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第三話  クッキーと少女

日本に転生してから五年の月日が流れた



今では()も立派な日本人……だと思う。

日本語での会話は完璧。

読み書きも習得した。いや、むしろ年齢に不相応なハイレベルである。

この世界について学ぶべく、早くから文字を覚え、新聞や本を読み漁っていたことが原因だ。

両親は我が子の成長の早さに驚いたようで、母さんに至っては


「この子は天才だわ!」


なんて大騒ぎしていた。

あまり目立つのも良くないので、まだ難しい漢字については読めないふりをしている。


前世での二十年余りの記憶が残っている俺にとって、いきなり現れた少し年上の男女を『自分の両親』と認識するのは簡単ではなかった。

しかし、二人の俺への愛情に疑いの余地はなく、それはとても心地よいものだった。

三人で穏やかな日々を過ごすうちに、いつしか違和感は無くなり、俺たちは『家族』になった。


思い返せば、家族団欒の時間というものは、俺にとって初めての経験だった。

ユグドラシアにおける魔王は、魔族の統治者ではない。

魔族の絶対的最高戦力であり、王というよりも兵器と呼ぶ方が適切だろう。


魔族は人族と比べて高い魔力を持つ種族であるが、その中でもごく稀に優れた魔力を持つ子供が誕生する。

魔族の統治機関はその子供を引き取り、魔王として育てるために英才教育を施す。

当然、俺も同様の過程を経て魔王となったわけだが、それはつまり、家族との時間を奪われたことを意味する。

従者や使用人といった類の者はいたが、彼らは家族ではないし、俺に対する愛情も持っていなかった。

もし俺が魔王としての資質を持っていなければ、どんな人生を送ったのだろうか……

時々、そんなことを考えてしまう。



「アキトくーん。あそぼー」


昔のことを思い出してぼーっとしていた俺は、少女の声で現実に引き戻された。


「この声は、キョウコか……」


手にしていた本を机に置いて、俺は玄関へと向かう。

そこに立っていた少女は、その大きな瞳を俺に向けると、花のように微笑んだ。


彼女の名はキョウコ。いわゆる幼馴染というやつだ。

母親同士が学生時代からの親友。

家も近所ということで、公園デビューした頃からの付き合いになる。


キョウコは我が家へ頻繁に遊びに来ていたが、外見だけが幼児の俺と、正真正銘の幼児であるキョウコ。

一緒に遊ぶというよりは、俺が彼女の面倒を見ているというべきだろう。

俺にしてみれば、キョウコは妹のような存在だ。


「いらっしゃい。まあ、上がれよ」


「うん。おじゃましまーす」


脱いだ靴を綺麗に揃えてから、キョウコは俺に話しかけてきた。


「アキトくん、なにしてたの?」


「ん? 本読んでた」


「えー、またー? アキトくん、いつも本よんでるねー」


「そうだな。キョウコも読んでみるか? 」


「わたし、本よむの、にがてだもん……」


サラサラのショートボブを揺らしながら後ろを歩く少女は、口を尖らせて不満そうな声を上げる。

やれやれ、数か月前までは絵本を読んでくれって駄々こねてたのに、最近は外で遊ぶことを好むようになった。


「それじゃ、外で遊ぼうか。……あ、そうだ。母さんがクッキー焼いてくれてるんだよ。食べてから行こうぜ」


「うん! クッキー♪ クッキー♪ 」


すっかりご機嫌になったキョウコと一緒にクッキーを求めてリビングへ向かう。

そこへ家事をしていた母さんがやって来て、嬉しそうに微笑んだ。


「キョウコちゃん、いらっしゃい。今日も可愛いわねぇ」


「ハルカちゃん、こんにちは! わたしよりも、ハルカちゃんのほうが、すっごく可愛いよ?」


「あらあら、ありがとう」


あどけない子供の言葉に、満更でもない様子の母さんはニコニコ顔でキョウコの頭を優しく撫でる。

頭を撫でられて嬉しいのか、キョウコの方も目を細めて幸せそうな顔をしていた。

相変わらず仲のいいことだ。


