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付き合い始めて二年になる最高に可愛くて最高に頼りになる美少女幼馴染に「きさらぎ駅に来た」と伝えてみたら

作者: 十日兎月



 冒頭から唐突ではあるけれど、ここでぼくの幼馴染みであり、付き合ってから二年目になる自慢の彼女を紹介したいと思う。

 彼女とは生まれた時から家がお隣同士の幼馴染で、幼い頃からとても可愛い子として持て囃されていた。

 それもただ単に可愛いだけじゃなく、頼りがいがあるというか、凛々しいというか、子供達だけでなく大人にも一目置かれるくらいに器量がよく、大抵の事はなんでもそつなくこなす利発で気立のいい女の子だった。

 それは高校二年生になった今でも変わらず、むしろ成長に合わせるかのようにますます容姿端麗かつ才気煥発さいきかんぱつになっていた。


 翻って、ぼくの方はと言うと。

 正直言って、平々凡々を絵に描いたような奴と言えば十分過ぎるほど、これといって特筆すべき点はなにもない、実に無個性な男子高校生だった。

 無個性というか、没個性というか。

 同窓会で久しぶりに会ってみたら「あれ? 見た事あるような気はするけれど、こんな奴、同じクラスにいたっけか?」とか言われるタイプ。

 友達がいないわけじゃないし、決して人付き合いが苦手というわけでもないけれど、どうにも他人の印象に残りにくい顔をしているらしい。

 まあこの見た目のおかげもあってか、こと人間関係においてはほとんどトラブルに見舞われた経験がないので、別段疎ましく思っているわけでもないけれど。


 そんな陰の薄いぼくが唯一自慢できる事があるとするならば、先述にもあった通り、完璧を人の形をしたような才色兼備の美少女と恋人になれた事だろうか。

 なんて事を言うと「なんでそんな地味な奴が有能美少女と付き合えるようになったんだ?」と怪訝に思われそうだけど、まあ正直に明かすと、実は両思いだったのだ。


 それも、幼稚園の頃からずっと。

 告白はぼくからだったけれど──正直恋人になれるとすら思っていなかったけれど、いざ面と向かって気持ちを伝えてみると、まさかのオーケーをもらってしまったのである。

 幼稚園の頃からずっと親交こそあったけれども、きっと向こうは友達としてしか見ていないんだろうなと思っていただけに、心底驚いたのは言うまでもない。



 これからする話は、そんなぼく達が摩訶不思議な出来事に巻き込まれながらも、彼女の快刀乱麻を断つような活躍を描いた怪奇譚である。



 ◇◆◇◆◇◆



『え? 寝過ごした……?』

 駅──それも誰一人としていない閑散とした駅のホームだった。

 すでに夕日が差し、茜色の空が目の前に広がる中、テレビ電話の向こうで驚き半分呆れ半分の面持ちで言葉を発した彼女に対し、ぼくはぎこちなく「う、うん」と頷いた。

『今日の午後五時に、一緒に花火を見に行こうって言ったのは君の方だったよね? なのにこれは一体全体どういう事なのかな?』

 などと少しウェーブがかった栗毛の前髪をいじりながら、少々語気強めに問いかけてくる彼女に、ぼくは手に持ったスマホから目を逸らしながら応える。

「それは、話すと長くなると言いますか……」

『できれば一言で』

「じぃちゃんの家から帰る途中、電車に揺られている内に眠気が来ちゃって、それでつい……」

『はあ……』

 再度溜め息を吐かれた。

 ぼくのうっかりで約束を破ってしまったのだから、当然と言えば当然の反応だけど。

「ごめんねコーちゃん。コーちゃん、すごく楽しみにしてくれていたのに、間に合いそうになくて……」

 コーちゃんというのは彼女の渾名だ。

 本名は言うまでもなくちゃんと知っているけれど、彼女は昔から本名で呼ばれるのを嫌うので──男っぽい上に古くさいのがイヤらしい。ぼくは凛々しくて良い名前だと思うけれど──幼少の頃からずっと「コーちゃん」と呼んでいるのである。

 まあ、ぼくも自分で言うのも他人に呼ばれるのも恥ずかしい名前をしているので、気持ちはわからなくもないけれど……。

「やっぱり、怒ってるよね?」

『別に怒ってないよ。呆れてはいるけれど。車や電車に乗ると眠くなっちゃう癖、昔のまんまだし。色々と危ないから、いい加減その癖直した方がいいとは思うけれどね』

「極力善処します……」

 完全に直るかどうかはわからないけれど。

 なにせ、生まれた時からずっとある癖なので。

『まあいいよ。今に始まった事でもないし』

 そう嘆息するコーちゃんの首元から、一筋の汗が流れ落ちる。

 もう日も暮れてきた時刻とはいえ──ちなみにもう四時半過ぎになっていた線路まだまだ夏真っ盛りの七月下旬。

 こんな中、待ち合わせ場所である川原の近くで一人暑さに耐えながらぼくを待ってくれているのだと思うと、心の底から申し訳ない気分でいっぱいだった。

「本当にごめん……。今日のために可愛い浴衣まで着てくれたのに……」

『…………君、そういう恥ずかしいセリフをさらっと言っちゃうところあるよね』

「え? そんな恥ずかしいセリフだった? ぼくはただ事実を言っただけだよ?」

 実際、色とりどりの花が刺繍された藍色の浴衣がとても似合っているし、後ろ髪に刺さっている牡丹のかんざしも綺麗で、コーちゃんの凛然とした容姿にすごくマッチしている──スマホからだと肩から頭の先までしか見えないけれど、実物はきっと十人が見たら十人必ず振り返るであろう美麗な姿なのは想像に難くない。

