1-5 いやあんた、それ逆ギレ――
「そもそもがおかしかったんだよな。あの騒動の直前、仕事がどうのとあんたらがいきなりリムを連れ出して、その直後に誘拐騒動だ。タイミングが良すぎたよな?」
そうささやいて、二人を――とりわけラウルを睨む。
気分が萎えそうになるのは、こんなことをする意味も権利も、自分にあるとは思えなかったからだ。かつての恩や立場を思えば、ラウルに抗弁するのは覚悟がいる。
それでも言葉を突き付けたのは、彼の行いが納得できなかったからだった。
(何の意味があって、あんなことをした……?)
ムジカにとって、大切なものなどもうほとんど残っていない。リムは数少ないその一つであり……同時に自分が命に代えても守らなければならなかった〝主〟だ。
それを、ラウルがどうしてわざわざ傷つけるようなことをしたのか。確かめたかったのはそれだった。
その問いかけに、先に口を開いたのはレティシアだが――
「ムジカさん……そのことについては、私から――」
「いや、待ちたまえレティシア嬢。さすがにそこは〝うち〟の事情なんでな。君に説明させたら、筋が通らんだろう」
だがそうレティシアを制止して、かばうようにラウルが前に出た。
彼は軽薄な笑みを浮かべると、飄々とした態度で誤魔化すように言ってきた。
「まあ、あの時はいろいろあったんだよ。その上で言うが……タイミングだったか? そいつは敵が一枚上手だったんだろ? レティシア嬢と相談して、リムのやつに仕事を頼むつもりでいたのは事実だ。それがまさか、誘拐されるとは思ってもみなかった――」
「リムから、誘拐があんたらの仕込みだったって話は聞いてるんだぞ」
「あんの、バカ……言わなきゃまだ隠しようもあったのに……」
流石にそれは想像していなかったらしい。頭を抱えてラウルはぼやくが。
「仮にリムから聞いてなくても、俺はあんたらを疑っただろうがね」
大げさに嘆くラウルを冷たく見つめて、ムジカは告げた。
「二人が誘拐されたタイミングもそうだが、その後の二人を助けに来た連中の手際の良さも不自然だったよな? 騒動が起きてから終わるまで、あんたの姿を一度も見なかったことも妙だと思ってた……あんな騒動が起きるのに気づかないほど、俺はあんたをマヌケだとは思ってない」
「……随分と買ってくれてるようで」
これもまた、苦々しくラウルが呻く。
だがこと騒動とその前兆の察知について、ムジカはラウルに全幅の信頼を置いていた。これまで一緒に空の旅をしてきたからこその信頼だ。管理者の血統ゆえの勘の良さとでも言えばいいのか、彼が事前に気付いたからこそ防げた問題がいくつもあったことを、ムジカは知っている――
そしてこれは周辺空域警護隊のガディから後で聞いたことだが。あの騒動の時、ラウルは既に出撃していたのだ。どこで何をしていたのかまでは報告がなかったそうだが、あの時ラウルは確実に何らかの行動をしていたのだ。
その内容まで聞こうとは思わない。それ自体はどうでもいいからだ。
だから繰り返すように、ムジカは同じ問いを突き付けた。
「もう一回聞くぞ……どうして、リムを巻き込んだ? あいつを巻き込む必要がどこにあった?」
それが二人に対する怒りの理由だ。二人がリムを巻き込んで、彼女をあんな目に合わせた。
気付いていたのなら、もっとやりようがあったのではないか。これはそれを問うための怒りだった。
「ムジカさん! おじ様は――」
「言っておくが」
レティシアはラウルをかばおうとしたのだろう。デスクから立ち上がり、言い返そうとしたその言葉は、だが当のラウルによって妨げられた。
そうして一度だけため息をつくと……笑みを消して、ムジカに言ってくる。
「その怒りをレティシア嬢に向けるのはやめろ。不当だし……彼女は協力者ではあっても、立案者じゃあない。巻き込んだというのなら、彼女もだ。怒るなら、まず俺にしろ」
それはいつもの〝傭兵〟としての顔ではない。かつて見ていた〝貴族〟としての顔だった。冗談一つない、真剣な時の顔とも言える。
軽薄さなど一切ない、厳しい表情で彼は言う。
「確かに、お前の言う通りだよ。ドヴェルグの連中はレティシア嬢を攫おうとはしてたが、リムはあくまでオマケだ。お前を殺す上での人質としての価値はあったが、優先度は高くなかっただろう。あの場にいなかったら、リムが攫われる可能性は低かっただろうな。お前の言う通り、リムを巻き込む必要自体はなかった」
「だったら!」
「だがお前、その場合どうなってたか想像はつくか? 忘れちゃいないか? 攫われてたのはリムだけじゃない。ここにいる、レティシア嬢もだぞ?」
少しシミュレートしてみるか? と。
そうして彼は、あの日あり得たかもしれない〝もしも〟を語り始めた。
