3章 プロローグ
(――まったく……なんだって、この私がこんなところを歩かされなければならんというのか)
そこがどこかと問われれば、アルマは〝どこでもない〟と答えるだろう――
何しろそこは、存在することを知られてはいけない領域だからだ。誰にもそこがあることを知られてはならないし、そもそもそれがあることを知る者もわずかにしかいない。
知ることを許されているのは、たった二つの一族だけだ。
その一族の名を、〝管理者〟と〝調律者〟という。この空で人類が生きていくにあたって、真に必要とされる血統のことだ。
それ以外の者に、そこがあることを知られてはならない。何故なら、彼らには〝それ〟が何を意味するのかを正しく理解する知識がないからだ――……
(だからって、わざわざこんな奥まった場所に用意しなくてもよかろうに……)
うんざりと、胸中でだけ愚痴る。
アルマが今歩かされているのは通路だった。隠された〝そこ〟へとつながる道だが、それ以外の名はない。
通路はのっぺりとした、真っ白の壁・床・天井で構成されている。継ぎ目もなければ模様もない、ただの真っ白だ。それを構成する建材の知識はアルマにはない。得体の知れない謎の物質で作られた道というわけだ。
それがどこまでも続いていることを知っているが、辺りはほとんどが真っ暗で、その道の先を見通すことはできない。辺りが暗いのは光源がほとんどないせいだ。明かりは足元……より正確には、アルマが足を置いた床の一部分しかない。
アルマが足を離せば、床の明かりは自然と消える。一度でも道を違えれば、その途端に自分がどこにいるのかさえわからなくなる。ここはそんな道だった。
(つまりは……気取り屋だったのだろうな、古代魔術師というやつは。逐一演出が悪趣味というか……利便性を考えれば、こんな無駄な空間はそれこそ無駄だとわかろうものだが)
ねちっこいというのか、粘っこいとでも言えばいいのか。陰気で無価値な自己満足の気配にうんざりとする。
と、アルマは足を止めた。足元の明かりはゆっくりと薄れ、最後には消えてなくなる。
光源のない闇の中、アルマは数秒ほどを身じろぎ一つせずに待った。息を殺す必要まではないが、ここで待つ時には自然とそうしている。
まるで、沙汰を下されるのを固唾を飲んで待っている気分だが。
(バカバカしい。ここにあるのがそんなものではないことくらい、知ってるだろうに)
そんなことを考えた末の、やがて。
闇を真っ二つに割くが如く、目の前に一筋の青い閃光が走った。
その光はゆっくりと幅を広げ、辺りに光を漏らしていく。開門だ。条件を満たす者を認めて、扉が開いた。
隠されていた扉が開ききるのを待つことなく、アルマはその先へと身を滑り込ませた。
何もない空間がそこにはあった。だだっ広いだけの、何もない空間だ。閉鎖された、浮島の中のとある空間。ただそれだけの場所と言えばそうだが……奇異なのは、この空間を青白く照らすその存在だろう。
そこは〝炉〟と呼ばれていた。
名の由来は何もないこの空間の、その先にある。ガラスとも水晶ともつかない、得体の知れない材質に遮られた、そのさらに先。便宜上〝水晶壁〟と呼ばれている透明な壁を貫いて、〝炉〟を青く照らしているのは……炎だ。青く燃える、熱を感じさせない炎。
それがこの浮島、セイリオスの心臓部だ。
だからこそ、この場所があることを誰にも知られてはならない――
(であるなら、私の記憶からも消してもらいたいものだ。関わったって、何も面白いことはないんだから)
ため息を一つ置くと、アルマは来た時と同じ程度の自然体で歩き出した。
青く燃える炎のほうへと近寄りながら、苛立ち混じりに告げる。
「アルマー・エルマを継いだのは私ではないはずなんだがね。今更こんなところに、何故私を呼んだ?」
〝炉〟の前にいた、二人に言った。その二人ともがハッと振り向くと、こちらの顔を見て声を上げる。
「――アルマ……!」
「アルマちゃんっ」
一人は憎々しげに、一人はいつもの胡散臭い微笑みと共に。
どちらも顔なじみだ。一人は上司兼悪友で、もう一人は血縁だ。片方は面倒事ばっか押し付けてくるろくでなしで、もう片方は関わる価値もないろくでなし。
どちらのほうがたちが悪いかというと……まあ、間違いなく上司兼悪友のほうだろうが。
その悪友が、ぱんと手を合わせて言ってくる。
「ごめんなさいね、アルマちゃん。どうもここ最近、この子の機嫌が悪いみたいで……中枢管理システムに、不具合が出てるの。何が原因かもわからなくて……アルマちゃんなら直せません?」
「こいつのことを私に訊くのは筋が違うと思うんだがね。〝調律者〟を継いだのはそこのアンポンタンだ。私に言うよりそちらに頼みたまえよ、めんどくさい」
吐き捨てて、アルマはその悪友ことレティシアの隣を睨むように見やった。
男だ。長身で、神経質そうな。今は怒りか何かを堪えるように、唇を噛みしめている。こちらを睨んでいるが、アルマが強く睨み返すと気圧されるように目を背けた。
まるで弱い者いじめだと、うんざりするが。
「……アルマちゃん……」
困ったように眉根を寄せて、レティシアがこちらの名を呼ぶ。
