初めての村についた日 後編
「きゃあ!」
風呂場から聞こえたナギの声にグレイドは急いで、扉を開けた。
「どうした!」
そこにいたのは、アワアワまみれのナギだった。
「……どうしてそうなったんだ?」
「なんかね、その塊を触ってたら、いっぱいふわふわでてきてね、それで、こんな風になっちゃってそれで、滑って、転んじゃったのー」
これは、日本でいうところの石鹸だ。
この世界の石鹸はあまり良い質ではなく、種類も少ない。だが、泡立ちだけは非にならない。これは熱帯雨林地方に多く生息している――バブバ草の成分が入っているからで、これには微力ながら汚れを落とす効果がある。
今では他にも香りづけに果汁やもっと強力な汚れ落とし成分が含まれていたりもする。
しかし、これだけの泡立ちだと、かなり濃厚な天然バブバ草が使用されているのだろう。汚れを落とす成分が含まれているものには身体に悪いとまことしやかに噂されているのもの多く、世間では天然の方が良いとされており、高価である。
「……ケガはないか?」
「……うん! ちょっとおしりが痛いだけ」
そう言って、ナギはこちらにお尻を向ける。
猫族とは言ったものの、尻尾はかなり大きい。どちらかというと、タヌキのような尻尾をしている。
それはいい。グレイドが気になったのは、恥部が丸見えになっていることが、獣族と言えど、陰毛はまだ、生えておらずつるつるしている。
グレイドは決して、ロリコンという訳ではないが、それでも、人様の女の子の裸というのは恥ずかしいし、少しばかり、そう言う気持ちになってしまう。
「……ん? グレイド、オスの匂いがするよ?」
「へ? あ、いや、まぁ、俺は男だからな、まぁ、ほら? 洗えば匂いも落ちるよ」
グレイドはどうにか誤魔化しながら、石鹸を手に取り、頭を洗う。
――俺はロリコンじゃない。ケモナーじゃない。ロリコンじゃないし、ケモナーじゃない。
グレイドはそう言って自分に言い聞かせながら、シャワーで、頭について泡を落とす。
「ねぇねぇ、グレイド? これ、どうやって使うの?」
「あ、そうか。これはシャワーっていってね、そこのノズルを回すと……ほら、こんな風にお湯がでてくるんだ」
「わー! 凄い凄い! わぁ! 熱いよ!」
「あ、ごめん! ちょっと、温度が高かったかな」
そう言って、グレイドは温度を下げる。
すると、ナギはぶるぶるっと身体を震わせる。
こう言うところはかなり、動物っぽいなと思う。しかし、やはり、身体は殆ど、人間だ。やはり、獣族を食べようとは思えない。それを当たり前だと言わんばかりに食べている人間を見ると、どうしても嫌悪感を抱いてしまう。
「この水、熱いよ……」
「お湯ね。うーん。確かに温度は高いな、あ、そうだ」
グレイドはそう言って、湯に手を入れる。
そして、氷魔法を唱える。
「冷落」
簡易な魔法だと詠唱しなくてもいいが、このサイズを冷やすとなると詠唱した方が安定しやすい。
「これでどうかな?」
「うん! あったかくて、気持ちいよ!」
「そうか、そりゃよかった」
グレイドからしたら多少ぬるま湯だが、ナギの喜んだ顔を見ていたら、そんなことは些細なことでしかないことに気が付いた。
「……ふぅ」
とは言ったものの、やはり、気持ちがいい。
「……あのね、グレイド」
「……ん? どうしたナギ?」
温泉で犬搔きのように泳いでいたナギが近づいてきて、水面から顔を出した。
「……ありがとう」
「何がだ?」
「私ね、いつも、空、見てたの。私もいつか、色んな場所行きたいなって、ずっと、思ってた。でも、歩けないし、このまま、死ぬのかなって。でも、グレイドが足を治してくれて、それで、一緒についてこないかって誘ってくれて、それに、こんな気持ちいもの教えてくれて。色んなこと教えてくれて…………。もう、いっぱい嬉しいの」
ナギは本当に、心の底から、嬉しそうに笑った。
その笑顔にグレイドは涙を流した。
――ナギは良い子だ。そして、人間と何も変わらないんだ。こんなに素直で、こんなに笑うんだ。
「どうしたの! なんで、なんで泣くの!」
「いや、これはね、嬉し泣きって言うんだ。そう、俺はね、今、嬉しくて泣いているんだよ」
「…………うれしなき?」
ナギは不思議そうに首を傾げている。
嬉しくて泣く、と言う意味が分からないみたいだ。
「ナギ、俺もナギがついて来てくれて本当に嬉しいんだ。これから、きっと、長旅になるとは思うけど、ついてきてくれるか?」
「うん! ずっと、一緒にいる!」
ナギはグレイドに抱きつく。
そのせいで、グレイドは湯船の淵で頭を打ったが、気持ちが高ぶっているので、痛みはなかった。
★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ほら、ナギ! 服を着て」
「嫌だ! この服、要らない!」
グレイドは温泉を出た後、大事なことに気が付いた。
それはナギの服がないことだ。
先程も着ていたボロボロの服をもう一度着るのは、やはり、衛生的にも良くないだろうと思い、わざわざ、村の服屋まで買いにいったというのに、ナギは嫌がるのだ。
「なんでだよ?」
「この服、匂いしないもん」
「匂い?」
「うん。お母さんの匂い」
どうやら、服から獣族にしか分からない匂いがついているみたいだ。
それがナギにとって安心するらしい。
「うーん。どうしたものか」
グレイドは困ってしまう。
――どうにか、服から服に匂いを移せないだろうか。
グレイドは思考し、どうにかアイデアを絞るがなかなか、出てこない。
「レディナ、なんかアイデアとかないか?」
「……そうですね。服同士を擦り合わせばいいのではないかと?」
「そんなことで良いのか?」
「えぇ、ある程度は移ると思いますけど?」
グレイドはレディナに言われた通り、擦り合わせてみる。
「……どうだ? これで、着るか?」
ナギの前で新品の服を渡す。
ナギは匂いを嗅いだ後、すんなりと服を着た。
「こんなのでいいのか……?」
人間より何十倍も優れていると言われている獣族の嗅覚では僅かな匂いさえあれば、嗅ぎ分けられるのだ。
グレイドはどうしても魔法でどうにかしようとする思考になっていたが、こんな風に別に魔法に頼る必要もないことだってある。
「それじゃ、ナギ。今日が寝よう」
「うん! ベッドふかふかだ!」
「レディナ、電気消してくれ」
「はーい」
こうして三人は眠りに就いた――。