記憶が戻る時
グレイドが戻る頃には会場に人々はいなくなっていた。
「…………」
グレイドが出会った、名もなき獣族の少女。その人に教えてもらったこの世界の食の常識。それは日本で暮らしていたグレイドに受け入れらない理だった。
「グレイド様! 探しましたぞ!」
グレイドを見つけ、走って向かってくるのはセバスチャンだった。
相当心配して探し回ってくれたのだろう、額には汗が滲んでいる。
「急に会場からいなくなるで、何事かと思いましたが、無事で何よりです。ささ、早く戻りましょう、夜は冷えますので」
「…………はい」
セバスチャンに言われ、城に入る。
自室までの距離の中、色んな召使いとすれ違った。その中で、一人の男が顔を真っ青にして、グレイドの前に現れた。
「……グレイド様、先程は本当にすみませんでした」
その男は料理を運んできた、シェフだった。
あの後、このシェフは軽い尋問があった。
グレイドが走って逃げたのは何かシェフがしでかしたのではないか、と思われても仕方がないことだ。しかし、その場にいた、リーファやサフィがシェフを庇った。
シェフの対応には全く失礼な点はなく、寧ろ、美味しい料理を提供してくれた。念のため毒やそれらの類のものが混在していないか、調べたが、勿論、入っていなかった。
それでも、シェフがこうして謝りに来るのは、あの瞬間、グレイドが逃げ出す理由になりそうなことの検討が付かないからだ。
「……いえ、貴方のせいではありません」
「……そうですか」
シェフはそれ以上何も言わなかった。
それはグレイドの目があまりにも疲弊しているのを感じたからだ。
自分のせいではなけらば一体、何故、あの場を逃げ出したのだろう。その疑問はシェフは勿論、セバスチャンも思っていた。
だが、その答えを知るのはグレイドと、あの少女のみ。
それにグレイドはただでさえ、目を覚まして時間が経っていない。そのうえ、記憶も失っている。
今日のことは触れないでおく方が吉だろう、それが城内の暗黙の総意だった。
「グレイド様は疲れている。今日は下がっていいぞ」
「はい、失礼します」
シェフはセバスチャンに許しを貰い、自分の持ち場に戻った。
「グレイド様、明日から、魔法医療の方を開始していきますので、今日のところはゆっくり休んで下さい」
「……はい」
そう言って、目が覚めた時の部屋に戻った。
ベッドに横たわる。
「…………はぁー」
今日はとてつもなく疲れた。
目が覚めたら、王族として生まれた、グレイドになっていて、国民と言う大勢の前での演説。そして祝杯会ではこの世界の驚くべき食文化を知った。
その上であの少女との出会い。そして決意。
「……俺が変えないと、こんなの、可笑しいだろう」
グレイドはそう呟くとあっという間に眠りについた。
アングルランドルト国に新国王が生まれた次の日。城内では多くの者が大忙しで仕事に当たっていた。
国王になれば、諸国との会談、政策の決定、内部組織の責任者の決定など、様々な業務が同時に降りかかる。
ハイスは午前中の時点でかなり疲労困憊になっていた。
「……次はなんだ?」
「はっ! 次は隣国のベクチリウス国との会談で、その後、各組織の責任者を決めて、その後は……」
「あぁ、分かった。それで、何時ごろから、会談を行えるんだ?」
「……後、三十分後には国王がこちらに辿り着くと思われます」
「分かった。直ぐに準備しよう」
ハイスは一度、自室に戻ると、自分の席に着く。
国王になれば、専用の部屋が用意されるが、この部屋はそれとは違う。
子供頃から親しみのある部屋で、実母と共に多くの時間を過ごした場所だ。ここにはいくら信頼できる部下だろうと、入れさせない。
何か、急用があるときは、ドアの前で大声を出してもらうか、ノックすれば、気付くことができるだろう。
「……はぁー。兄さんなら、もう少し上手くやれただろうに」
ハイスは自分の不器用さに改めて、気が付いた。
ハイスは賢くはあるのだが、器用さに欠ける。勉学がどれだけできても、多くのお偉いさんとの会談にて、どれほど、有利に話を展開するかなどはやはり、その人が持った素質だったりするだろう。