 そこまで言うと、コーちゃんは赤らんだ頬を隠すように顔を逸らして、

『………………ほんと、そういうところだぞ、君』

「え、なにが?」

『なんでもないよ』

 言って、暑気を払うように自身の顔で手で扇ぐコーちゃん。

 こっちはそうでもないけれど、コーちゃんのいる川原はけっこう暑いのかもしれない。

 しかも、スマホから聞こえる周囲の喧々たる声から察するに、花火客もなかなかの数が来ているようなので、なおさら熱気が凄そうだった。

「ところでコーちゃん、そっちは大丈夫? 暑いのならいったん近くのコンビニに行ってもいいんだよ?」

『んー。お言葉に甘えてそうさせてもらうとしようかな。君がいつここに到着するかわからないし。聞くまでもないけれど、今からこっちに向かうつもりなんだよね?』

「もちろんだよ。ただ、よく知らない駅に来ちゃったみたいだから、今から時刻表を見て何時にそっちに行けるか計算するところだけれども」

『よく知らない駅? 君、電車で一時間くらいの場所にあるお祖父さんの家に行っていたはずじゃないのかい? それなら特急か新幹線でも使わない限り、そうそう見覚えのない駅には着かないはずでは? 今まで何度も利用している電車でお祖父さんの家に行ったんだろう?』

「うん。特急でも新幹線でもない、いつもの普通電車に乗ってそっちに帰るところだったんだけど途中で眠くなっちゃって、それでふと目が覚めたらよく知らない駅に止まってて……」

『で、うっかり目的地を通り過ぎたと思って慌てて電車を降りたところまではさっきも聞いたけれど、結局なんていう駅に降りてしまったんだい?』

「えっとね──」

 視線を目の前のスマホから、その後方にある駅名が記された看板へと移す。



「きさらぎ駅、という所に来ちゃったみたい」



 その瞬間。

 いつもは泰然自若としているコーちゃんが、虚を衝かれたように双眸を見開いた。

『きさらぎ駅……きさらぎ駅だって? 君、きさらぎ駅って言ったのかい? 漢字の「如月」ではなく、ひらがなの方の?」

「う、うん。ひらがなの方だけど……え、もしかしてこの駅って、なにか有名な所なの?」

 周りは木々や山だけで特に目立つような建造物はないし、しかも駅員どころか、ぼく以外の客すら見当たらない有り様なんだけど……。

『……有名だよ。その筋ではかなり、ね』

「へー。ぼくは寡聞にして知らなかったけれど、人気の観光地だったりするのかな?」

 ぼくの問いかけにコーちゃんは『いいや』と首を横に振ったあと、いやに神妙な顔でこう続けた。



『ネットロア──都市伝説だよ。つまり君が今いる所は、本来なら日本のどこにも存在しえない駅というわけさ』



「どこにもない、駅……?」

 えーっと?

 それってつまり、どういう事?

「ごめんねコーちゃん。ぼく、そういうの全然詳しくないからわからないけれど、要するに不思議な現象に巻き込まれているっていう認識でいいの?」

『まあ、そうだね。つまるところオカルトの流域ではあるのだけれど、昔から君はそういうのに疎かったから知らなくても無理はないかもしれないね』

 君自身は知らず知らず内によくオカルト関連のトラブルに巻き込まれているけれどね。

 なんて嘆息混じりに後を継いだコーちゃんに、ぼくはつい目を逸らしてしまった。

 色々と、心当たりがあり過ぎたから。

 でも、そっかー。またオカルトかー。

 こと人間関係においてはほとんどトラブルに見舞われた事はないと先述してしまったけれど──実際これまで基本的には平々凡々と生きてきたぼくではあるけれども、一体なんの奇縁なのか、何故かオカルト関連のトラブルにはよく遭遇してしまうのである。

 そのたびによく周りの人……特にコーちゃんに助けてもらっているのだけれど、今回もまたもや妙な事に巻き込まれてしまったらしい。

 できれば何かの冗談だと思いたいところだけれど、コーちゃんは至って真剣そのものだし、そもそも彼女がぼくに対してそんなつまらない嘘を吐くはずがない──残念ながら、これは現実なのだと受け止めるしかないようだ。気持ち的には夢か幻であってほしいところではあるけれども。

「ごめんコーちゃん。また変なのに巻き込まれちゃって……」

『まあいいよ……いや現状なにもよくはないけれど、ここで君を責めたところでどうしようもないからね。今はどうしたらいいかという事だけを考えよう。大丈夫。私が必ずなんとかするから』

「コーちゃん……!」



 カッコいい。

 なんてカッコいいんだ、ぼくの彼女は。



 もはやカッコよすぎて、惚れ直したというレベルを軽く超えている。いっそこの命をコーちゃんに捧げたい。

「で、これからどうしたらいいのかな? ぼく、本当に何も知らなくて……」

『安心して。「きさらぎ駅」の話はだいたい覚えているから』

「さすがコーちゃん! 昔から物知りだったけれど、ほんとなんでも知っていてすごいね!」

『うん。こういうオカルト関連に詳しくなったのは、ほとんど君のためなんだけれどね。こういういざという時になんでも対処できるように』

「うっ……。い、いつもご迷惑をおかけしてごめんなさいです……」

『別に迷惑だと思った事は一度もないから謝る必要はないよ。君だって好きでオカルトの類いに巻き込まれているわけじゃないんだから。私はただ、君が無事でいてくれさえすればそれでいいんだよ』

「コーちゃん」

『なんだい?』



「愛してる」



『あ、りがとう……。ていうか、本当に時と場所を選ばないね、君は……』

 しかも不意打ちで来るから困る、と頬を赤くして言うコーちゃん。

 気持ちが溢れるあまり、つい気持ちをそのまま口にしてしまったけれど、後悔はない。

 なぜなら、大いに照れるコーちゃんを堪能できたから。

『って、電話越しにイチャイチャしている場合じゃないよ』

 と仕切り直すようにこほんと咳払いしながら語勢を強めるコーちゃんに「そ、そうだったね」とぼくも背筋を伸ばした。

『いいかい、よく聞くんだ──ひとまず、むやみに動き回ってはいけないよ。遭難してしまう可能性があるからね。それか……に気を……て……のは』

「え? コーちゃん? 今なんて言ったの?」

 どうしたのだろう。それまで綺麗に映っていたスマホの画面が、突然ノイズが走ったように乱れてきた。

 もしかして、受信状態が悪くなってる?

