底
父親のコロナ発症、看病していた私と、同室の母も熱が出始めて……
【5日目】
朝からPCR検査の予約を取ろうとしましたが、電話が全く繋がりませんでした。保健所にも電話しましたが繋がらず、何度もクリニックに電話をして、ようやく11時の検査予約ができ、昼過ぎには母と私のPCR検査ができました。
結果は当然の陽性。私はともかく、母親の衰弱がひどいため、抗体カクテル点滴を受けました。
容態は変わらず、そのまま帰ったら14時を過ぎていました。その間、父親は寝続けていました。
食事を用意して、父と食べました。父はレトルトの中華丼、私は吉野家の牛丼。
味覚がおかしく、喉も痛いのですが、何故か美味い。吉野家は神ですね。いつも私をお救いくださる希望の光です。ありがたし。
その後も母は寝続けて、時々ポカリを飲むだけでした。
ポカリは命綱ですね。どんな時もこれは飲めます、命を繋げてくれます。ありがたし。
しかし母親は薬を全拒否、食べ物も喉が痛いと、ウィダーインゼリーも拒否。酸素は97%をキープしているものの、熱も40℃をキープしています。
これはいつ救急搬送を依頼するか見極めないといけないと思いました。
逆に父親は少し元気になってきて、部屋から出ようとする。いつもはおとなしいのに、
「カラスが嘴を沢山持ってくるやろ?」
と目を輝かせて部屋からの脱出を図ろうとするので、
「カラスが持ってくるん?」
などと話を合わせながら、見張り続けました。もし隔離している子供達の方に行ってしまったらと思うと、ほぼ寝つけませんでした。
【6日目】
朝になっても母親は食べず、ポカリも飲まなくなってしまいました。薬も当然飲まず。
「死ぬ時は死ぬからええねん」と言い出しました。これには思わず感情的になって、
「死んだらあかんやろ」と怒鳴ってしまいました。自分でもびっくりしましたが、涙声になりました。言いながら『俺にもこんな人間的な感情があるんだな』と思いました。
とうとう酸素が92%となり、PCR検査を受けた医師に相談、民間救急車で即受診できることになりました。
このお医者さんは神です。神医者です。一生恩にきます。
家に救急車が着くまで、なんで勝手な事するん?とまた一悶着になりました。
「そんな大袈裟なこといらんねん」「寝てたら治るんや」「最期は死ぬからええねん」
と部屋にバリケードを張り始めたので、力づくで開けて、「死んだらあかんやろ」とまた熱くなってしまいました。今思えば、もう少しスマートに行けたかもしれませんが、人間最後は泣き落としですね。泣いて縋ればなんとかなります。後は体重ですね、体重があれば人生何とかなります。最後は押し切りで救急車に乗り込みました。
そしてクリニック着くと、なぜか酸素は99%、熱は36.6℃。おい、俺の涙を返せよ……絶句しました。
母は車の中で意地でも自己回復したんでしょうか?
とりあえず点滴を受けて帰ると、しばらくして40℃……酸素計測は拒否……おいおい、これはやばい。と、嘆いても仕方ないので、意識喪失したら救急車を呼ぶと意識を切り替えて、様子をみました。
出かけている間、父親は寝続けてくれて良かったですが、今度は起きなくなってしまいました。起きるとフラフラして、転倒しそうです。
私も熱があったのですが、一連の騒動でアドレナリンがでまくり、ダルさなどは吹っ切れていました。それが帰ってから段々きつくなってきました。
何かを父と二人で食べたはずですが、記憶が全くありません。味がしない、喉が痛い。今後どうする? 一番パニックになっていたと思います。でもストレスは不思議と少なかったです。多分泣いたからスッキリしたんでしょうね。涙って凄いと思います。
様子見しつつその日をやり過ごし、時々母親の様子を覗き見るものの、バイタルなどは測れませんでした。『息はしてるな』の確認だけでした。
思えばこの日が一番きつかったですね。