『(中略)を見ている**を(中略)』
この作品の一部場面は、作者の小学生時代(平成一桁)の時代を舞台としています。よって、職業の名称などはその頃の物に準拠して使用しています。
病院が舞台ですが、医療行為に関する描写は、作者が患者として実体験した物のみとなっております。
斜視の治療に関する描写についても、20年前の、小学1年生が見て聞いた情報によるものであると、ご理解ください。
シャー、シャー、シャッ、シャッ、シャ・・・
夜の巡回をしていると、とある個室から何かを擦り続ける音が聞こえてきた。
ある時は長く1回、ある時は短く数回、不規則なリズムをかと思えば、テンポよく小刻みに。
シャカシャカシャッ、シャシャッ、シャッシャッシャ・・・
「・・105号室?ああ、あの子ね」
音の出所は、小児科の患者が使用している部屋だった。
私は部屋の前で懐中電灯を一旦消し、そうっと重い横開きの戸を開ける。
そして中をのぞくと、予想通りの光景が目に入ってくる。
そこは3m四方の小さな部屋。あるのは左手奥の隅に置かれた箪笥と大きな窓の前に置かれたベッドだけ。
そしてそのベッドの上で、カーテンを全開にした窓から入る月明かりだけをたよりに、少年が絵を描いていた。
シャシャシャ・・・
私が入ってきた事にも気づかず、彼は、時折、考えるように一旦手を止めつつも、熱心に鉛筆を走らせる。
シャッシャッシャッ・・・
「・・・・・・」
彼から唯一の楽しみを奪うのはかわいそうだが、すでに日付も変わっている時間だ。
再び鉛筆が止まったタイミングで、声をかける。
「ニナイ君、寝てなきゃダメでしょう?」
「・・・あ、ミクニさん」
少年、ニナイはようやく鉛筆を置き、私を見るとバツが悪そうに、眼帯で左目が塞がれた顔に、苦笑いを浮かべた。
「ごめんなさい、目が覚めちゃって・・・」
「ほとんど一日、眠っちゃってたもんね」
小学2年生の彼が入院している理由は、斜視の治療。昨日の夕方、外科手術でズレていた左目を正しい位置に戻し、今は感染症予防の為に暫く眼帯を付けている。
しかし、片目だけを開けておくことになれていない彼は、結局両眼を閉じている方が安静に出来るようで。すると自然とそのまま眠ってしまい、今日の日中は、昼食時の30分ほどしか起きていられなかった。
結果、このような中途半端な時刻に目が覚めてしまったのだろう。
まぁ、眼球を取り出して元に戻すだけとはいえ、手術で体力を消耗しているから、しばらくすればまた睡魔がやってくるだろう。
そう考えて、私は彼と雑談する事にした。
「ねぇ、何描いてたの?」
彼の背中側から、その手元を覗き込む。
すると、八つ切り画用紙にデッサン画が描かれていた。
けれど・・・
「これ、病室?」
「うん」
「・・・でも、4人部屋だよね?」
絵の風景は、入り口側から見た4人用の病室だった。左右2つずつのベッドとそれを囲うカーテンのほか、外が見える大きな窓、戸棚やテレビ、点滴スタンドと、細かく描写されていた。
そして、左側2つと右側手前ベッドには、眼帯を付けた老婆3人がおり、残る右奥の1つには母親に付き添われた、ニナイ君と同じぐらいの年の男の子が、やはり左目に眼帯を付けて横たわり、こちらを見ている。
しかもその手元には、スケッチブックと鉛筆があった。
まるで写真を白黒コピーしたような、小学生が夜中の病室で描いたとは思えないほど、生々しい絵だった。
びくりと一瞬背筋に寒気が走るが、それを悟られないようにして、少年に尋ねる。
「どこかの病室?この子、ニナイ君のお友達?」
するとニナイ君は、ううん、と首を横に振る。
「夢で見た。多分、ここじゃない別の病院。海が見えたから・・・」
言われて、彼の絵に再び目を移すと、確かに中央奥の窓の外には、水平線が遠くに望める海とそこを征くタンカーが見える。
ウチの病院から見えるのは、田畑と住宅の混ざった街並みとその奥を横に伸びる山だけだ。