「コーちゃん。もう一度言ってみてくれる?」

 試しに今立っていた場所から数歩だけ移動して再度聞き返してみる。

『じゃあも……度……よ? 気を付け……しいのは……りの音……』

 ダメだ。移動してみても画面の乱れが直らない。そのせいでコーちゃんの声もよく聞き取れない。

 突然前触れもなく電波が悪くなるなんて、この駅特有の──「きさらぎ駅」がもたらしている影響なのだろうか。

 などと困惑している内に、しまいにはスマホの画面からコーちゃんの姿が消えてしまい、完全にブラックアウトしてしまった。

 その直前に、意味深な言葉だけを残して。



「特にまつ………………けは気を付けて……」



「え、まつ? まつがなに? コーちゃん、コーちゃん聞こえる? もしもーし?」

 と、何度も呼びかけてみるも、一切応答なし。

 仕方なく通話を切って電波状態を確認してみると、いつの間か圏外になっていた。

「どうしよう……まだちゃんと『きさらぎ駅』の対処法を聞けないまま通話が切れちゃったよ……」

 思わずスマホを手にしたまま途方に暮れてしまう。

 相変わらず目の前には空虚な線路があり、他は夕焼け空と鬱蒼と生い茂る木々と草花くらいしかない。

 せめて人影でもあれば少しは違ったのかもしれないけれど、どこをどう見渡しても自分以外は誰一人して見当たらなかった。

 しかも次の発車時刻を確認しようにも、どこにも時刻表がないので、次の電車に乗るかどうかという算段すら立てられない。

 とどのつまり、完全に詰んでいる状況だった。

「まいったな……。コーちゃんは下手に動き回るなって言っていたけれど、このままだと夜になっちゃいそうだし……」

 もしそうなれば、最悪この駅で一夜を明かす事にならかねない。それはとても困る。

 というか、こんな人気ひとけもない薄気味悪いところで一人きりにされるなんて、単純に怖すぎる。

 この世界のどこにも存在しない駅となれば、なおさらに。

「やっぱここから移動しないとまずいかも……。あとでコーちゃんに叱られそうだけど……」

 まあ状況が状況だし、コーちゃんも大目に見てくれるだろう。

 大目に見てくれるはずだ、たぶん。

 ……大目に見てくれたら、いいなあ。

 さておき。

 移動するにしても、さすがに当てもなく歩くわけにもいかない。それこそこんな周りが茂みや林で囲まれている山のような場所で無作為に歩いたら、確実に遭難してしまう。

「まあ、線路伝いに歩けば次の駅に着けるだろうし、少なくとも迷いはしないよね……次の駅が絶対安全なんて保証はないけれども」

 それでもここで一人きりにされるよりは、まだ誰かいる可能性に懸けたい。

 そう思考したぼくは、さっそくとばかりに改札口へと向かう。

 改札口に来てみると、そこに改札機はなく、当然ながら駅員もいなかったので、少し申し訳ない気持ちになりながらもそのまま駅舎から出る。

 それからすぐに裏手方向へと移動し、フェンス越しに見える線路を頼りに横道を歩く。

 線路脇にあるこの道は多少整備されているのか、ずっと前方まで砂利が敷かれてあり、今のところ倒木だとか大きい水溜まりといった心配はなさそうだった。



 ──願わくば、このまま何事もなく次の駅に行けますように。



 そんな内心の祈りと共に、ただひたすらどこまでも前方に伸びている線路を頼りに足を進める。

 それからどれだけ歩き続けた事だろうか……体感的には一時間以上歩いたところで、ふと視界にトンネルのようなものが映ったような気がした。

 それまで同じく景色がずっと続いたいたので、前振りもなく見えてきたトンネルらしき物体をおもわず凝視する。

「幻覚……じゃないな。やっぱトンネルだ、あれ」

 という事は、あの先に次に駅があるのかも……?

 いや、確証はなにもないけれど。

 それどころか、また辺鄙な場所に着いてしまう可能性すらあるけれど。

「まあでもここまで来たら、行くしかないよね……」

 戻ったところで、元の場所に──コーちゃんが待っている世界に帰れる保証もないし。

 そう覚悟を決め、いざトンネルへ向かおうとしたところで──



 どこからともなく太鼓と鈴の音が──祭囃子のような音が響いてきた。



「もしかして、近くに人がいる……?」

 でも、この祭囃子は一体どこから聞こえてくるのだろう?

 相変わらず周りは草木や山しか見当たらない上、人影どころか話し声すら聞こえてこない。

 本当にこの音が祭囃子なのだとしたら、客の騒然とした声が聞こえてこないのは少し不自然だ。

 けれど、もしもこれが本当に祭囃子だとしたら?

 もしも近くに人がいたとしたら?

「ちょっとだけ探してみようかな……」

 いないならいないで、諦めてまたトンネルに向かえばいいし。

 とは言うものの、こんな何もないところでむやみに動き回ったら確実に迷う。あまり遠くにはいけない。

 ひとまず、ここは今いる場所からなるべく離れないまま周囲に意識を配って、



「おーい。危ないから、あんまり線路のそばに寄っちゃいかんよ」



 と。

 ちょうど周りの景色をよく見渡そうと少しフェンスをよじ登ったところで、どこからか男の低い声が聞こえてきた。

「えっ。だ、誰?」

 慌ててフェンスから降りて声がした方へ振り向く。

 すると遠くの方──ちょうどトンネル付近で、片足のないお爺さんが杖を突いたままこちらを見つめていた。



 人だ! 人がいる!



「あの! そこで待っていてください! すぐそっちに行くんで!」

 そう大きな声で呼び止めつつ、すぐさま全力で駆け出す。

 が、いつの間に離れてしまったのだろう……八分くらいかけてようやくトンネルの前にまで来た時には、片足のお爺さんの姿はさながら泡のように影も形もなく消え去っていた。

「……あれ? お爺さんはどこに……?」

 さっきまで間違いなくここにいたはずなのに……ひょっとしてぼくの声を無視して、トンネルをくぐっちゃったとか?

「そんなぁ。色々訊きたい事があったのに……」

 がくり、と肩を落とす。

 せっかくこの場所から抜け出す方法とか色々と聞き出せるかもしれないと思っていたのに……。

 そんな落胆と共に、何気なくトンネルを見上げる。

 するとちょうどトンネルの中央真上部分に、明朝体で「伊佐貫」と支柱に書かれてあった。

 読み方はわからないけれど、たぶん「いさぬきトンネル」で合っているのかな? それか「いさきトンネル」?