言葉としてはそれだけだが、アルマは唇をへの字に曲げた。さほど強くはないが、レティシアの声には非難がある。大人げないとでも言うような。
うんざりとため息をついた。折れて良いことなど一つもないが、折れなければ話が進まないらしい。
「……貸し一つだぞ」
唾でも吐くような心地でそれだけ吐き捨てると、アルマは二人の横を通り抜けた。
青く燃える炎の前に立ち、それを隔てる水晶壁に手を伸ばす。
と――アルマがその障壁に触れた途端、辺りに〝こぉん〟と乾いた音が響いた。
次いで異変。アルマが振れた場所を起点に、水晶壁に波紋が走る。
炎が、一際強く揺らいだ。今まで揺蕩うように揺れていた炎が、まるではしゃぐ子供のようにせわしなく形を変える――
それがこの炎の情報伝達だと、真に理解しているのはアルマだけだ。炎の伝えてくる情報が理解できるのも。
ぎりぃ、と歯軋りの音をアルマは聞いた。
「……何故、お前なんだ。どうして、お前だけが……!」
(知らんよ、そんなこと)
理由になど興味はない。追求する手段がないのであればなおさらだ。ノイズにかかずらっている余裕もない……のだが、つい胸中で吐き捨てる。
今はそんなことなどどうでもいい。水晶壁を媒介にして炎が伝えてくる情報はまとまりがない。不具合が出ているとレティシアは言っていたが、炎はその原因を素直には伝えてこなかった。どうでもいい情報も一緒に送ってくるせいで、理解が追いつかない。
情報の洪水の中でひとまずぱっと見で読み取れた部分を、アルマは告げた。
「直近で、不正規ユーザーが三人もシステムにアクセスしているな。システムが混乱している……というかこれは、ふてくされてるとでも言えばいいのか? 八つ当たりみたいなものだ。こいつの気が済むまでは甘んじて受け入れるんだな。諦めろ」
「システムをまるで、生き物みたいに――」
「浮島を何だと思ってるんだ、貴様」
噛みついてくるアンポンタンに、アルマは切って捨てるように言い返した。
「理解できないのは勝手だが、当たり前のことを言わんでもらえんかね。気が散る」
「……っ!」
また聞こえた歯軋りの音に、アルマはまたため息をついた。
そう、当たり前の話だ。これが生きているかどうかなど。
生きているはずがない。彼の言う通りだ……が、それでもシステムはまるで生きているかのように振舞う。そのほうが効率がいいからだ。
これとよく似たものを、人類は知っている。相似に気づかないのは、隠されているからだ。
教えたところでどうしようもないものというのがある。知らなくても生きていけるようなものが。
(我々が、本当は何の上で暮らしているのかを……我々は、知る必要がないのだよ)
そのまましばらくは、出力されてくる情報に無言で付き合った。
システムの不調は――不機嫌は疑いようがない。気が済むまでは治まらないのも間違いないだろう。
だが、それにしては何かが気にかかった。
(……? 違う?)
不調の理由がだ。もちろん、不正アクセスの件はある。が……それだけではない。症状が発生した時期が近いから続いているだけで、他に理由がある。
(なんだ? こいつは何に対して不快を感じている? いったい何を――)
こいつは、伝えようとしているのか。
脳に叩き込まれる情報を精査して――
「……は?」
不意に気づくと、アルマは愕然とした。
眼を見開くと、ばっと背後を振り向く。そこには二人の人影があったが、アルマが見たかったのはそれらよりさらに先だ。
もちろん、この空間の中にいては見えるはずもないが……炎はアルマに情報を送り続けている。明確な緊急事態のシグナルを。
「……アルマちゃん?」
こちらの表情から何かを感じ取ったか。不安そうに、レティシアがこちらの名を呼ぶが。
「……航路を外れた浮島がある」
「……え?」
「システム不調の原因だよ」
ぽかんとそんな声を上げたレティシアに、アルマは表情を険しくして告げた。
「セイリオスからの緊急警報――どこぞのバカ共が、理由もなしに純正航路を放棄した。こいつは……空歴史上初となる、人類社会への反逆だぞ」
その言葉はこのがらんどうの空間に、ぽつりと響いてそのまま消えた。
Web版更新できておらず申し訳ありません。
本作「ノブリス・レプリカ」ですが、去年8月に「電撃の新文芸5周年記念コンテスト」にて「特別賞」を受賞し書籍化が決まっておりました。
その1巻がこの度6月17日に決まりましたので、下記リンク先の近況ノートでご報告させていただきます。
ノート:https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/114963/blogkey/3429655/
Web版に関しては書籍版と並行して続けることとなりました。
ただ更新頻度については依然と比べると格段に落ちます。今回も3章プロローグだけお出しして、しばらく間をあけることになると思います。
(ご迷惑をおかけして申し訳ありません)
そんな感じでしばらく書籍化作業を行いつつ、Web版も(できれば)ちまちま更新していくという形になりますが、引き続きお付き合い願えたらと思います。





