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幸せに必要なもの

作者: 古本怜士

幸せに必要なもの


「どうして生きているんですか?」

ともし今この場で問いかけられたら、あなたは何を思いますか?


大半の人は首をかしげてしまうだろう。人によっては「どうして人を殺してはいけないんですか?」と聞かれたかのような反応をするかもしれない。


自分が何のために生きているのか、自分にとっての幸せとは何なのか? とても身近で重要なテーマなのに、深く考えている人は少ないと思う。


どうしてこの話をしようと思ったのかというと、最近一つの答えが自分の中で出たからだ。僕はまだ20歳前後の「ひよっこぺーぺー」だとは思うけれど、ちゃんと自分の人生の方向性に向き合って普段から生きているつもりだ。


最近自分の中で出た答え。それは「幸せに生きるためには、自分が熱中できるものを一つ持つことが一番の方法である」ということだ。


例えば、守るべき家庭があると思っている人は職場で嫌なことがあっても、気にせず仕事を続けることができるだろう。


学校に嫌な奴がいたとしても、同じ教室に好きな子がいたら学校には毎日どうにかして行く気になるだろう。


自分がやっているスポーツや趣味などで思うような成果が出ないとしても、一緒に楽しむ仲間がいたら、短期的なスランプが来ても続ける気になるだろう。


このように、何か嫌なことがあっても自分が熱中するもの(スポーツだったり守るべき家族だったり一緒に騒ぐ友達だったりする)を持っているだけで、毎日を嫌なことを気にせず楽しく生きていくことができるようになる。


びっくりするほどありきたりな考えだけれど、これができている人は少ないように感じる。最近よく思うのだけれど、人生の中で比較する相手や考えるべき対象が多すぎる。毎日バランスの取れた食事をとって、近所の人にちゃんと挨拶して、ある程度の仕事をきちんとこなせばある程度の幸せは担保されるというか、これで十分すぎるだろうとすら思う。


成人もしていない小僧の言うことではないかもしれないけれど、現代社会は複雑すぎる。人間が人間について熱心に研究して、その結果を基に人々の生活を蝕みながら、人類は血眼になってどこへ向かうのだろうか。


本当に、人間様にはついていけない。「何がしたいんだろう?」と本当に思う。

科学は人類の進歩に確実に貢献し、人々の生活を便利にはしているのだろうけれど、幸福にしているのかと言われると、首をかしげてしまう。



僕たちの周りには、いろんな目的をもって生きている人達がいる。


「多様性の罠」という名前がふさわしいかな。どういう風に生きていくのか、自分で決められる時代だと思うけれども、同時に自分で自身のライフスタイルを選ぶ責任が肩にのしかかっている時代ともいえる。


どんどん自分の強みを生かしてお金を稼いでいって、好きなことをやりたい放題することを目的としている人生や、結婚して家庭をもって、パートナーや子供とゆっくり生きていくことを理想としている人生、お金は最低限だけ稼いで、自分の趣味の時間を最大限確保することを一番の目的としている人生、色々選ぶことができる。


 それはとてもいいことだとは思うけれど、同時に常に周りの人との違いをまじまじと見せつけられ続ける人生とも言える。


 短期的には「これでいいんだ」と思えていたとしても、そのまま数十年という長い年月を満足度高く生きていける人が、いったいどれだけいるだろうか。


 きっと、どこかしらのタイミングで「あれ、俺なにしてるんだろう、周りの人達はあんなに楽しそうにしているのに」という感覚に襲われることがあるはずだ。


 だから、私達にはたとえ対象が変わっても、常に「熱中できる何か」が必要なんだ。


 中には、「そんなもんねえよ」「簡単に見つかれば苦労しねえよ」という人もいるかもしれないけど、熱中するものなしでずっと生きていく方が、よっぽど難しい。


 「世知辛い世の中で」みたいなフレーズをよく耳にするけど、確かに普通に生きているだけならば嫌なことも事実として多く起こるだろう。


 自分が何もしていなくたって攻撃してくる人も中にはいるし、災害に巻き込まれて生活が困窮したりすることもあるだろう。


 じゃあ、その人達が何か悪いことをしたのかというと、そんなことはないはずだ。

 だから、僕達は自分の人生を楽しく生きていくために、人にやさしくする心の余裕を持つために、自分が熱中するものを見つけなくてはならない。


 嫌なことや落ち込むことがあったとしても、「ま、いっかな」とすぐに開き直るためのプラスの力が、私達には必要だ。


 途中で対象が変わってもいい。


 今日一日と、十年後の未来を楽しく生きていければいい。どうせ、二十年後や三十年後のことなんて分からない。


 少なくとも、今日一日を大切に生きることができる人が、ゆっくり時間をかけてようやく考える余裕が出るのが、二十年後三十年後の未来だろう。


 僕は事実、嫌なこともたくさんあったけど、色々なものに熱中してきたから楽しく生きて来れたと思う。


 嫌な奴もたくさんいたし、ずっと好きで続けてきた空手も全国大会に出れるか出れないかというぎりぎりでいつも負けて来たし、幼い頃から目指してきた夢を手放さざるを得ない時もあった。


 でも、どっかで凹んでも、そこを補う楽しい何かや面白い友達、希望を持てる何かがあったと思う。だから、短期的には結構落ち込むことがあっても腐らずに歩んでくることができた。


だから、僕にも、そしてこれを読んでくれているあなたにも、これからを楽しく生きていくために「熱中できるもの」が必要だ。現代社会は複雑すぎる。


血眼になって一体人類仲良くどこへ向かっているのか分からない。もっと幸福のベースラインを不明瞭なままにしておかず、本来あるべきところまで戻すべきだと思う。


一緒に探していきながら、楽しく生きていこうね。


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