 まあ、どっちでもいいか。

 それよりも今は、ぼく以外の人がいたという事の方が何より重要なポイントだ

 コーちゃんが言うには、ここは異界のような場所らしいけれど、人がいたという事は案外誰かが行き来しているのかもしれない──異界と現実世界に通じる何らかの道を使って。

 その手掛かりになるかもしれなかったお爺さんはすっかり見失ってしまったけれど、もしもこの近くにあるのだとしたら、やはり目の前のトンネルが怪しい。

 ぶっちゃけ、ちょっと怖いけれど。

 特に出口と思わしき光量もないところか、めちゃくちゃ恐怖心を煽ってくるけれど。

「まあ、どのみちこのトンネルを行かないと次の駅にも行けないし……」

 なんて自分に言い聞かせつつ、背中に這う悪寒を誤魔化すように両腕をさすりながら、ぼくはトンネルの中に入った。




 結果だけを簡潔に伝えると、特に何事なくあっさり出口に着いた。

 というか、意外にもちゃんとした照明がトンネルの中にあったりして、さほど怖くもなかった。

 で。

 こうして出口に来てみると、残念ながら相変わらず民家だったり人の往来などは見受けられなかったけれども、その代わりというかなんというか、それまでなかったアスファルトが──舗装された道が目の前に広がっていた。

 という事は、何かしらの乗り物がここに通りがかるかもしれないという可能性が出てきたわけだ。

 ここに来て、ようやっと希望が見えてきた事に思わず安堵の息を零したところで、遠くの方ならエンジン音のようなものが聞こえたような気がした。



 それは時間が経つごとにだんだんと大きくなり、やがて一台の自動車──ブラウンカラーの軽ワゴンがこっちに走って来るのが見えた。



「! 車だ!」

 思わず両手を振って「おーいっ」と駆け寄る。これまでずっと歩いてきた事による足の痛みすら忘れて。

 するとあっちも気付いてくれたみたいで、車のライトでぼくを照らしながら徐々にスピードを落として停車した。

 よかった。これでスルーされてしまったら本格的に野宿を覚悟しなくちゃいけないところだった。

 いや、これで助かると決まったわけじゃないから、気を緩めるにはまだ早いかもしれないけども。

 なんて考えている内に、運転席側の窓がゆっくり開き、中から二十代後半くらいのお兄さんが顔を出してきた。

「君、こんなところで何してるんだ? しかも一人きりで」

 と怪訝がるお兄さんに、ぼくは開きかけた口を一瞬噤んでしまった。

 ……どうしよう。さすがに居眠りしたせいで駅を寝過ごしたら、いつの間か「きさらぎ駅」という異界に迷い込んでしまって、線路を頼りに歩いていたらこんな場所にいました、なんて事を一から十まで説明したところで信じてもらえるとは思えない。せいぜい頭のおかしい奴と思われるのが関の山だ。

 うん。ここは適当に誤魔化そう。

「えっと、ちょっとハイキングに来ていたら、いつの間かこんな場所まで迷い込んじゃいまして……」

「そんな軽装で? それにこの辺、ハイキングに来るだけの公園なんてあったかなあ?」

 まずい。めちゃくちゃ疑われてる……。

 でも、そりゃそうか。

 普通一人で、こんな所まで来ようなんて思わないだろうし。

「というより、いつからここにいたの? もう六時半だぞ?」

「えっ」

 慌ててズボンのポケットからスマホを取り出して時間を確認してみると、本当に六時半になっていた。ぼくの感覚では、まだ六時前だと思っていたのに……。

 でもよくよく周りを見渡してみると、日はほとんど沈みかけており、薄闇が辺りを包んでいた。夕方と夜の間──俗に晩方というやつだ。

 自分では意識していなかったけれど、かろうじて周りの景色を確認できたのも、どうやら背後にあるトンネルの光源のおかげだったようだ。

「うわ……全然気が付かなかった……。こんな時間になってたなんて……」

 どのみちコーちゃんとの待ち合わせに間に合いそうになかったけれど、これじゃあ遅刻なんて言葉が生易しく聞こえるほどの大失態だ。コーちゃんになんて謝ろう……。

 なんて一人頭を悩ましていると、

「もしかして、帰る方法がないとか? 家族には何か伝えてなかったのか?」

「あ、いえ……家族にはちょっと出掛けるとしか言ってなかったので、誰もぼくがここにいる事は知らないと思います。なので迎えは期待できないですね……」

 お兄さんからの質問に素直に応える。するとお兄さんは「それはまずいねー」と眉根を寄せた。

「この辺めったに人が来ないから、このままだとずっとここにいる事になっちゃうぞ? ここ圏外だから、ある程度先まで行かないと電波も来ないし」

「ほ、ほんとですか? ど、どうしよう……」

 と、オロオロするぼくを見て同情心を抱いてくれたのか、お兄さんが助手席を指差して「ほら、早く早く乗りな」と声を発した。

「え。の、乗せてってくれるんですか?」

「まあね。君みたいな子供を一人で置いておくわけにもいかないし。俺が近くの町まで送ってあげるよ」

「あ、ありがとうございます!」

 お礼と共にすぐさま頭を下げる。

 地獄に仏とはよく言うけれど、まさに仏のようなお兄さんだ。さっき初めて会った人間なのにここまで親切にしてくれるなんて、よほどご両親の教育が良かったか、もしくは心の綺麗な人に違いない。

 そんな感謝の念を抱きつつ、ぼくはお言葉に甘えてお兄さんの車に乗り込んだ。




 車に乗せてもらってからしばらく経って。

 気付けば辺りはすっかり暗くなり、サイドガラス越しから空を見上げてみると、たくさんの星々が散らばっていた。

 それだけなら「綺麗な星空だなあ」で終わっていたのだけれど、奇妙だったのは月の色の方だった。

 奇しくも今日は満月で、しかもスーパームーンだったのか妙に大きく見えていたのだけれど、なぜか見慣れた淡い白色ではなく、血のような赤黒だった。

「あれ? 今日って月食だったっけ……?」

「あー。今日は変な色だよなー」

 と。

 助手席で空を眺めながら独り言を呟いたぼくに、隣りで運転中のお兄さんが不意に言葉を返した。

「でも大気の影響で色も変わるらしいから、そのせいなんじゃない?」

「なるほど。月も出たばかりですし、そうかもしれませんね」

 なんの根拠もないけどなー、と苦笑しながら依然として林道を走るお兄さん。

 道自体はそれほど狭くはないけれど、相変わらず周りが木々ばかりで一向に民家は見えてこない。

 もしかして自分でも知らない内に、山の中にでも入ってしまっていたのだろうか?