そう言うのは、やはり、グレイドの方が上だ。
グレイドの会話には人を魅了する力がある。グレイドが大丈夫だと言えば、そう言う気がしてしまうのだ。
それは今までの功績もあるが、グレイドの人柄もあるだろう。
「……頑張るしかないか」
ハイスがどれ程考えても、国王は自分なのだ。
やるしかない。
トントントン。
ハイスの部屋にノック音がする。
「今から行く」
ハイスは重い腰を上げ、扉を開く。
そこにいたのはグレイドだった。
「兄さん、どうしたんだい?」
「いや、大したことではないんだけど、医療魔法って言うのをさ、受けるんだけど、その、痛かったりするのか?」
グレイドは何処か、怯えた獣のような瞳で、ハイスに尋ねた。
その姿にハイスは改めて、グレイドの記憶がなくなっていることを実感した。
ハイスが知っているグレイドはこんな表情はしない。いつも毅然とした態度で、ヒトの目を真っ直ぐ見つめている。
「兄さん、大丈夫だよ。医療魔法は痛みはないし、寧ろ心地良いぐらいだよ。医療班の言うことを聞いておけば間違いないよ」
「そ、そうか!」
グレイドは嬉しそう笑った。
ハイスはその笑顔に何処か癒されながらも、寂しくなった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「それで、行きますぞ、グレイド様」
「……はい!」
セバスチャンに呼ばれ、医療室を目指す。
ハイスに言われことを信じるなら痛みは伴わないらしい。それは一応、安心したが、それでも、不安が残る。
もし、記憶が戻った場合、今の自分はなくなるのではないか、と言うことだ。
今のグレイドは別の人格が入り込んだ状態だ。もし、記憶が戻れば、それがきっかけで人格を取り戻すかも知れない。そうなれば、今の自分は消えてしまうかも知れない。
そう思うと恐怖はある。
だがしかし、それはそれで、受け入れる覚悟はあった。
それに治療を受けないと選択肢はないだろう。ここで、それをしてしまうと、怪しまれることこの上ない。
グレイドはそんな複雑な感情の中、医療室に入る。
そこには四人の黒づくめの男女がいた。
「…………黒の組織なのか?」
「はて? クロノソシキとは?」
「あ、いえ。何でもないです」
グレイドはつい、有名探偵の敵を思い出して口からツッコミが零れた。
その部屋の中心にはベッドがあり、グレイドはそこで、横たわるように指示されたので、従った。
「それでは、開始します」
黒い服を着た男がグレイドの顔に手を当てる。
グレイドは顔面に暖かいもの感じた。数分も経てば、眠気が襲いかかる。
そして、あっという間に眠りについた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
光が瞬く部屋で、少年は浮いている。
少年の周りにはシャボン玉のようなものが浮遊していて、それの中にはある男の映像が流れている。
――これは、グレイドの記憶か。
少年は記憶を見て周る。
グレイドが生まれてこれまで、どんな生活を送っていたのか、その情報が頭の中に流れ込んでくる。
子供頃から、魔法を使いこなし、国のピンチを幾度となく、助けてきたこと。
王国を担うため、日々鍛錬を熟していたこと。
その思いもいつか消えてしまったこと。
そして、少女に恋をしたこと。
――グレイドはこんな人だったのか。
少年はグレイドという人物を一通り理解した。
そして、最後の記憶。
それは書物を開いて、黒い影と話すグレイドの姿。
――これはなんだ?
その記憶に触れた瞬間、世界は暗転する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「…………グレ………………イド………………グレイド様!」
グレイドは身体を揺らせれて目が覚める。
「グレイド様! ご気分はどうですか?」
セバスチャンが心配そうに尋ねてきた。
「…………セバスチャン」
「もしかして、グレイド様…………?」
「あぁ、思い出したぞ! 俺がどんな男だったか」
グレイドはグレイドの記憶を思い出したのだ――。