5-5 全員逃げろ
「……っ!?」
敵意というほどには強くない。だが鋭く、圧がある――声。
ムジカはハッと頭上を見上げると、アルマをかばうように前へ出た。空には三つの人型の影。緑を基調としたカラーリングのノブリスが……三機。
(<バロン>級が二機に……<カウント>が一機? 本気も本気の構成だが……)
今まで人っ子一人いなかったこの場に、今更スバルトアルヴのノーブルが出てきたなどということはあるまい。つまり彼らは、アールヴヘイムのノーブルだ。戦場の気配はまだ遠くにある。どうやら突出してきた数機に追いつかれたらしい。
こちらに銃口を突き付けて見下ろしてくる彼らを睨んで、ムジカは改めて観察した。
<ナイト>ではなく<バロン>級――つまりは爵位持ちノブリスが二機というだけでも戦力としては相当だが、目を引かれるのはやはり<カウント>だ。この空の準最高戦力。
先ほど叫んでこちらを制止したのは、その<カウント>だろう。見た目には、極めて単純な高機動戦指向のノブリス。ただし<ナイト>級でそれをやれば装甲など紙同然になるのに対し、その流線型なフォルムに脆さや貧弱さは感じない。またガン・ロッドは機体出力を持て余さないためにか、通常サイズのものを二丁持ち。対多戦闘を想定しているようだが、攻撃性能も極めて高い。
僚機の<バロン>二機もガン・ロッドの数はともかく、機体の構成は近似のものだ。装甲をないがしろにしない程度に機動性偏重。総じて言えるのは、隙らしい隙のない相手ということだが……
対するこちらはどうしようもない。装甲は最低レベルで武器も持たない欠陥だらけの<ナイト>級だ。つい前に出て身構えたが、対抗手段は一切なかった。
それはあちらも理解しているのだろう。先ほど叫んだのと同じ声で、<カウント>が警告してくる。
女の声だった。
『抵抗はおやめなさい、下男。その機体で――武器も持たない<ナイト>級ごときで、この私に逆らうつもり?』
「…………」
反射で何か言い返しかけて、自制する。つい言い返そうとしたのはその物言いにカチンとくるものがあったからだが、実際に言う通りではある。
と、背後からアルマが苛立ち混じりの声でささやいてくる。
「〝シルフ〟――アールヴヘイムのご継嗣様か……面倒な。少年は下がれ。私の相手だ」
「ご継嗣って……お偉いさんか。知り合いか?」
「そこそこな。レティシアのやつに付き合ってると、こういうのとも顔を合わせることがある」
どこかうんざりとしたものを含ませながら、アルマが言う。
そうして降下してくる<カウント>相手に、彼女は前へ出た。<バロン>級の二機は上空に留まったままだが、そのガン・ロッドはこちらに突き付けられたままだ。気を抜くような様子も、侮るような気配もない。つまりは歴戦の相手らしい。
銃口に狙われている居心地悪さを噛みしめながら視線を戻せば、〝シルフ〟のノーブル――アールヴヘイムの嫡子?――がアルマに声をかけるところだった。
『お久しぶりね、アルマ・アルマー・エルマ。早速で悪いけれど、質問に答えてもらうわ。返答如何によっては、この空への反逆としてあなたを拘束する――』
「話すことなど何もない」
だがアルマはぴしゃりと要求を跳ねのけると、底冷えするほどに冷たい声音で告げた。
「単刀直入に言う。お前たちを相手している時間が惜しい。ここにお前たちの役割はない。とっとと失せろ――私の邪魔をするな」
『…………』
すぅぅ……と。
その音が聞こえたのは、辺りが静寂に包まれていたからだ。遠方でまだ戦闘の音が続いていたが、それですら静寂を強調するアクセントにしかならない。
それは〝シルフ〟のノーブルが息を吸った音だった。激情を――おそらくは、怒りを堪えるために行った、深呼吸。
その後に続いた言葉は、先ほどよりもはるかに鋭さを増していた。
『あなた、何を知っているの』
「答えることなどないと言った」
『答えなさいっ!!』
拒絶を〝シルフ〟のノーブルは許さなかった。
銃口を突き付けて、アルマに迫る。
『スバルトアルヴがこの空のルールを破るというのなら、それはこの空に生きる人々全てに対する裏切りだわ。あなただってそう。こんな緊急事態に際し、だというのに不可解な行動をして、情報も秘匿しようとしている。私たちを拒絶するというのなら、あなたはスバルトアルヴの協力者とみなすしかない。そうでないというのなら、あなたは私たちに協力する義務がある――』
「そんな義務など知ったことか。事態は既にそんな状況にはない。団結が歯止めとなる時間は既に過ぎ去った。お前たちは、間に合わなかったんだよ」
『そんなことはない! 現に今、私たちはここにいる――』
声を荒らげて、〝シルフ〟のノーブルが反論する――
まさに、その瞬間だった。
「――なら何故ここにお前たちの〝調律者〟がいないっ!?」