「あのー、ちょっと聞きたい事があるんですが」

「うん。なんだい?」

「ここって一体どこなんでしょう? さっきから全然心当たりがなくて……」



「ここ? 比奈ひなってところだけど」



「比奈……?」

 首を傾げる。そんな地名、見た事も聞いた事もなかったからだ。

「比奈って町名ですか? だとしたら○○県のどの辺りになるんでしょうか?」

 自分が住んでいる県の名前を言って詳細を訊ねる。一度は寝過ごして変な駅(というより異界?)に来てしまったけれど、こうして無事現実世界に戻れたみたいだし、あとで両親やコーちゃんに連絡するためにも現在地を詳しく知っておこうと思ったのだ。

 しかしお兄さんは、さっきまでの柔和な対応が嘘のように無表情になり、なぜか一言も発しないようになってしまった。

「えっと…………あれ……?」

 困惑が言葉となって零れ出る。

 もしかして、ちょっと質問がくどかったかな? 運転中なわけだし、あんまり話しかけるのはよくなかったのかも。

 今後はなるべく声をかけないようにしておこう。気が散ったせいで事故で起きたら元も子もない。

 そんなわけでしばらく無言で流れる景色(言っても相変わらず林か草原しかないけれど)をぼんやりと眺めていると。

「…………ん?」

 あれ? なんか妙だ。

 さっきからずっと林道ばかりで、一向に町の光すら見えてこない。

 もうかれこれ一時間以上は走っているはずなのに。

 それだけ町から離れていた駅にいたという事なのかもしれないけれど──だとしてもこれは変だ。



 だって町に向かっているはずなのに、坂道を上り始めているのだから。



 普通町に向かっているのなら、平坦な道かもしくは下り坂を進むはずだ。

 それなのに、坂を走っているという事実。

 これってつまり、意図的に山へ向かっているって事なんじゃあ……。

「あのー……さっきからだんだん山の方へ向かっているような気がするんですけど……」

 たまらず隣りのお兄さんにおそるおそる訊ねる。

 しかしながらお兄さんは、ぼくの話を聞いていなかったのか、というより端から聞く気がなかったのかのようにただ前方だけを見つめ、何やらぶつぶつと小さく独り言を呟いていた。

 しかも、その内容が──



「……なんで俺がこんな事をしなきゃいけないだ俺は頼まれただけなのにだいたい供物なんであいつらだけでも十分だろそれなのにまだ増やすなんてなに考えてんだどうせ俺には少ししか分けてくれないくせにそもそもこっちは村の中でもかなり働いている方なのにいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも……」



 やばい……。

 なにがやばいって、不穏な内容もさる事ながら、焦点の合ってない目でずっと前だけを見つめているお兄さんの表情が幽鬼じみていて、初対面時の優しい雰囲気が完全に消え去っていた。

 まずい……このままだとどこへ連れて行かれるかわかったものじゃない。

 いやそれ以前に、道中で何をされるか──命の保証すら危うい。

 これはなんとしても逃げなくちゃ。こんなまともとは言えない状態の人のそばになんて、これ以上いられない。いたくない。

「あの、ここで下ろしてもらってもいいですか? あとは自分で帰るので……」

 まだ林道の最中ではあるけれど、それでもこのままお兄さんの車に乗せてもらうよりは断然マシだと思って降車を願い出る。

 でもお兄さんは依然としてぶつぶつと独り言を呟いたまま、一向にブレーキを踏む気配は見えない。

 いやむしろ、前よりアクセルを踏む足が深くなっている。現にアクセルメーターを確認すると、最初の時よりも三十キロ近くも早くなっていた。



 やばいやばいやばい! 本格的にやばい!



 このままだとどこかに連れて行かれる前に事故っちゃう! ただでさえ山道に入っているのに、崖にでも落ちたら一大事どころの話じゃ済まない!

 けど、一体どうしたらいい?

 幸いな事に車のロックはかかっていないみたいだけど、走行中に助手席のドアを開けて脱出しようものなら大怪我は必死だ。

 つまり怪我なく車から出るには、まずスピードを緩める必要がある。けれど強引にこっちからブレーキを踏んだら、スリップ事故を起こしかねない。

 いやそれ以前に、お兄さんに抵抗される可能性もあるわけで、そうなったらハンドル操作を誤って林の中に突っ込んでしまう──確実に怪我だけじゃ済まされない。

 でも、このままじゃあどのみち助かる保証はない。どうにかして車を止めないと!

「けどどうしたら……! ああもう、こんな時スマホさえ繋がったら……!」

 焦燥と共にスマホを取り出すも、依然としてずっと圏外のまま。これじゃあ通報どころか助けすら呼べない。

 しかもこうしている間にも、どんどんスピードは上がっていく。まるで自ら死地に向かうかのように。

「くうっ! 全然良い案が思い付かない!」

 もうダメなのか? このまま危険な場所に連れて行かれるか、事故ってしまうしかないのか──?

「コーちゃん……!」

 無意識下にコーちゃんの名を呟いていた。

 こんなどことも知れない山中にいるはずのない恋人の名を。

 と。

 ここに来て自分の死を覚悟し始めた、その時──



 どこからか、バイクの走行音のようなが聞こえたような気がした。

 それも、後ろの方から。



 すぐにハッと直感めいたものが働いて、そばにあるサイドミラーを見た。

 ジクサー150。

 元々は東南アジア向けで開発されたもので、細身な車体でありながらかなりタフな設計がなされており、燃費もさる事ながらスピード感なども抜群で、ツーリングファンにも人気なバイク。

 そしてそれに跨がるは、黒のライダースーツを身に付けたスレンダーな女性。

 それより何より、あの黒のフルフェイスヘルメットから靡く、あの特徴的な栗色の長髪は──



「──コーちゃん!!」



 間違いない! あれはコーちゃんだ!

