3-1 まずはフライトシップをパクってセイリオスを出よう
錬金科棟、アルマ班研究室、そのガレージにて。
「……この空を救うって――」
いきなりそんなことを言われても……というのが、ムジカの正直な感想だった。
床下から床材を吹っ飛ばして現れたアルマは、それはもういい笑顔をしてこちらを見てくる。顔の周りにキラキラが見えそうな、邪念など一切ない綺麗な笑顔だ――見ようによってはこうも見える。いいイタズラを思いついた悪ガキの顔に。
ムジカが困ったのは、その笑顔というよりも――
(……このマッドの言うことだぞ?)
彼女を――とりわけその正気を――信じていいものかどうか、それだった。
眉根を寄せてムジカは唸る。お世辞にも、彼女の性格はよいとは言えない。唯我独尊を極めている、とでもいえばいいのか。いつも好き勝手やっているし、誰に対しても尊大な態度を崩さない。技術者として見ても設計・開発しているモジュール類は、使用者のことなど一切考えない横暴っぷり。私生活までは知らないが……まあ、信頼できるかどうかで言えば、信頼できないとサッパリ言い切れる。
だが問題は、それでも彼女が理性的な人間である、ということだった。
明らかに変だろうと思うことでも、彼女の中では理屈が通っている。つまり変なことを言いだした時には、必ず原因があるはずなのだ――たとえ、それが常人には理解のできないことでも。
結論。アルマの正気など疑ったところでどうしようもない。
というか彼女の正気など狂気と大差はないのだから、気にしたところでしょうもないというか――
「……助手よ。今キミ、とてつもなく失礼なこと考えてるだろう?」
「気のせいだろ」
しれっと流すと、ムジカはそこで一つため息をついた。
そして床下からもぞもぞと出てくるアルマに改めて呟く。
「今までどこで何してたとか、何をどうしたら床下から出てくることになるのかとか、色々聞きたいことはあるけど……話が急すぎねえか? この空を救うって言われても。まずは状況を説明――……」
が、その言葉も途中で失速した。
なんでかといえば、床下からようやく全身を出したアルマの格好が予想外だったからだ。
「……あんた、本当にどこで何やってたんだ?」
「む? ……ああ、これか?」
訊くと、アルマは忌々しげに自分の格好を見やる。流石に奇異に見えるのは自分でもわかっていたようだが。
端的に言えば、彼女はどこぞの貴族のご令嬢然とした格好をしていた。
いつもの丸眼鏡は変わらずだが、トレードマークと言える白衣と制服の代わりに、紺色の簡素なドレスを着ている。普段は手入れもせずほったらかしのぼさぼさ髪も、誰が手入れしたのやら癖一つない。
丸眼鏡と態度、仕草に口調。この辺りはそのままだが、見た目が変わるだけで彼女の雰囲気はがらりと変わる。ぱっと見には幼い貴族のご令嬢にしか見えなかった。
それほどまでに様変わりしている当の彼女はといえば、その見た目にあるまじき不遜さで不愉快そうに鼻を鳴らしてから、
「格好については何も言わんでくれたまえ。私も気に入ってはいないのだよ……なにしろ、少々実家に監禁されてたのでね。秘密の通路を伝って逃げてきたのだよ」
「実家に監禁って……あんた何やったんだ?」
「大したことはしとらんよ。というか、今はそんな話をする時間すら惜しい。奴らにバレる前に島を出る準備を進めなければならんのだ……が、助手がいたのは好都合だな。戦力はこれで十分だろう。あとは足をどうするか、か。フライトシップをかっぱらえば、まだ間に合うか?――」
「……おい?」
後半は独り言に転じて、何やらぶつぶつとアルマは呟く。その内容に不穏を感じて、ムジカは声をかけた――
が。
「む……ん、んん? あー!? 〝クイックステップ〟が壊れてる!?」
「うおっ!?」
いきなりアルマが悲鳴のようにそう叫んだので、思わずムジカは驚いた。
その間にアルマは駆けるように詰め寄ってくると、ムジカに怒気を突き付けてくる。
「どういうことだね助手よ!? なんで〝クイックステップ〟が壊れてる!? 私がいない間に何があった!?」
「あ、あー……すまん。壊した」
「見ればわかるよそれは!! あーもう! どうしてくれるんだあてにしてたのに! 他に使えるノブリスの用意もないんだぞ!? これではキミの市場価値が暴落だ、どうしてくれる!?」
「いや、どうしてくれるって言われても……」
「人の期待をもてあそぶだけもてあそんで、最後に裏切って楽しいかこの裏切り者! ノブリスのない助手なんて、胸のないレティシアみたいなものじゃないか!?」
「……なあ、それ後で聞かれてあの人に怒られない?」
なんとなく嫌な予感がしたので、つい呻くように訊くが。怒りっぱなしのアルマは聞いた様子もない。
ひとまず彼女はひとしきり地団駄を踏んだ後――
急にスンと冷静になると、ため息をついて言ってくる。
「まあ仕方ない。直してる時間もないし、言い合ってる時間ももったいないし。こんな助手でも、私より運動神経はマシだろうし……」
「…………」
突然の罵倒やら〝こんな〟扱いやら、いきなりの理不尽に渋い顔をするが。
ため息をつくと、ムジカは強引に話を戻した。その間にアルマは何かを探しているのか、ガレージの中を歩き出すが――
「やけに時間のこと気にしてるのな。俺に何をやらせようって?」
「む? さっき言っただろう、この空を救うって」
「……その中身を詳細に話せって言ってるんだが」
訊くが、アルマが答えるよりも、彼女が目的のものを見つけるほうが早い。といっても目立つものだったので、探していたと言うよりはたどり着いたという感じだが。