〝シルフ〟のノーブル以上に強く。ともすれば悲鳴のように、アルマが叫ぶ。
そして殴りつけるように銃口を跳ね除けると、悲痛な声音で弾劾した。
「いないのはおかしいんだ。なのにいないなら、お前たちは何も理解できてなんかいない。戦力だって、足りてない――訳知り顔で語りながら、お前たちは何もわかってない。何もわかってないんだよ!!」
『何を……?』
「何もわかっていないから、間に合ったなんて寝言が言えるんだ」
気圧されたようにうろたえる彼女を、アルマは嘲笑した。
「なんでここにお前たちの調律者がいないか、当ててやろうか? 大方ここ数日、浮島の基幹システムが奇妙なエラーを吐いて右往左往してるんだろう。何かが起きているのは間違いないが、何が起きているのかがわからない。浮島の機能自体に不具合はない。異常などどこにもないのに、なのに消えないエラーを解決できずにいる。違うか?」
『どうして、それを……』
「理解できなければ、そうなるしかないからさ」
そして声は次第にひび割れる――嘲りが消え、また悲痛さが顔を出す。
「エラーは〝警告〟だ。調律者が真に〝調律者〟としての能力を保持しているのなら、絶対に見逃すはずがない――この空の危機に対する浮島の悲鳴だよ。やってはならないことをやる者たちが現れた。なのに、この場にいるのは私だけだ。これは私だけしか理解できなかったという意味なのか? ならば既に血は薄れた――調律者は、その能力を失いつつある。この空の〝秘密〟を守るための仕組みが、結果的に自分たちの首を締めた!」
『あなたは、さっきから何を』
「わからないんだろう、どうせ!! 私の言ってることなんかどうせ――いつもそうだ! 教えてやれることなんかない、それが許されていないから〝秘密〟なんだ! なのに、どうして私に訊く!? どうせわからないくせに――わかろうとしない、わかるための知識すら持たないくせに! 今だってそうだ!! お前たちが結果的に、何をしようとしてるのかもわかってないくせに!!」
(…………)
傍から聞いている限り――……
傍から聞いている限り、アルマの言葉は支離滅裂だった。相手と会話する気があるとは思えないほどに、自分の主張だけを押し付けている。
だが同時に気になるのは、そんな彼女の必死さだった。
支離滅裂でありながら、相手に何かを伝えようとしている。荒らげた声には涙の痕跡が滲んていた。煙に巻こうとしたり、ごまかそうとしてそうしているわけではない。彼女の声はどこまで本気だった。
アルマはまるで、泣き叫ぶ子供だった。想いを伝えようとしながら、その手段をまるで持たないような。拙い言葉で、それでも何かを伝えようとしている子供。
支離滅裂にしか聞こえなくても――こちらがそれを理解できないだけで。
その悲痛さに押されたか、あるいは意味のわからないことをがなり立てるアルマに苛立ったか。〝シルフ〟のノーブルが叫び返す――
『私たちは! ただ奪われたものを取り戻したいだけ――』
「そんな理解度で邪魔をするなぁっ!!」
そんな、少女二人の怒鳴り声を聞きながら。
(……?)
ムジカはふと、頭上を見上げた。
それは普通に考えれば奇妙なことだった。頭上を見上げるべき理由など何もなかったのだから。それでもムジカは何かに引っ張られたように、本当に何の意図もなく空を見上げた――
そこに何かいた。
それはノブリスのように見えた。
高みから無手の状態でこちらを見下ろす、緑を基調とした流線型のシルエット。〝シルフ〟に似ていると感じるのは、そのカラーパターンと各部モジュールの形状がひどく近しいからだろう。同じアーキテクトによって設計されたのは疑いようもない。
大きく異なるのは、その等級だった。
〝シルフ〟が<カウント>級なのに対し、あちらはその一段上――管理者を除けば最強の等級である、<マーカス>級。
うなじの辺りに、強烈な激痛。
それが何かはムジカに遅れて気付いた、<バロン>級ノブリスが教えてくれた。
『ヴィルヘルミナ様――〝ヴィルベルヴィント〟です! 〝ヴィルベルヴィント〟が――起動しています!!』
『……っ!?』
全員がハッと、その声に頭上を見上げる。
中でも劇的だったのは〝シルフ〟のノーブルだ。その声に弾かれたように頭上を見上げ……そして愕然と、硬直する。
こう囁くのが聞こえてきた。
『姉さまの、〝ヴィルベルヴィント〟――いったい、誰が!?』
「〝ヴィルベルヴィント〟……!?」
そしてアルマが悲鳴を上げた。
「全員逃げろっ――アレはメタルだ!!」
〝ヴィルベルヴィント〟はガントレットの隙間から銀色の砂をこぼすように生み出すと、それをガン・ロッドへと変形させた。
5-5章更新です。
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