2.主人公の今のライバル
あの旅立ちの日――。
私はエルにお別れを言えなかった。
エルは当たり前のように見出された。選ばれた人間として首都に行く。一方的にライバル視してただけの無才の私は、片田舎にひとり取り残されるのだ。
悔しくて悲しくて……それ以上に寂しくて、ずっと自室に閉じこもっていた。
そんな我儘勝手な子どものために、エルは旅立つ直前、私の家まで来てくれた。そして引きこもりの部屋の扉の前で、静かに話した。
「ツェット、今までありがとうございました。僕は絶対、もっと強くなって帰って来ますから」
嘘だと思った。
都会に行ったきりそのまま戻ってこない人間なんて、いくらでもいる。況してやエルみたいに将来有望な少年は、挫折でもしない限り中央で立身出世が叶うだろう。
また会えたとしても、お互い進む道は違う。一生のライバルではなく、単なる旧い友人に過ぎない。
「首都に行っても、この街で育ったことを忘れる訳じゃありません。街のみんなも、君も大切に思っています」
「知らないよ……どこにでも行っちゃえよ」
不安を抱えてるのは故郷を離れるエルの方なのに、私は感情に任せて言い放った。
「のし上がるなり何なり、好きにすればいいんだ。どうせなら国一番の英雄になるまで帰って来んなっ!」
頭の悪い発言を聞かされて、エルは困っただろうな。将来それを現実にしちゃうのがまた、凄い話なんだけど。
私は幼くて馬鹿なクソガキだった。
エルは大人びていて良い子だった。
さよならも言わせない私に、根気強く語りかけてくれた。でも私はドアを開けなかった。
「僕は行きます。ツェット、きっと君はこの街を、みんなをを守ってくれるひとになると思います。だから僕も心置きなく旅立てるんです。この国は常に危機に晒されている。僕は守るための力が、もっとほしい」
泣くのを堪えていたから返事もできず、私はずっと首を振っていた。行かないで、と口にしたかった。でも駄目なことも知っていた。
「元気で。もし次に会えたときは――……」
タイムリミットがきて、エルは立ち去る。
私は追い掛けなかった。
代わりに部屋の窓から外を覗いた。
エルの背が見えた。
小さくなる。遠くなる。
一度だけ、エルは振り返った。
優しく微笑っていた。
……ああ、そうだ。
崖から落ちた瞬間に思い浮かべたのは、間違いなく、あの日のエルの笑顔だった。
◇◇◇◇◇
私を助けてくれた老夫婦は、しばらくして病で亡くなってしまった。
加齢で弱っていたり栄養状態が悪かったりすれば、普通の風邪がきっかけでも、人間は簡単に死ぬ。医療の手が足りないこの世界ではどうしようもないことだ。
途方に暮れたけれど、ひとりになった当時はもう右も左もわからなかった頃よりいくらかマシになっていた。
一介のオタク高校生ういのサンには大した能力もなかった。でも人間切羽詰まれば何でもやる必要がある。言語が通じるのは幸いだった。まあ今思えば元は現地人なんだから当然か。
ありがたくも老夫婦が少し蓄えを残してくれたおかげで、そこそこ生活は回った。とはいえ、もちろん足りなくなって街に働きに出た。
接客バイトの経験があって良かった。オタグッズ購入費用のためにバイトしてた前世の私、超偉い。人間何でもやっとくもんだよ。
身元がアレなんで長期の働き口は難しかったけども、短期バイトばっかり請け負って、何とか食い扶持を稼いだ。
豊穣祭はこの地方でも大きなお祭りで、人が集まる。だから運営にも手が要る。私みたいに出稼ぎに来る人間は多い。
ここ何年かは観光客向けガイドに雇われて、祭りの期間だけ街に滞在してる。割はいいし、簡易宿舎の提供もあるし、食事付きだし、オイシイ仕事だったりする。
……ダケドまさか。
幼馴染のエルに会っちゃうわ、ツェットとしての記憶は戻るわ、今年は何なんだろう。この世界にも厄年があるの?
ん? 今年は……?
