2-1 お前は一人で留守番してろ
夢は見なかった――と、思う。
「――――――っ!?」
何も見えない真っ暗闇の中から浮き上がるように。声にならない悲鳴をあげながら、ムジカは跳ね起きるように目を覚ました。
これまで息を止めていたはずはない――だが体は空気を求めている。窒息から回復するために酸素を求めてあえいだ。ベッドの上から、ブランケットを握り締めてムジカは息を整える――……
「……?」
そして困惑に息を潜めた。目の前の光景に馴染みがなかったからだ。
真っ白な天井、真っ白な壁、真っ白なベッド。鼻腔をくすぐるのはかすかに薬品の匂いを含んだ清潔な空気。開かれた窓からそよぐ風が、ゆったりと傍のカーテンを揺らしている……
「ここは……?」
病室、だろうか。個室のようで、ベッドは一つだけだ。そこに自分は寝ていたらしい。
わからなかったのは、何故自分がそんなところで寝ていたのかということだ。自身の服装もいつもの寝間着や制服ではなく病衣だ。こんなものを着た記憶もない――
と。
「――あら?」
不意に聞こえてきたそんな声に、ムジカはきょとんと病室の入り口を見やった。そこにいたのは、白衣の長身の女性――
見覚えのある女性だった。というよりは、顔見知りか。先日のメタル襲撃事件で世話になった女医だ。
彼女はこちらが起きているとは思っていなかったらしい。ベッドの上のムジカを見て、きょとんと眼を丸くしていたが。
「おはようございます。体の調子はどうですか? どこか痛むところとかあるようなら、我慢せずに教えてください」
「痛むところ?」
呻くように繰り返しながら、ムジカは顔をしかめた。彼女が医者の姿をしてここにいるということは、ここはおそらく医学科の医療棟だろう。それ自体はいい。
わからなかったのは、何故自分がここにいるのかだった。記憶が繋がらない……というより、思い出そうにも頭が回らない。思い出そうとはするのだが、思考はそこで止まったままだ。
マヌケな顔をしていたのだろうと思ったのは、そんなこちらを見て女医がくすりと笑ったからだ。
「覚えていませんか? あなたはノブリスの訓練中にミスをして、頭を打って気絶したそうです。ラウル講師があなたをここへ運んできましたが……」
「ノブリスの訓練? ……あっ」
「思い出しました?」
言いながら、彼女は傍までやってくると、手でベッドの縁に座るよう指示してくる。
素直に言うことを聞くと、診察のためにだろう。女医はこちらの顔に手を伸ばしてくる。
眼球の観察やら何やらでされるがままに任せながら――
ムジカは内心で、ひっそりとため息をついた。
(どう考えても、最後の一発は余計だっただろ?)
ラウルのことだ。ようやく記憶が繋がった。訓練の最後、ラウルに頭を撃たれて気絶した。
無茶な突撃から相打ちの形に持ち込んだが、実際にはラウルに手加減されての敗北だ。それ自体は――元々勝てるとは思っていなかったから――別にいいが……説教のためなのか何なのか、最後に顔面に魔弾を撃ちこんできたことだけは解せない。
あるいは、それだけ怒らせるようなことを言ったということなのかもしれないが……
(だからって、あの状況で頭打つか普通?)
そうは思うが、あまり強く非難する気にもなれない。というのもやはり、原因が自分にあると思うからだろう。思い出すのは最後に突き付けられた、ラウルの怒りの声だ。
(人生を見つめ直せなんて言われてもな……何をどうしろって言うんだ?)
迷子にでもなった気分だ。あるいは出口のない迷宮に閉じ込められたような、か。
再び、だが今度はしっかりため息をつくと、ムジカは診察中の女医に聞いた。
「俺はどれだけ寝てたんだ?」
「丸一日ですね。といっても、怪我自体は大したことありません。せいぜい、たんこぶができてるかといったところです。強く頭を打った影響も……ええ、なしです。異常はありません。退院していただいて大丈夫ですよ」
診察を終えて立ち上がった女医が笑顔で言うので、ついムジカは苦い顔をした。
「……寝て起きたら、いきなり出てけって言われてるみたいで複雑だよ」
「もう一日くらいなら、延長していただいても結構ですよ? 病院食の味に文句がないなら、ですけれど」
「……オーライ。出るよ」
栄養以外はどうでもいいと言わんばかりのそれのことを思い出して、ムジカは呻くように呟いた。
女医も「それがいいでしょう」と苦笑しながら言ってくる。どうやら彼女も病院食には思うところがあるようだ。あるいは単に、どうでもいいことを愚痴ったムジカに苦笑したのかもしれないが。
なんにしても、彼女の用事はそれで終わりらしい。「お大事に」と言い置いて出ていこうとした彼女に、ムジカはふと声をかけた。
「そういえば、見舞いに誰か来てたか?」
気になったのは、リムの姿がないことだ。ムジカが病院送りになったと知れば、彼女は一目散に飛んできそうなものだが。
訊くと、女医は一瞬きょとんとした後、ポンと手を打った。
「すみません、忘れてました。見舞いというわけではありませんが、ラウル講師から伝言を預かってます」
「伝言?」
「はい。あなたを私たちに預けた後、彼は出かけてしまわれたので」
そうしてコホンと喉を整えてから、彼女が言ってくる――
「〝セイリオスの外で仕事してくる。しばらく帰らない。リムも連れてくから、お前は一人で留守番してろ〟……だそうです」
その伝言にムジカが感じたのは、絶望によく似た喪失感だった。
少々短めですが、2-1章更新です。
次回更新予定は未定です。
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