「あのまま仮に、リムを巻き込まず、攫われたのはレティシア嬢一人だったとしてだ。連中はレティシア嬢を人質に、お前に追ってくるように言っただろう。当然、お前は追うよな? お前が知らんぷりして見逃せるような性格じゃないのは知っている。義理だか義務だか道理だかは知らんが、お前はのこのこ追いかけただろうさ」
「…………」
「それで? 追いかけていって、その後お前はどうするんだ? お前を殺すために、連中が待ち構えている。人質は連中の手の中だ。お前が抵抗するならレティシア嬢を殺す。やつらにそう脅されたら、お前はどうするつもりなんだ?」
繰り返された問いに、だがムジカは答えなかった。
どうもしない。どうもできない。ムジカにできることなど何もないからだ。
ムジカにとって、あの状況は完全に詰んでいた。攫われていたのがレティシア一人だけだったとしても、何も変わらない。
傭兵一人の命と――それもたかが自分の命と、セイリオスの管理者であるレティシアの命と。天秤にかけるまでもなく、優先されるべきはレティシアの命だからだ。リムがいようといまいと、取るべき選択に変わりはない。
あの時、ムジカは死ぬべきだった――それは口にはしなかったが。
ラウルは目を細め、射抜くように強くこちらを見据え……硬質な声音で、突きつけてくる。
「お前が連中にやり返したのは、〝クリムヒルト〟がお前にそう命令したからだろう」
「…………」
「それがなかったら、お前は何の意味もなく殺されてただろうよ」
だからそうした……とまでは、ラウルは語らなかったが。
それは単純な道理だった。まず間違いなくそうなっただろうという、それをムジカは受け止めざるを得なかった。
もしも攫われたのがレティシア一人だったのなら、自分はきっと、抵抗せず死を受け入れただろう。仮にその後に警護隊の<ナイト>が助けに来たとしても、タイミングの問題もある。ムジカが墜ちた後、たった三機でほぼ無傷の傭兵団から逃げきれたかは怪しい。
実力次第なところはあるが、それでも人質一人を抱えたままとなれば、戦えるのは実質二機。覆しがたい劣勢だ。
その末路を思えば――そして結果だけを見れば、確かにリムを巻き込んだ、前回の形が最上だった。
ラウルたちが何故、そうしたのか。改めて突きつけられて、ムジカはうなだれた。
怒りはもうない。理屈を突き詰めれば、誰のせいでこうなったのかは一目瞭然だったからだ。反論の余地はない。騒動を起こしたのはドヴェルグ傭兵団だとしても……ラウルがその選択をしたのは、ムジカが原因だった。
それでも口から漏れのは、ただの悔いだった。
「だとしても、俺は……」
――リムに危険な目に合ってほしくはなかった。
彼女を巻き込みたくはなかった。そもそも彼女がこの空で苦労する必要はなかったのだ。それをリムは気にしていないと言ってくれたが……それでもと思うことはやめられない。
何かもっと、上手な方法はなかったのか。彼女を巻き込まず、誰も傷つかなかった方法が。今更そんなものを探しても、もう遅いとわかっていても――
だがその言葉が、ラウルの逆鱗に触れた。
「――ああ、そうかいそうかい」
ハッと顔をあげれば、ラウルは笑っていた。だがその笑みの種類が先ほどとは違う――
「要するに、お前はこう言いたいわけか。あの場で死んどけばよかったと。何もかもほっぽり出して、お前はあそこで死んどくことが最適解だったと。そんでお前が死んだあと、俺たちはそんなことには知らんぷりして生きてけばいいと! そう言いたいんだなお前は」
「っ! 違う! ラウル、俺が言いたかったのは――」
「ああいい、皆まで言うな。聞きたくない」
その顔にある怒りに気付いて咄嗟に叫んだが、彼は取り合わなかった。
レティシアもラウルの怒りに驚いているようだが。距離が近ければ、彼はこちらの胸倉でも掴んだかもしれない。
それほどの怒りに唖然としている間に、ラウルはうんざりと先を続けた。
「あー、あったま来た。あいつ関係になるととことんうじうじするやつだとは思ってたが、まさかここまでとは思ってなかった。あいつがたかがトラウマ一個こさえるかもって程度のことで、こんなバカげた話をされるとは思ってもみなかった。人がせっかくどうにかこうにか丸く収まるようにしてやったのにだ。本気で頭に来たぞ。どうしてくれる?」
「いやあんた、それ逆ギレ――」
「うるせえ。ああそうだよ逆ギレだよ。しかも今回はマジギレだぞ。本気でキレたぞバカガキが」
そうして、ハンカチ代わりにこちらに指を突き付けて言ってきたのが――これだった。
「表出ろ、ノブリス戦で白黒つけるぞ。お前が勝ったら俺が悪い、俺が勝ったらお前が悪い。それでいいな――久しぶりに、本気で揉んでやる」
3章1-5更新です。
たぶんGW中の更新はこれで最後になります。
次回更新予定は書籍化作業もあり未定です。しばらく間が開くことになるかもしれませんが、申し訳ありません。
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