引っ掛かる。
待って、今ちょっと頭を掠めた。
エル、豊穣祭、故郷のすぐ近くの街……何だっけ。絶対に関連しているワードだ。
漫画のストーリーで、何かあったんじゃない?
あああ、なんで肝心なところをド忘れしてんの!
結局、私がそれを思い出したのは、翌日ある人物を見かけた後だった。
▼△▼△▼△▼
そして――私はエルと再々会した。
え? 何故!?
今日も今日とてバイトだ精出すぞぃと、観光案内所付近で愛想笑いを振りまいてただけなのに。
またも通り掛かったエルと鉢合わせるとはね。何という偶然。うん、最早これは運命……な訳あるかーい!
「……昨日の」
しかもバッチリ憶えられてた。
えええ。
その辺にいるただの一般ガイドだよ? わざわざ挨拶なんて律儀過ぎる。
「え、エル様」
「ウィーノさん、昨日はありがとうございました」
「い、いえ? あの、上役が貴方様を探しておりましたが、ええと、ご案内申し上げても?」
「ああ……大丈夫です。不要です」
おおう、有無を言わさない笑顔で断られた。
そうなの? いいの?
もしかして、昨日のうちにすでに会っているのかも。だよねぇ、オッサン凄い剣幕だったもんな。
うん、じゃあ私もこれ以上関わり合いになる必要はない。ボロが出ないうちで良かった。
「そうですか、では」
そう言って踵を返す。
この前と同じに、あっさりと。
「ウィーノさん」
……とはいかなかった。
えええ?
呼び止められるとか……何?
「は、い?」
「案内を、お願いしたい」
「え? はい、あ、上役に?」
「いいえ」
爽やかイケメンの笑顔再び!
うぐぅ、心臓が……心臓が。
ヤバイよ。早死に確定だよ。
折角生き延びた私の命脈を絶つ気デスか?
「祭りの……街の案内を、貴女に頼みたい」
「……は? はあ!?」
「頼みます」
断れない迫力というのは、こういうのを指すんだろう。駄目とか無理とか嫌とか、全然主張できる余地なしだよ。
どうしよう。
困惑する。彼は何を考えている?
もしかして身バレ……と恐ろしい可能性を脳内で必死に否定しながら、私はポーカーフェイスを貫いた。
「ええ、もちろん。光栄です、エル様」
+++++
そいつに出くわしたのは、不本意ながらエルを連れて、屋台の飲み物を紹介していたときである。
仕事、仕事です。
お金貰って依頼されたんだから、それなりに働くよ。彼なら逆にお金払ってでも案内したいって娘さん、多分たくさんいるのにな。なんで私かな。
まあいい。仕方ない。
こうなったら幼馴染と最後の思い出を作るのも悪くない。今はお祭りで賑わっているけど、この街の平和だっていつまでも続かない。
――え?
私……今、何を考えた?
何を思い出した?
昨日から引っ掛かっていたことだ。
前世に読んだ漫画の内容は、つまりこの世界の、この国の動向でもあった。
エルは英雄で、これからも活躍する。
それってさ、国が何度も危機に晒されるのとイコールだよね。つまり戦争があるんだ。
遠からずお隣の帝国が攻めてくる。
私とエルの故郷と同じように、この街も……?
そんな展開だっただろうか?
椰子の実みたいな果物のジュースを飲むエルを見て、私はうむむと首を傾げた。
確か漫画のエルは故郷が滅びてから数年くらい、王城で贅沢ボケの貴族たちとやり合っていたよね。その間に王女のアウムラウト姫様と仲を深め、兄王子の信頼を勝ち取って騎士団長になる。
年代的にはまさに現在がそのシーズンだと思う。ラブコメ要素は多かったけど、国外よりも国内メインで戦闘シーンは少ない。
そんで国内で地位を築いた後が、対帝国戦だった。実質支配のためアウムラウト姫を手に入れようとして、帝国の皇太子が表向きの和睦と婚姻を申し込みにやって来る。
その皇太子こそが終生のライバルポジになる。姫の愛を巡って、また男としてのプライドを賭してガチ勝負する。
皇太子の名前は――レシュとかいったっけ。
あれも超絶美形設定だったなぁ。長身で、ダークな魅力全開の、黒髪長髪俺様キャラ。
そうそう、見た目はちょうどあの道路の向こう側からこっちを見ている、イケメンお兄さんみたいな……。
「!?」
マ、ジ、か!?