ザワザワ・・・・
ふとその絵から人の声やシーツの擦れる雑音が聞こえた気がした。
「(いやいやいや、そんな事あるわけない。疲れてるのね)」
自分にそう言い聞かせて、ニナイ君から鉛筆と絵を取り上げた。
「凄い上手な絵だけど、寝る時間は守りなさい。明日の朝、還してあげるから」
「あ・・・、はい」
ニナイ君は素直に頷いて、ベッドに横たわる。
その上に布団をかけてあげてから、私は部屋の入口へと向かう。
すると、
シャッシャッ、シャッシャッ
また、鉛筆が画用紙を走る音が聞こえた。
「もう、ニナイ君、寝なさいって言ったで・・・しょ・・?」
しかし振り向くと、ニナイ君は、両手を掛け布団の上に置いてはいたものの、横になったまま何も持っていなかった。
それなのに・・・
シャー、シャー、シュシュシュ・・・
デッサンを続ける音だけが、部屋の中に響く。
「ミ、ミクニさん、ぼくじゃ・・ない」
ニナイ君も怯えた顔で、助けを求めるようにこちらを見た。
シュコシュコシュコシュコ・・・
鉛筆の音が、今度は何かを強くこする音に変わる。
そして、ニナイ君の目線が私の背後を向いたまま、凍り付く。
「あ・・・ミク・・・うし・・・」
「え・・・?後ろ?」
反射的に、自分が入って来た扉をみやる。
だが、目の前で信じられない事が起こる。
シュコシュコシュコシュコ・・・・
「うそっ!?扉が!」
部屋と外とをつなぐ唯一の扉が、上から斜めに消えていく様子が、目に飛び込んできた。
まるで、消しゴムで消すみたいに・・・。
「けし・・ごむ?・・・この音!」
シュコシュコシュ・・・シャー、シャー、シャー・・・
こする音がやみ、再び鉛筆の音に変わると、扉がなくなった壁に、四角い図形が描かれていく。
「・・・な、なんなの?なによこれ!?」
訳が分からず立ち尽くす私にかまわず、図形はどんどん完成していく。
それは、1枚の大鏡になった。
ただの絵、映るはずがないと、心の中では思っていた、いや願っていたが、隅に斜めの影が付け足されると、私と、その後ろのベッドで固まるニナイ君の姿を反射させた。
そして、ニナイ君の更に後ろの、窓の外に・・・・
「ひっ!?」
私は振り返り、そして、・・・・制止した。
********
「ほほう、すごい出来栄えだね。まるで直に見た光景のようだ」
「ありがとうございます。・・・まぁ、夢の中では、確かに見たんですけどね」
コシツグ先生に褒められ、僕は照れ笑いを浮かべながら、眼鏡を触る。
この絵を描けたのは、先生のおかげだった。
いくつもの町医者をハシゴしても『正常』としか言われなかった僕の眼に、潜んでいた病気を見つけてくれた恩人だ。
だから、退院してから最初の検診日である今日、お礼のプレゼントを贈りたかった。そして渡せた。
まぁ、一つだけ。題材に思い浮かんだのが、入院中に見た奇妙な夢、というのが自己採点での減点対象なのだけれど。
「いやいや、私がホラーやミステリー好きなのは、ミクニ君もよく知ってるだろ?」
「ええ、健康観察や往診の時、いやというほど変な話を振られましたからね」
やれ予知夢だ、デジャビュだ、お守りの奇跡だ、と他の患者や看護婦さんたちからその手のネタを拾ってきては、僕に聞かせてくれたのだ。
治療で両目が一時期見えなかったとき、唯一の娯楽が、『音を聞く事』、だったからだ。
「・・・ところで、どうして奥のここ、扉を消して鏡にしたんだい?」
コシツグ先生が指したのは、僕が渡した絵の真ん中、看護婦の女性と患者の少年の後ろの壁の部分だった。
初めは扉を描いていたのだけれど、鏡に描き直した場所だ。
「えっと・・・夢の中では、僕は最初、窓から病室を見ていたんです。それで奥に入口の戸が、でも、ふっと、場面が変わって、看護婦さんが増えて。それを思い出して描き足したら、扉がほとんど隠れちゃって。それで、残った部分も消して、僕が入り口に立っている構図に・・・」