「でも、どうやってぼくの居場所を……?」

 いや、今はそれはどうでもいい。

 今はどうやってコーちゃんとコンタクトを取ればいいかに集中しなくては。

「そうだ。助手席の窓……!」

 ついドアをロックされていたせいで失念していたけれど、窓ならぼくでも開けられる。

 もちろん、車が走っている間に窓から脱出なんて到底不可能だけど、ちょっとなら会話も──当然お兄さんに妨害される危険性もあるけれど、それでもコーちゃんなら何かしら対応策を考えてくれているかもしれない。

 さっそく善は急げと窓を開けたいところではあるけれど、その前に横にいるお兄さんの様子をチラチラ窺う。

 お兄さんは前のまんまというか、コーちゃんが現れたあとも眼中に無しと言わんばかりにハンドルを握ったままブツクサと意味不明な独り言を呟いていた。

 もしかして、精神に異常をきたしているとかで、周りが見えていないとか?

 それはそれで恐怖だけれど、この時に限って言えば逆にありがたい。

 そんな風にお兄さんの様子を気にしつつ、スイッチを押して窓を開ける。

 するとコーちゃんもこっちの行動に気が付いたみたいで、エンジンをさらに吹かせてぼくの横に張り付いた。

「コーちゃん! 助けに来てくれたんだ! ありがとう!」

 本当は危険な行為なのだけれど、コーちゃんがそばに来てくれた安堵感からか、つい窓に身を乗り出すように顔を出す。

 直接、コーちゃんは無言て腰に巻き付けしてあったミニバッグからスマホを取り出し、ハンドルを片手で操作しつつ──それも爆走したまま──指抜きグローブの手で何やら画面をいじり始めた。

 そんな器用な真似をするコーちゃんに少しの間だけ面食らっていると、ややあって、とある文章をぼくに見せてくれた。

「えっ──?」

 その文章を読んで、思わず目を疑った。

 これを、今からコーちゃんとぼくが? いやでも、本当にそんな事で上手くいくの……?

 ええい! 考えたって仕方がない!

 他でもないコーちゃんが言っているんだ──だったらぼくは愚直に信じるまでだ!

 そうして、ぼくが了承の意味を込めて頷くと、コーちゃんも意図を組んでくれたのか、こくりと頷いたあとに突然スピードを緩めた。

 それからいったん車の背後に付いたのち、またすぐエンジンを吹かせて運転席側に回った。

 その行動にさすがのお兄さんも気付いたのか、血走った目を横を並走するコーちゃんに向ける。

 そして、お兄さんが車を寄せてバイクに当てようとハンドルを切る直前──



 コーちゃんが、小振りのハンマーのような物を使って、運転席側の窓を突如として打ち割った。



 飛び散る窓の破片に、「ぐうっ!」と獣が怯んだような声を発して上体を横に逸らした。

 この時、ぼくは事前に窓が割れる事を知っていたので頭を抱えながら顔を伏せていた。先ほどのコーちゃんの指示──スマホで『今から運転席側の窓を割るから、その時は顔を横に伏せて』という文章を見せられて、その通りに従ったのだ。

 そして、コーちゃんの指示にはまだ続きがあった。

 それを実行するには、今しかない!

 剛毅果断ごうきかだん──コーちゃんを信じて突き進め!


 

「うわあああああああああ!!」



 大声と共にお兄さんを押し倒すようにのしかかり、ブレーキへと片足を伸ばす。急ブレーキをかけないよう、慎重にブレーキペダルに足を乗せる。

 その間、完全手放し状態になっているハンドルを、コーちゃんが割れて開け放たれた運転席側の窓から手を伸ばしてハンドルを握っていた。車が林の中に突っ込まないように。

 そしてこの間にも、ずっとバイクを運転しながら。

 かなり危険な行為なのは言うまでもないけれど、ぼくを助けるために命すら張ってくれているんだ──ぼくも臆してなんかいられない。

 ヴェアとかオァガとかよくわからない奇声を発しながら抵抗するお兄さんを必死に上から押さえつけながら、ぼくはゆっくりブレーキペダルを踏んだ。

 徐々に落ちていくスピード。それから一分と立たず車は道のど真ん中で停止した。

 よし! 今なら助手席の窓からでも逃げられる!

 そう判断して、すぐさまお兄さんから離れようとした途端、



「きなよぁさらわたまはらわさあさやまなさらまあかはぁはぃなははらきぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

「うわぁ!?」



 お兄さんに腕を掴まれた!

 しかも、めちゃくちゃ力が強い! まるで万力で締められているみたいに痛い! 人間の力じゃない! なんだこれ!?



「伏せて!!」



 突如放たれたコーちゃんの言葉に、ぼくはほとんど反射的に顔を伏せた。

 直後、何やらプシューというスプレーのような音が鳴ったあと、お兄さんが「あああ!?」と怯んだような声を上げてぼくから離れた。

 その隙を狙って、すかさず助手席の窓から頭を出して車から脱した。さながらダイブするように。

「大丈夫!? どこも怪我はないかい!?」

 いつの間にこっちへ来ていたのだろう──気付いた時にはすぐそばにいたコーちゃんが、地面に転がったままのぼくを抱きかかえるように起こしてくれた。

「だ、大丈夫。窓から出た時にちょっとだけ肘を擦り剥いちゃったけれど……」

「そ、そうかい。それはよかった……」

 ヘルメットのシールド部分を上げて、心底安堵したように口許を綻ばせるコーちゃん。

「ありがとう、コーちゃん。こんなところにまで助けに来てくれて……」

「お礼ならあとで聞くよ。それよりも今は、あいつが催涙スプレーで目が開けられない内にここから離れよう」

 言われて、車の中に未だ残っているお兄さんを見てみると、確かに目を抑えながら悶えていた。

 あの時伏せろと言ったのは、催涙スプレーからぼくを守るためだったのか。

「ほら、早く」

 終始唖然とするぼくに、コーちゃんがゆっくり手を差し伸べる。

 その手を、ぼくは微笑と共に手に取った。




 後日談──というのには語弊があるので、あのお兄さんの車から脱出して数時間が経った話ではあるけれども。

 ぼくは今、バイクを運転するコーちゃんの背に相乗り(ちゃんと予備のヘルメットを装着して)させてもらいながら、海沿いの道を走っていた。

 まだ距離はあるけれど、横手には見慣れた街の夜景が見える。

 つまりは、今度こそ元の世界に戻ってこれたのだ

「まったく、君って人は本当にオカルト絡みの事件に縁がある男だよね」

 と。

 お兄さんの暴走車からどうにか逃れて、その後は脱兎のごとく猛スピードで愛車を走らせていたコーちゃんが、街が見え始めたあたりで法定規則に速度を合わせたのち、唐突に口を開いた。

