七話 絶対見られたよ
「ハイ! 1、2、3、1、2、3……」
こっちの世界に来てから約一ヶ月、順調にリハビリをこなして一人でも不自由なく生活ができるようになると、今度はダンスのレッスンが始まった。
(アズ、いい調子いい調子)
マーガレットに男性役をしてもらいながら踊ると私も淑女のように見えるかも知れない。慌ただしい足元を見なければ……だけどね。
リーフェは実際に踊ることになるかは分からないなんて言っていた。だけど私にはフラグにしか聞こえなかったので真面目に練習している。
(お疲れさま)
部屋に戻ってベッドに座るとリーフェが左側から声をかけてくる。私が右側でリーフェが左側。この一ヶ月で私たちの立ち位置は決まった。反対になるとなんだかむず痒くなって気持ち悪い。それはリーフェも同じみたい。
(アーズっ)
呼ばれてすかさず背筋を伸ばす。リーフェがこんな風に呼ぶのは姿勢を注意する時だけだ。いたずらっ子のように楽しそうに呼んでくる。
リーフェとはずいぶん仲良くなったし、体も良くなって生活も変わってきた。ちょっと前までは頼りきりだったのに今では自分でなんでもできる。
でも、だからこそ物足りなさを感じる事もある。私が知る世界はこの家の中とカーテンの隙間から覗く草原だけ。そんな気持ちを紛らわすように食事の手伝いをするようなった。最初は危ないからって断られたけど指先のリハビリも必要だって主張したら渋々認めてくれた。マーガレットは態度は厳しいけどやさしいところもあるんだなって思う。
リーフェの家は貴族といってもメイドに任せきりというわけじゃない。不自由はないけど常に危機感をもって生活しているようで、貴族にしては質素に暮らしているそうだ。領地の運営に何人か雇っているらしいけどあったことはないし、メイドはマーガレットしかいない。
だから自分たちで料理をするのも普通らしい。日本でも料理はよく作ってたからいい気分転換になってるし、なによりマーガレットに料理を褒められたのが一番嬉しかった。リーフェから褒められるのも嬉しいけどね。
(随分髪が伸びたね)
この一ヶ月で腰まであった髪がさらに伸びた。リハビリしていた時はマーガレットが洗ってくれたけど、自分でとなると大変だ。今までこんなに長くしたことなんてないし。それに今はダンスで汗をかくからすごく暑い。
髪をくるくるといじっていたら、リーフェから魅力的な提案が転がり込んできた。
(大変だったら短くしたらいいと思うよ)
正直ありがたかった。自分の髪じゃないから切るのはなんとなく駄目なのかなって思っていたし、大事にしてるかもしれないから気軽に言えなかった。だってそんなこと言ったらリーフェがプレッシャーを感じるかもしれないから。でもリーフェは特に気にしてる感じもないし、随分と気が楽になった。
(後でマーガレットに切ってもらったらいいよ)
(うん、そうしよっかな)
昼食後に頼んでみよう。
「――という訳で髪を短くしたいんです」
話を聞いたマーガレットはすぐさまハサミを取ってきて準備を始めた。長さはまあ、おまかせでいいよね。リーフェの好みがあったら言ってくるだろうし。そう考えていたら後ろで髪を束ねられて大胆にカットされた。
長さは肩に少し触れるくらいかな。一気に軽くなった。横目で見たリーフェの様子に変化はないし、むしろ私の方が驚いたくらいだ。その後は長さを揃えて、前髪をカットして、あっという間に終わった。千円カットよりも早い。
マーガレットが切った髪を生地に挟むと縛ってどこかに持って行ってしまった。
(私の髪はね、結構高く売れるんだよ?)
(……かつら?)
正解とばかりにリーフェは微笑んだ。なるほどきっと他の貴族が買ってくれるんだろうな。それくらいリーフェの髪は綺麗だもん。それから午後の座学は中止になった。マーガレットがさっそく髪を売りに行ったからだ。といっても課題はある。リーフェが先生になって読み書きの練習だ。
(はい、アズさん。ここはなんと読むのでしょうか?)
時折マーガレットのモノマネを挟みながらのリーフェ先生の楽しい授業が終了すると部屋に戻った。ちょっと早い気がしたので本棚にある絵本を読んで過ごした。たまにはこんな風にゆっくりと過ごす日があってもいいよね。
(アズ、次はあの絵本にしましょ?)
指定された絵本を手に取る。え~とタイトルは『臆病者と精霊』。
(この本は私の好きな本でね。主人公の名前が――)
その時外から突風が吹きつけて窓がガタガタと震えると、直後にマーガレットの悲鳴のような声が聞こえた。
思わず窓から体を乗り出して下を見ると、積まれていた薪がマーガレットを覆っていた。だけどすぐに動きだしたのでホッとした。
(良かった、マーガレットは無事だったみたいだね)
私の問いかけにリーフェから返事はなかった。リーフェは窓から遠くを見つめるように佇んでいた。
(リーフェ? マーガレットを助けに……)
リーフェの視線の先を追うと、そこには馬に跨っている男の人がいた。私は反射的に窓から離れて隠れた。でも目が合ってしまった気がする。
(リーフェ? まだ遠くに誰かいる?)
(うん)
リーフェは返事はするけど心ここにあらずといった様子だ。でもここはリーフェを頼るしかない。
(まだこっち見てる?)
(うん)
あぁ、なんで窓から乗りだしちゃったんだろう。絶対見られたよ……。マーガレットのことが心配だったとはいえ罪悪感に苛まれる。その時リーフェの口が開いた。
(……クライス君)
知り合い?
もしかしたらなんとかなる?
かすかな希望が芽生える。
(誰? 知ってる人?)
(うん、私の婚約者……)
そっか、婚約者かぁ…………って、ええええええええええええ!?