させる装置なんだがね。整備用のレギュレーターは、整備士でも調整できるように魔道機関の機能を落とすことができるんだ。<ナイト>級の魔道適正までしか持たないような整備士が、高位等級機を調整する時なんかに使われる工夫だね。今はたぶん……<マーカス>と同等くらいにまで、機能が制限されてるはず」
「……そんな機体が今、こんな状況にもかかわらず使われず放置されてたって?」
見た限り、機体の状態に問題はないように思える。だというのにレギュレーターがそのままになっているということは、それが今は正常な状態とされているのだろう。
つまり……スバルトアルヴの管理者は、そこまで弱体化が進んでいたということなのか。
(そしてこいつを動かす前に、メタルに殺されたって?)
そこではたと気づいて、ムジカはアルマに訊ねた。
「……まさか、アレが目的でここに?」
「違うよ。アレがここにあるのは予想外だった――が、幸運ではあるね。アレがメタルに乗っ取られてなくて。ゾッとするよ、今以上にどうしようもなくなるところだった」
そして、アルマは〝スバルトアルヴ〟から視線を外した。
彼女が見たのは、そのさらに奥だ。ムジカも視線を追いかければ、そこにはガラスめいた透明の壁と、その先で煌々と輝く蒼い炎――……
(……は?)
「ここからなら、スバルトアルヴの中枢システムにダイレクトでアクセスできる。どうにか、間に合った――……え?」
そしてムジカとアルマ、二人が同時に――だが全く別の理由で――愕然とした。
ムジカは、その蒼い炎を見たために――その炎を灯しているものが、何であるかを見たために。
一方のアルマが見たものは、人だった。蒼い炎ではなくその前。隠れていたらしい〝スバルトアルヴ〟の陰から、恐る恐ると言った様子で顔を出した――
「――だ、誰ですか、あなたたち……? ど、どうやって、ここに……?」
くせっけの、ひょろりとした。どこか倖薄そうな顔立ちをした、眼鏡の女。
その女を見つめて、真っ青を通り越して真っ白に。
血の気を失った顔で、呆然とアルマが呟いた。
「なんで、まだ生きている」
5-7章更新です。
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