キョウコが母さんを「ハルカちゃん」と呼ぶのは、キョウコの母親がそう呼ぶのに倣ってのことだ。

ちなみに、俺はキョウコ母のことを「ユウコさん」と呼んでいる。

最初は「キョウコちゃんのお母さん」だったのだが、あまりに長いので「おばさん」と呼んでみたことがある。

すると次の瞬間、何とも言えない沈黙と、重苦しい空気がその場を支配したのだ。

そしてゆっくりと俺の方を振り向いた彼女は氷のような笑顔でその言葉を発した。


「……私はオバサンじゃないわよ? 『お姉さん』とか『ユウコさん』がいいんじゃないかな?」


「……じゃあ、『ユウコさん』で……」


その日から俺は彼女をユウコさんと呼ぶようになった。

冷や汗をかいたのは日本に来てから、いや前世を含めても初めてだったかもしれない。


誤解のないように言っておくと、普段の彼女はとても気さくで優しい人だ。

だからこそ、あの時のギャップには驚かされた。

……キョウコも将来はあんな顔をするようになるんだろうか?

うーん。想像できん……

すでに椅子に座ってクッキーを食べ始めているキョウコの横顔を眺めながら、俺はそんなことを考えていた。


「キョウコちゃん、美味しい?」


キョウコの横に座りながら母さんが尋ねる。


「うん。とってもおいしいよ! ハルカちゃんはお料理じょうずだね!」


クッキーを両手に持ち、幸せそうなキョウコ。


「ありがとう。……そうだ! 今度いっしょにクッキー作りましょうか?」


「え? いいの? わたしにできるかな……」


少し不安げな顔を見せたキョウコを見て、母さんが優しく語り掛ける。


「大丈夫よ。それにアキトもキョウコちゃんが作ったクッキー食べたいでしょ?」


こっちに振るのかよ……

ここで「いや、別に」なんて口が裂けても言えないな。

もちろん、そんなこと思ってないけれど。


「ああ。食べてみたいな」


「ほんとう? じゃあ、わたし、がんばる!」


俺の言葉を聞いたキョウコはパッと笑顔になり、飛び上がるような勢いで答えた。

その姿を母さんは楽しそうに見ていた。


「それなら次にキョウコちゃんが遊びに来てくれた時に作りましょうか。今日はお外で遊ぶんでしょ?」


「うん!」



本当に、この二人は親子のようだな……

あ、そういえば今から遊びに行くんだったか。

クッキーに気を取られて忘れるとこだった。


外で遊ぶのは嫌いじゃない。身体を動かすと清々しい気分になる。

しかし、一つ問題があった。どうやら俺の身体能力は同年代の子供より高いようなのだ。

最初は、少し成長が早いだけかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

この身体が優秀なのか、前世の影響なのかは分からないが、これは好ましいことではない。

今はまだ周囲に気付かれていないけれど、いずれ誤魔化せなくなる時が来るかもしれない。

そうなれば今の平穏な生活が壊れてしまう可能性もある。


幸せそうにクッキーを頬張るキョウコを見つめながら、これが杞憂であって欲しいと願う。


「キョウコ。外に行こうか?」


「うん!」


「二人とも、車に気を付けてね。暗くなる前に帰るのよ」


「はーい」


「いってきます」


笑顔の母に見送られ、俺たちは家の外に出る。


「とりあえず、公園にいってみるか」


「うん。いこー」


初夏の日差しが容赦なく降りそそぐ中、二人並んで歩く。

これから先、なにが起きるかなんて分らない。

それならば今はこの時間を楽しもう。問題が起きたらその時に考えればいい。

せっかく貰った二度目の人生、俺がやるべきは未来を憂うことじゃない。今を全力で楽しむことだ。


「よし!」


「アキトくん、どうしたの?」


「ちょっと気合を入れただけだよ」


「???」


不思議そうな顔で俺を見つめるキョウコの手を取り、俺は走り出した。


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