「ほう・・・。『絵を描いている少年と看護師を、君が見ている』という絵か。タイトルを付けるとしたら?」
「先生が今言ったのと、ほぼ同じです。『絵を見ているあなた』です」
「ははは、じゃあこれを持っている私をデッサンしたら、『≪絵を見ているあなた≫を見ている私を見ている君』になるわけだ。無限ループになるなぁ、ははは」
「あはははは」
特に意味のない雑談で、僕たちは笑った。
そして、一呼吸ついてから、真面目に目の具合を見てもらった。
しばらくして・・・
カタカタカタ、タタン
「・・・うん、問題なし。経過観察は良好だよ」
リズムよくパソコンのキーボードをたたき診察の記録を付けてから、コシツグ先生は笑顔でそう述べた。
「ありがとうございます。・・・それじゃ、これで」
お礼を言いながら立ち上がり、僕は出口へと向かう。
カタカタカカタ・・・・
「・・・あれ?」
「どうかしたのかね?」
キーボードをたたきながら、先生は僕に尋ねてくる。
カタカタカカタ・・・・
「えっと・・・出口ってどっちでしたっけ?・・・え?」
振り返り、僕は目を見張る。
コシツグ先生は、両手を膝の上に置いて、こっちを見ている。
カタカタカタ・・・・
「・・・じゃあ、今聞こえているこれは・・・?」
「・・・どうした?ミクニ君?」
ミクニ・・・そうだ、それもおかしい。
僕はミクニだ。でも、それしか名前が浮かばない。
苗字か!?下の名前か?どっちにしろ、もう片方が解らない。
そもそも、漢字でどう書くんだ?・・・と言うか、僕は男と女、どっちだ?
「あ、ああああ!」
ああ、ダメだ、気づいちゃだめだ!なのにどんどんおかしなところが見つかってしまう。
コシツグ先生、ああ、先生も同じだ!
フルネームが解らない! 容姿も! どんな声かも!何を診察したのかも!!
カタン
ここはどこだ!?僕は今、どこに居るんだ?病院の診察室?いや、そんな事、どこにも描写されてない!
カタカタカ・・・
今のこれは「僕が喋っている」のか?それとも心の(中で独り言を)喋っている?
カタカタカタ!
ああ、だれだ?この音は、今僕を入力しているのは、・・・・誰だ?
*******
「・・・・どうだ?僕の小説は?」
「・・・全然だめですね。特に最後、めちゃくちゃです」
パタン
ノートパソコンを閉じて、持ち主であるトクイ先生に突き返すと、俺は眼鏡をはずして、ベッドに横たわる。
ストレスで精神と胃に穴が開いて入院してる患者に、奇妙奇天烈なホラー小説(自称)を見せに来る医者が居るなんて、どうなってんだ?この病院。
しかも内容が『登場人物が、自分が架空の存在と気付く』なんて、いわゆる『第4の壁をぶち破る』って展開を繰り返すループもの。
そりゃ自分が本物かどうか、ってのは考えると怖くなってくるけどさ・・・。
なに?シュッシュ、とかカタカタとか、間に挟んでるアレ、読者へのヒントか?あれって必要か?
などと、作品への辛口な評価を頭に浮かべながら、俺はトクイ先生を見やる。
そして、数ある批評の中から選ばれし、口を突いて出てきた一言は・・・
「この作品のタイトル、『《≪絵を見ているあなた≫を見ている僕≫を見ている私》を読んでいるあなた』って、長すぎでしょ?」
すると、ノートパソコンを運搬用のケースに片づけていた先生は、こちらを向いて、ニヤリと笑った。
「この時点で、長いかい?」
「は?この時点・・・?」
訳が分からず首をかしげると、先生は俺の眼をジィッと覗き込みながら言った。
「さぁて、次は君だよ。『《≪絵を見ているあなた≫を見ている僕≫を見ている私》を読んでいる私達』を読んでいる、画面の向こうの君・・・」
・・・カタカタ
本作の登場人物の名前は、すべて画用紙のサイズから来ています。
ニナイ=271㎜
ミクニ=392㎜:八つ切り画用紙の縦横の基準値
コシツグ=542㎜:四つ切り画用紙の基準値
トクイ=1091㎜:全判画用紙(最大サイズ)の基準値