グレイドの目的が決まった時
がむしゃらに走ったクライドは、いつの間にか、街を囲む壁柵の外に出てきてしまった。
辺りはすっかり暗闇に染まっており、ここまで来ると街灯もかなり少なくなっている。後方に目を向けると、城は遥か遠くにあり、これだけ走ったというのに、息が全く切れない。どうやら、この身体は強靭な作りにでもなっているようだ。
「…………」
グレイドは近くにあった小屋に入った。
特別な意味があったわけじゃない。ただ、何となく、座る場所でもあればいいなと思っただけだ。
しかし、その判断は失敗だったと後悔することになる。
「…………は?」
そこにいたのは、尻尾と耳が生えた少年少女だった。
「…………こんな時間に何用ですか?」
一人の少女が怯えたようにそう言った。
ただ怯えているわけではない。その目には生気が感じられないのだ。
「……あの、貴方たちは何をしているんですか?」
「何って…………。寝ていたのですが、足音が聞こえたので気になって、起きたのです」
その少女は足を引きずりながら、グレイドに近づいてくる。
そして、頭を下げる。いわゆる、土下座と言われるそれだ。
「…………私はどうなってもいいので、子供に手を出さないでください」
それは命乞いだ。
「……え、っと。その、何もしないので、頭を上げて下さい」
「…………? それではこんな場所に何しに来たのですか?」
「いや、別に得に理由はないんだが。その、ここは何をする場所なんですか?」
「…………? 貴方はもしかして、ここが何なのか知らないのですか?」
「はい。良ければ教えて下さい」
見た感じだと、耳や尻尾が生えた少年少女が雑魚寝しているので、この人たちの住処なのだろうが、それにしても凄い数だ。
この人数だと、ここは狭いだろう。
「……ここは獣族舎です。私共家畜がここで飼われています」
「…………家畜?」
「えぇ」
グレイドの頭の中で、様々なことが繋がった。
平気で妖精を食べる母親の顔。この国では家畜産業が有名であること。
そして、先程のパーティで食べていたものを思い出した。
――あの肉は……!
「……おえ! ぐはあぁぁ! ああぁ!」
グレイドは気持ちの悪さで、吐いてしまった。
それを見た少女は驚いている。
後ろで寝ていた子供たちも目を覚ましてしまう。
「……ママ? 誰かいるの?」
「後ろに下がってなさい!」
「…………?」
子供の中でも猫耳が生えた子供が母親であるその少女の陰から覗いている。
目に映るのは、しゃがんでゲロをぶちまける男の姿。
「…………やだ! ママ! 食べられちゃうの!」
「…………いいえ。そうではないと思うけど………………」
母親にもこの状況は上手く呑み込めない。
いきなり現れて話を聞くと急に吐きだしたこの人間は何なのだろうか。
不思議だ。
グレイドは一通り、ゲロを吐いた後、ゆっくり立ち上がる。
そして、少女に向かって話始めた。
「貴方たちは俺たち人間の食用なんですか?」
「えぇ。そのために生かされていますから」
「…………そんなの、おかしいだろう」
「…………?」
この世界は日本とは違う。
異なる世界なのだ。だからこそ、異世界なのだ。
常識は違う。
だが、言葉の喋れる人間のような見た目のものを食べるなど、同じ人間として認められない。
それはもう、人間ではない。
化物だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……なぁ。少し話を聞いてくれないか?」
「……え、えぇ。私で良ければ」
グレイドは溜まっていたストレスを吐き出した。
「……それでは貴方はこの世界の人間ではないと?」
「あぁ。信じらないかも知れないけど」
人間には話さないと誓った、自分が転生者であることをこの少女には話してしまった。
そして、会話の中で、分かったことがいくつかある。
どうやら、この世界の生物の多くは会話をすることができるらしい。姿形も多くは人型であり、どの国でも人間の支配下にあるという。
そして、この少女はここで、生まれ育ったのだ。
人間の食用として。
「いえ、信じるも何も、貴方様が私に噓をつく意味はありませんし、先程の反応を見ると、不思議でたまりませんでした」
「……すまないことをした。汚してしまって」
「いいえ、お気になさらず」
グレイドは近くにあった川からバケツで水を汲んで、一応は掃除した。
ゲロをぶちまけた状態では流石に失礼だと思ったからだ。
「そう思えば、君の名前は?」
「私たちには名前など、ありませんよ? 家畜なので」
家畜。その言葉に胸がズキズキと痛む。
「……ここから逃げないのですか?」
「逃げようにも、足の腱を切られていますし。それに直ぐに捕まってしまいます」
よく見ると、足首には痛々しい傷跡があった。
「……質問しても良いですか?」
「はい、もちろん」
「あなたがいた世界には私たちのような、家畜はいなかったのですか?」
「……それは、いたにはいました」
牛や豚。
日本にいた頃から、日常的に生き物は食べていた。
「だけど、貴方のように喋ることはできません。そして、姿も人間と似ていない」
「……そうですか、私たちの姿が人間と近しいと貴方は思うのですね?」
「だって、足もあるし、手もある。それに、同じ言葉だって喋ることが出来るんですよ? それはもう、人間と同じではないですか!」
牛や豚を平気で食べていられたのは、姿形が人間の形状と異なるからだ。
もし、人間のような姿だったら、食べることは難しいだろう。それに、もし、喋ることが出来るなんてことになったら…………。
グレイド想像しただけで、また、吐き気がした。
「…………貴方の世界ではどうだったかは知りませんが、私たちは所詮獣です。喋れようとも、二足歩行であろうとも、人間様にとっては、ただの家畜に過ぎないのです」
そう。これがこの世界の常識なのだ。
グレイドがそれを拒もうとも、この世界の人間には、それが当たり前で、最早、疑問すら抱かないのだ。
「……俺はそれでも、貴方を食べようとは思えません」
結局、グレイドの結論は変わらない。
この世界の常識でも日本で暮らした十六年間が、それを受け止めることを強制的に拒否するのだ。
「……変わった人間、なのですね」
「そう、思えてしまう、貴方の方がどうかしている!」
「…………すみません」
「いえ、俺の方こそ、きつい言い方をしてしまいました。すみません」
八つ当たりしても仕方がない。
「……もし、貴方のような素敵な考え方が出来る人がいれば、人間と私たちのような獣が一緒に暮らせる世界もあったかもしれませんね」
その言葉にグレイドの心臓は、大きく跳ねた。
「俺、決めました」
「……何を、ですか?」
グレイドは一呼吸置いて、こう、言った。
「この世界で獣族と人間が対等である世界を作ります」