2-2 ちょっと付き合ってほしいんだけど
翌日。
――ジリリリリリリリ……
「ん、うん……?」
早朝。遠くから聞こえてくる耳障りな音に、ムジカはゆっくりと目を開いた。眠れていたのかどうかも怪しいほどに浅い眠りはそこで終わりだった。
目を開いたのと同じくらい、ゆっくりと体を起こす。その間も音は止んでいない。騒音の原因はムジカの部屋の中にはなかった。ムジカの部屋の隣――リムの部屋からだ。数秒待っても、音が止む気配はない。
それが何を意味するのか。
空虚な気分でそれを認めながら、ムジカはとぼとぼと部屋を出た。音を追いかけてリムの部屋の前に立つ。
閉ざされた扉を開くと、急に音圧が増した。くぐもっていた音がクリアに響く。こんなものを、彼女は毎日聞いて起きているのだと思うと、ムジカは呆れにも似た尊敬を覚えていた。
騒音の原因は、ベッド脇に置かれている目覚まし時計だ。主に目覚めの時間を告げているが、今その主の姿はない。アラームが止まらないのもそれが原因だ。
誰も止める者がいなかったから、鳴り続けていた。
「…………」
その意味を噛みしめながら、ムジカはアラームを止めた。
そして訪れた無音の中に、小さくため息をこぼした。
何の音もしない――それはつまり、今この家には誰もいないということだ。ラウルもリムも、ムジカを置いて島の外へと出ていってしまった。
ムジカは途方に暮れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(……やることが、なんにもねえんだよな……)
何が一番困ったかといえば、一日が長すぎることだった。
都合の悪いことに、今日は休日。講義があるなら時間も潰せたが、今日はそれもない。問題なのはやることがない――というよりも、やりたいことが何も思いつかないことだった。
だから、というのも変な話だが。ムジカはセイリオス中央区の繁華街を、目的地もなく一人とぼとぼとほっつき歩いていた。
ムジカは趣味らしい趣味を持っていない。それはラウルに拾われた七年前のあの日からずっとだ。
趣味に時間を費やすような余裕はあの頃にはなかった。あの頃のムジカにとっては父の敵討ちだけが生きる意味であり、リムの傍仕えとしての時間以外は全てをノブリスの戦闘技能の訓練のために費やした。
その生活は、復讐を果たして故郷を追われた後も変わらない。
ラウルとリムに連れられて、傭兵としてこの空に出た。そして戦闘担当となったのだから、ムジカが修練を積まぬ理由がない。グレンデルを出た後も、ムジカは戦闘技能を磨き続けた。
そして今、何もやることがない時間を持て余している。
時間を潰すというのならエネシミュで訓練でもしていればよかったのだが、不思議と今日だけは、そんな気分にはなれなかった。
それがどうしてか――考えて、苦笑する。理由は簡単だ。置いていかれたからだ。
(置いていかれて……だからすねてへそ曲げて無気力ですって? ガキかよ、バカらしい……)
カッコつけてそんな言い方をしたが、そんなことすらバカらしい。ただひたすらに虚しいだけだ。
つまるところ、重症というやつだった。ラウルとリムに置いていかれて、ショックを受けている。彼らに捨てられたとは思わないが、それでも胸に穴でも開いたかのようだった。
そのショックは思いのほかダメージになったらしい。普段なら暇があればノブリスの訓練を積んでいただろうに、それすらやる気になれないほどに。
(……自分の人生を、見つめ直せって言われてもな)
それがラウルのオーダーだ。自身の命の価値、何のために生きるのか、将来。それを考えろと言われた。
だが何も思いつかない。そのための言葉すら、形になろうとしなかった。〝自分の人生〟なんて言葉、それ自体が存在しないかのようにだ。
歩き疲れたわけでもなかったが、ムジカは道の脇に設置されたベンチに座り込んだ。
そうして顔をあげれば、繁華街には無数の学生たちの姿。仲間や友人と共にどこかへ向かう彼ら彼女を見送りながら――
ふと気づいた。
(考えてみたら……俺は、一人でいたことがなかったんだな)
あの七年前のあの日から。傍にはずっと、ラウルかリムがいた。
だが、今はいない。
空虚感の――虚しさの理由はそれだと気づいた。何もやる気になれないのは、そもそもムジカ自身にやりたいことがないからだ。
だがそれも当然だろう。何故なら、自分は既に終わっていたからだ。
七年前には父を殺され、〝ムジカ・ジークフリート〟としての未来を失い。
三年前には復讐を果たし、そして全てを失った。
そうして本来、〝貴族殺し〟の罪で処刑されるはずだったところを……ラウルとリムに助けられ、今を生きている。
空虚なのは当たり前だ。〝ムジカ〟という存在は、言ってしまえば〝空っぽ〟だった。
未来も復讐も何もかもが終わっていて、なのにまだ生きている。
(……ダメだな。ナーバスになってる。こういうマイナス思考がよくないってのにな)
こういう時に出てくる言葉は、全てネガティブなものばかりだ。そんなときに考え事をしても、ろくな結果にはならない。
それは頭では理解しているのだが……では何かで気分転換しようと思っても、その何かが全く思いつかない。
暗澹と、ムジカはため息をついた。人生見つめ直せと言われても、どうしろと言うのか。何か八方塞がりに陥っているような、そんな感覚にまた途方に暮れる――……
そんな風に油断していたから、忍び寄る気配に全く気付いていなかった。
「――だーれだ♪」
「うわっ?」
急に周囲が見えなくなる。背後から目隠しされて、耳に届いたのは楽しげな声だ。少女の声。くすぐるように耳元でささやいてくる。
そんなことをする知人に心当たりはわずかしかない。というより正直なところ、ムジカの中では四択だった。が、リムはここにはいないしレティシアが近くにいれば場がざわつく。となれば実質あとは二択で――
あとは声の質から考えて、ムジカは答えた。
「クロエか?」
「……………………最終あんさー?」
「なんでもったいぶった?」
「だって、一発で正解って悔しくない?」
存外あっさり認めると、背後のその人はムジカの目を押さえる手をどけた。
呆れとともに背後を見やれば、そこには茶色の髪を長く伸ばした少女の姿。アーシャと同郷の友人、クロエ・リバリアントだ。
からかうような笑み、とでも言えばいいのか。それとも年下の子に対するような微笑み、とでも言うのか。クロエの中でどう思われてるのかはわからないが、ムジカを見る彼女の顔には、そんな微笑みがいつもある。
その顔で彼女が言ってきたのが、これだった。
「ねえ、ムジカさん。今、暇? だったら、ちょっと付き合ってほしいんだけど……ダメ?」
2-2章更新です。
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