 それまでずっと無言だったので、きっと怒っているのだろうなと思いきや、意外にも落ち着いた口調──呆れてはいるのだろうけど──言葉を発したコーちゃんに少しホッとしつつ、ぼくは「ごめん」と一言謝った。

「いやまあ、君は巻き込まれただけなのだから、そこまで罪悪感を抱くほどのものでもないけれど……」

 よほど気落ちしたように見えたのか、コーちゃんは若干戸惑うように言葉を濁した。

「けど、どうして私の言いつけを守らず、駅から離れてしまったんだい? さすがにあれに関しては愚行としか言い様がないよ?」

「周りに誰もいなかったら……。それでだんだんと不安になってきちゃって……」

「それでひとまず駅から離れようと?」

 こくりと首肯すると、コーちゃんは呆れたような口調で「あのねえ」と声を漏らした。

「君は知らなかったから仕方がないかもしれないけれど、『きさらぎ駅』という都市伝説は駅から離れてからが本番なんだ。つまり駅から離れようとすると、怪現象に次から次へと遭遇する羽目になってしまうんだよ。歩いている途中に祭囃子が聞こえてきたり、片足のお爺さんに呼び止められたり、親切を装った男にどこかへ連れて行かれそうになったりね。

 そうなる前に、祭囃子が聞こえてきたら気を付けてと伝えたつもりだったのだけれど……」

 あ。

 あの通話が切れそうになった間際に言っていた『まつ』なんとかって、祭囃子の事だったのか。

「ごめん。あの時電波の調子が悪かったせいで、全然気が付かなかった……」

「まあいいけれどね。こうして無事君を異界から救出できたんだから」

「異界……」

 コーちゃんの言葉をオウム返しに呟いたあと、ぼくはちょっと前から気になっていた事を訊ねた。

「コーちゃんって、どうやってぼくの所に──きさらぎ駅に来たの? いや、トンネルを抜けたあとだからきさらぎ駅付近って言うべきかもしれないけど、ともかく異界には変わりないわけで。それなのにどんな方法でぼくの居場所を突き止めたの?」

「ああ、その事かい。それなら単純明快さ」

 言って、コーちゃんはいったん道の端によってバイクを止めたあと──ちなみにほとんど車は通っていなかったので、追突される心配はない──ミニバッグからスマホを取りたり出して、何やらちょっといじってから「ほら」と画面をぼくに向けた。



「GPSさ。これで君の居場所を逐一把握していたんだよ」



 GPS。

 人工衛星の電波で人物などの居場所を測り知る装置で、全地球測位システムとも呼ばれる。

 というのは、無知なぼくでもよく知ってはいるけれど──

「GPS? でもぼく、GPSのアプリなんてスマホに入れてないよ?」

「……あー。それはなんていうか、前に君の部屋に遊びに行った時に、こっそり君のスマホに追跡アプリを入れまして……」

「えっ」

 思いっきり初耳なんですけれど?

「だって君、すぐオカルト絡みの事件に巻き込まれるから……今日だってアプリを入れていなかったらどうなっていたかわからなかったし……」

「それは、まあ……」

 実際その追跡アプリとやらでコーちゃんが来てくれたおかげで、こうして無事にいられているわけだし、強くは言い返せない。

「でも、勝手にアプリを入れる前にちゃんと君に相談すべきだったね。本当にごめん……」

「あ、いや、ぼくを怖がらせないようにしてくれた事なんでしょ? びっくりはしたけど、別に怒ってはないよ」

「そ、そっか。よかった……」

 と、ホッと安堵の息を零すコーちゃん。よほどぼくの反応が気になっていたようだ。

 なんていうか、コーちゃんはぼくの事になると途端に弱気になるところがあるよなあ。そこがまたコーちゃんの可愛いところでもあるんだけど。

「……ん? あれ? でもあの時圏外だったのにどうやってここの場所がわかったの?」

「圏外でもGPSを表示できるアプリがあるんだよ」

 主に登山などで使われるアプリだけどね、と付け加えるコーちゃん。

「もっとも、最初GPSで表示されていたのは君がいた山の山頂だったけれどね。しかも地図で確認してみたら絶対人が入れるような場所じゃない所の」

「えっ。でもぼくがいたのは駅だったんだけれど……そのあとも移動はしたけれど、山頂に行った覚えなんて……」

「さっきも言ったけれど、『きさらぎ駅』は異界の話だからね。通話ができた事を考えると、次元の歪みとか言うよりは、君の感覚の方を狂わされていたんじゃないかな。もしくは空間ごと何かしらの力で偽っていたのか──要は幻のようなものを見せられていた可能性が高いね」

「幻……じゃあ、あのお兄さんも?」

「彼は私も視認できたから、たぶん本物だと思うよ。まあ彼も感覚を狂わされていたか幻を見せられていた可能性があるけれどね」



 ──もしくは、紛れもない異界の住人だったか。



 口調こそ軽いものの、その言葉の奥底に見え隠れするおどろおどろしい何かの存在に、ぼくはぶるっと身震いしてしまった。

「……コーちゃんはよく平気だったね。ぼくと同じ異界に行ったはずなのに……」

「んー。私がGPSで君を追った時は、駅のようなものは見かけなかったから、君が車に乗った時点では異界から離れていたんじゃないかな。実際所々でGPSを確認してみたら、徐々に山頂から下へと移動していたからね」

「という事は、最初こそ街を目指して車を走らせていたけど、途中でまた山を登り始めたって事か……。なんでまたそんな面倒な真似を……」

「さあね。さっきも言った通り、精神を狂わされていたか何者かの指令だったのか。何にせよ、無事きさらぎ駅から抜け出せてよかったよ」

「きさらぎ駅……。ねえコーちゃん。『きさらぎ駅』って元はネットで流行った都市伝説なんだよね? 最後はどうなったの?」

「最後かい? 一応君みたいに知らない男の車に乗ったあとに、途中でケータイのバッテリーが切れるからとだけ言い残して掲示板のレスが途絶えるんだけど、その数年後に本人と思わしきレスが出来て、なんとか様子がおかしくなってしまった男から逃れて無事に済んだと書き込んでいるのだけれど、真偽のほどは不明だね」