私は驚きのあまり息を呑んだ。
マズイ落ち着け。このままでは相手に気づかれる。当然、隣にいるエルにも。
「ウィーノさん」
「……は、い?」
「余所見はいけません」
「はい?」
不意にエルの顔が近づいてきて、私は焦った。
何という端正さ……じゃなくて。
「お知り合いですか、あの男」
近い近い近い!
吐息がかかるくらいには至近距離なんデスが。もっとパーソナルスペースというものを斟酌してほしい。
うん、いや察しているよ?
私がうっかり通りの向こうの男――十中八九、推測通りの人物だ――に気を取られたから、それを悟られないよう身体で隠してくれている。
エルは知っている? 自分が見られてるのも含めて? いつから警戒していたの?
彼こそが……敵国の。
「ウィーノさん? どうなんですか?」
「え、全っ然知り合いではありませんが。えーと、まあ実物を知りたい相手ではあるというか」
「え?」
口を滑らせて、私は後悔した。
迂闊。どうして今更ツェットとしての感情を表出させてしまったのか。もっと冷静に、前世の人格のままでいられれば良かったのに。
あの男が直接手を下した訳じゃない。
戦火に巻き込まれた私とエルの故郷ごとき、帝国皇太子様の眼中にもなかっただろう。単に通り道で邪魔だったから配下を適当に遣わせただけ。
敵は強大で、私は無力だった。
エルは遠くにいた。
守れなかったのは……仕方がないことだ。
「今、何と? ウィーノさん」
「何でもないです」
下手だとは思ったけど、私はただ首を振りまくって否定した。だって何を言えるものか。その辺の庶民の女が敵国の皇太子の顔なんか知ってたらおかしいし。
「そ、その、素敵なひとがこっち見てるなぁ……なんて。あ、もちろんエル様も素敵ですけど」
よし、如何にもミーハー女っぽい感じ成功。
実際にあの男が見ていたのはエルに違いない。祭りの観光客に扮して侵入してみたら、先の戦で自分たちを退けたヒーロー様がいて、思わず凝視しちゃったのかな。
「素敵……ああいうのが」
「ええ、いえ。エル様が一番ですよ」
何やら不満そうに眉を顰めるエルは、何故かさらに私と距離を縮める。ちょちょちょ、背中、壁だから! これ以上後退りできないよ。
「エル様こそ……何を、気にされて?」
手で制しながら尋ねると、エルは邪気ひとつないのに不思議と威圧的な笑みで言った。
「駄目です」
「は?」
「他の者に目を奪われては」
「……は?」
「僕だけ見てください」
「ええっとぉ」
くっ……何その科白。
レベル高いな、おい。
いいや、もしかしてエルは女ったらしに育ってしまったのかもしれない。漫画の中では姫様とじれじれの関係だったのに、実は外で遊んでたんかーい。
まあ描写されてない箇所で、何があってもおかしくないけどさ。お祭りでガイドさんナンパするタイプだったとは、意外過ぎる。なのに対象が私なのが、これまた残念過ぎる。
「お戯れはお止しください」
理性発動、培った接客スキルをオン。
いくらキラキラ美形のヒーロー様でも、旅先で後腐れなく遊んじゃおう的なのは良くないよ。つーか放っておいてもモテモテなんだから、もう少し相手を選ぼう。
「なーんて。エル様みたいな高名な方が、そういう冗談仰るなんて、吃驚です。もう、巧いんですからー。女の子みんな誤解しちゃいますよ」
薄っぺらい応酬なのは百も承知で、私は負けじと笑顔を作る。何やってんだかと思わないでもないけれど、お互い子ども時分とは違う。本音なんか言い合えない。
本当に……何をやっているんだろう。
やっぱりエルと、再会なんてしたくなかった。