こちらへの応答は一旦無視して、彼女が手を伸ばしたのは――
「<サーヴァント>?」
ハンガーに懸架されている、作業用エクゾスケルトン――構成要素こそノブリスと似通っているが、その紛い物。そのバイザーだ。
作業用と名のつく通り、<サーヴァント>には戦闘を行うための用意がない。具体的なノブリスとの違いは、ブーストスタビライザーの有無と武器、つまりはガン・ロッドを持てるほどの出力があるかどうかだ。
ノブリスにはそれらがあるが、<サーヴァント>にはそれがない。言い方を変えれば、戦闘以外のことなら――例えば低速でも空を飛び回ることくらいなら――<サーヴァント>にもできなくはないのだが。
アルマは自身の<サーヴァント>を身に纏い、起動させながらムジカに言ってきた。
「ほら、助手よ。キミも早く準備したまえ」
「準備って……俺も<サーヴァント>を使えって? あんた、本当に俺に何させる気なんだ?」
「悪いがその説明は後だ。事情が少々入り組んでいてね。それを一から説明するほどの時間は、本当にないのだよ――」
と。
「……あん?」
確かに、時間はなかったらしい。
そう思ったのは、突如として研究室の扉がバァンッ!! と開かれたからだ。
ぽかんと背後を振り向けば、そこにあったのは二つの人影。そのうちの一つ――長身の、長い黒髪の女がどこかで聞いたような声でこう叫ぶ。
「――ここにいたか、バカ娘ぇ!!」
「むぉ!? ヤクトか!? もう来たのかあの脳筋めっ!!」
知り合いらしく、アルマが叫ぶ。アルマの顔には焦燥が見えたが、ヤクトと呼ばれた女の顔には怒気があった。それは彼女だけでなく、その隣にいたもう一人も同じだ。
走ってきたのか肩で息をする男が、険しい表情でアルマを睨んでいる――
ムジカが驚いたのは、その男が知った顔だったことだ。
「――アルマ! いい加減にしろ!!」
(錬金科の講師の?)
何回か講義を受けたので、覚えていた。彼がなぜ、アルマを追いかけてここに来たのかは知らないが――
この展開をアルマは予想していたに違いない。彼女は忌々しげにこう吐き捨てた。
「ああ、クソ――時間切れか! 仕方ない!!」
「え?」
そこから先の展開は、いささかムジカの予想を超えた。
まず一つ目。ガレージのハッチが解放され、外の世界が開かれた。アルマが操作したのだろう。外への逃げ道ができた。
そして、二つ目。アルマの<サーヴァント>の起動が完全に終わった。フライトグリーヴが稼働し、機体が宙に浮く――
最後、三つ目。
<サーヴァント>の両腕が、状況に追いつけていないムジカの体をむんずと掴んだ。
「え。な、ちょっ、待――おいおいおいおいおいっ!?」
そしてムジカを抱きかかえて完全に拘束した上で、空に飛んだ――
どうやら逃げ出すつもりらしいと気づくのと同じタイミングで、アルマが背後を――二人を見やる。
研究室からガレージに駆け込んできた二人を見下ろして、彼女はいつもの不遜さでこう叫んだ。
「ヤクト、愚従兄!! 見送りに来てもらったところで悪いがな、しばらく出かけてくるぞ!! あのババアには何度も言ったが〝お前の都合を押し付けるな〟と言っておけ!! うんざりしていると私が言っていたと!! いいな!?」
「おい、待て、アルマ――ふざけるな!! お前はいつもそうだ! どうしてお前は、いつもいつもそうやって――……」
言い返したのは、愚従兄と呼ばれた男――つまりは講師だ。
だがアルマはその言葉を最後まで聞き届けることなく、勝手に空へと飛び出した。
そして二度と振り向かない。声も途中で聞こえなくなる。それが単に距離が離れたからか、それとも相手が観念したからなのかは、ムジカにもわからなかったが――
<サーヴァント>が生み出す暴風に晒されつつ、ムジカはこちらを抱きかかえるように掴んで離さないアルマに訊いた。
「……いいのかよ? なんか、メチャクチャ怒ってたけど」
「さっきのことかね? なぁに、いつものことだ。大したことではないよ。私は実家のごたごたや権力争いになんて、構ってるほど暇じゃないんだ」
「権力争い?」
「色々とあるのだよ。色々と……まあ気にするな、助手には関係のない話さ」
「……まあ、あんたがいいって言うならいいけど」
個人の事情ということなのだろう。であれば踏み込まないほうがいい。
が、それはそれとしてムジカは呻くようにして訊いた。
「それよりあんた、結局いつになったら事情を説明してくれるんだ? 本当に、こんな扱いされなきゃいけないほどの事態なんだろうな?」
つまりは<サーヴァント>で拉致されなければならないほどの事態なのかということだが。
問いかけに、アルマは胸を張ったらしい。体でそんな振動を味わっていると、アルマが言ってくる。
「そこは信頼したまえ、助手よ。キミの協力が必要な事態なのは間違いないんだ。だが説明はもう少し待ってほしい。とりあえず……まずはフライトシップをパクってセイリオスを出よう。話はそれからだ」
「……本当に、説明する気あるんだろうな?」
というかそれ、犯罪じゃないのか。
そうは思うがそれを聞くほどの元気はなく。
それから数十分後。アルマは周辺空域警護隊所有のフライトシップをハッキングして奪取すると、ムジカを伴ってセイリオスを出奔した。
3-1章更新です。
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あと6/17(火)に書籍版ノブリス・レプリカ1巻が発売されます。
Web版から大幅に改稿されひと味違う仕上がりとなってますので、もしよろしければお付き合いよろしくお願いします。