「そっか……」

 じゃあ、助かったとも助からなかったとも言えないのか……。

「はあ〜。ぼく、本当に色々危ないところだったんだね……」

「そうだよ? だからこれからは、ちゃんと私の言いつけを守って、無茶な真似はしちゃダメだよ? それから今後は電車で眠らない事! いいかい?」

「はい……」

 正論過ぎてぐうの音も出ない。

「はあ。今後はぼくも、コーちゃんみたいに催涙スプレーを持ち歩いた方がいいのかなあ」

「いや、あれは普段持ち歩くのは法に触れる可能性があるから、基本的には自宅に置いていくか、緊急時にだけ外に持っていった方がいいね。私の場合は君用に前もって準備していたものだけれど」

「じゃあ、あのハンマーみたいなのも? なんか普通のハンマーとはちょっと形が違うけど」

「車の窓を割るためのハンマー……脱出ハンマーとかレスキューハンマーとか言われる類いのものだね。これもいざという時のために用意していたのさ。車に閉じ込められて崖に落ちそうになったり、ブレーキが効かなくなるなんてオカルトはごまんとあるからね。備えあれば憂いなしさ」

「わあ〜。コーちゃんって準備に余念がないね」

 ぼくも見習わらないと。今回の件にしても、犯罪や災害に前もって備えるという意味でも。

 なんて感心していると、コーちゃんはぼくをじっと見つめながら、



「まあ君に何かあったとしても、私がまた必ず助けるけどね」



 その凛々しい表情とセリフに、ぼくは思わずドキッとしてしまった。

 ぼくの彼女、ほんとイケメンすぎる。

「ん? どうしたんだい? 急にポーッとしたような顔をして」

「あ、いや、ほんとコーちゃんはカッコいいなあって思って」

 コーちゃんに見惚れていたのを誤魔化すように視線を横に逸らしながら、ぼくは語を継ぐ。

「それに比べて、ぼくなんて毎回助けられてばかりだし、今日だって花火大会の約束を破っちゃうし……」

「人には長所短所があるし、私は私のしたい事をしているだけさ」

 それに、と言いながらコーちゃんはヘルメットを外し、そのいつ見ても綺麗な長い栗色の髪を掻き上げてこう続けた。

「花火大会なら、どうにか間に合ったみたいだよ」

「え? それってどういう」

 意味なの? と続けようとしたところで──



 パァン──と目の前の景色がカラフルに爆ぜた。



 それは次から次へと空に上がり、一瞬にして爆ぜて消えてを繰り返しながら真っ暗な夜を鮮やかに彩っていく。

「花火……花火だ」

 約束していた河原じゃないけれど──海を挟んだ遠くからの景色ではあるけれども、それは正真正銘の花火だった。

「でもなんで……時間はとっくに過ぎたはずなのに」

「今日は夜近くまで風が強かったからね。この時間になるまで延長されていたのさ」

「そ、そうだったの? けどコーちゃん、どうやってそれを知ったの?」

「ん? 普通に友達から教えてもらったよ? 今日用事が出来て恋人と一緒に花火を見れそうにないってメッセージ機能で愚痴ったら、友達から『強風で開始時間がズレるみたいだから、まだ間に合うかもよ?』って返事が来てね」

「愚痴っちゃったんだ……」

「しょ、しょうがないじゃないか。君を責めるわけじゃないけれど、せっかく浴衣まで着て楽しみにしていたのに、ライダースーツに着替え直したあげくに花火も見れそうになかったんだから」

 拗ねたように唇を尖らすコーちゃんに、「そ、そっか。そりゃ愚痴りたくもなるよね」と同意を表す。

「まあ、花火自体はこうして君と一緒に見られてよかったけれどね。欲を言えばもっと可愛らしい姿で君と一緒にいたかったところだけど」

「大丈夫。ライダースーツ姿のコーちゃんも十二分にステキだから」

「……君って奴は、ほんと不意打ちでそういう事を言ってくるよね……」

 そう言って顔を逸らすコーちゃんに、ぼくははてなと首を傾げた。

 本当の事を言っただけなんだけど、何かダメだったのかな?

「こほん。しかし君、どうして私を今日の花火大会に誘ったんだい? いや、君からデートに誘ってくれるのは珍しくもないけれど、大事な用があったのなら無理して時間を作らなくてもよかったのに。花火大会なんてこの先も何度かやるだろうし」

「あー、それね。どうしても今日じゃないとダメな理由があったんだよ」

 今日じゃないとダメな理由? と目をパチクリするコーちゃんに対し、ぼくはズボンのポケットをまさぐって、とある物を取り出した。

「小箱……? なんだい、これ?」

「開けてみて」

 ぼくに言われ、コーちゃんは訝しそうに眉根を寄せながらも、ヘルメットをいったんハンドル部にかけ、空いた手で小箱を開けた。



「これ、ネックレス……」



 小箱の中身。

 それは月の形を象ったネックレスだった。

「だって今日、ぼくとコーちゃんが付き合ってから二年目でしょ。だからそのお祝いにと思って」

「君、覚えてくれていたのかい?」

「当たり前だよ。だってずっと大好きだったコーちゃんと付き合えた記念日だもん。ただ、本当はもっとロマンチックな雰囲気で渡せたらよかったんだけど……ほんと、ぼくのせいでごめん……」

「ううん。十分嬉しいよ」

 そう首を振って、コーちゃんはネックレスを優しく胸に抱き締めた。

「ほんと、すごく嬉しい……」

「そっかあ。よかった〜」

 大切な記念日が嫌な思い出として残らなくて心の底から良かったよ。

 まあそれも、機転を利かしてくれたコーちゃんの友達のおかげでもあるけれど。

 おっと。

 ネックレスや記念日もそうだけど、一番伝えたかった事をまだ言っていなかった。

「ねえ、コーちゃん」

「ん? なに?」



「世界で一番大好きだよ」



 その言葉に。

 コーちゃんは一瞬キョトンとしながらも、すぐに満面の笑みを咲かせてこう応えた。



「私も、君が世界で一番大好きだよ」




 こうして。

 ぼくとコーちゃんが巻き込まれた「きさらぎ駅」事件は無事に幕を閉じた。

 とは言っても、どうせまた今後もオカルトチックなトラブルに巻き込まれるのだろうけれど。

 なにも心配はない。



 だってぼくには、最高に可愛くて最高に頼りになる彼女がいるのだから──。




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