1 エンプティ・マック(魔力無しマック)
世の中には、二種類の人間がいる。
一つは、運命は自分の智慧と力で切り開けると考えているヤツ。
もう一つは、運命というレール、あるいはルールに従って生きていると受け入れているヤツだ。
どちらの考えが正しいかなんて、俺の知ったことじゃない。禅問答みたいなもんだ。
ただ、俺が確実に言えるのは、何をどう信じて生きていくにせよ、理不尽は通り魔のようにある日突然やってくるってことだけだ。ヤッパを鈍く煌びやかせてね。
俺の名前はマックだ。マック・レーン。NY国はハッターマン州のとあるスラム街を管轄している、しがないデカだ。この下水臭いクソ溜めの中で泥みたいな珈琲をすすり、群がっている蝿共や蛆虫野郎を、丁寧にピンセットでつまんでいく、そんな毎日を過ごしている。まったく無為な日々だ。人間、衣食通じて礼節を知る。まして、清貧が倫理道徳を練磨させるなんてのは大嘘だ。だからここのガリガリ亡者達に誠意なんてありゃあしないし、シケた賄賂一つでチンピラに道を空ける野良犬みたいな警官にも、正義なんてものはない。
その日は夜勤のあと、どうしても片付けたい案件に取り込み、夕方には警察署を出た。鉛のように重い疲労を引き摺って、商店でぬるい安酒と少しカビたナッツを買って帰路につく。うつむけば、昼行燈の反吐の跡と、ゴミと、煙草の吸殻がぶちまけられた街道が延々と続いている。見上げれば、日当たりの悪い通りとは対照的な蒼穹を、アップタウンの連中が待っていた。魔法『グライド』を発現させて、空を自由に飛べるとなると、連中が持っている魔力は莫大なものだろう。自分自身の質量そのものを重力に逆らって飛んでいるのだから。人間は全く平等じゃない。生まれ持った才能の差から始まり、そいつの残りの寿命の長さまで、始まりから格差が続いている。そして恵まれたヤツに限って身の程も弁えずこう言うのさ。「君達、もっと努力したまえ!」ってね。
お空を睨みつけていると、左手首がにわかに痛み出した。それはありえない痛みだった。焼き鏝を当てられ、皮肉が焦げ付くような激痛に、買い物が入った紙袋を落としてしまう。
「ちくしょう! なんだこりゃあ……」
とうとう俺はうずくまり、左上腕を右手で掴んだ。ところがその痛みは、紙を剥すようにフッと無くなってしまった。
「……あ?」
額と背中にじっとりと滲んだ脂汗だけが残っている。俺は膝立ちのまま、紙袋を拾ってアパートに帰った。
自宅のアパートは広いとは言えないが、それでも女房と娘が出て行った借家は、今なおただッ広く感じられた。男やもめの生活の跡で散らかり、饐えていたとしても、がらんどうに満たされてる。ひと眠りする前に俺は煙草を吸い、安酒を呷った。腐れナッツはゴミ箱に突っ込んだ。
来客が出入り口をノックする。
なんだこんなタイミングに? ゲップと一緒に溜め息をついてから舌打ちをして、「どうぞ」と客を招く。
随分と身なりの良い姿をした男がドアを開けてやってきた。その身のこなしもきびきびとして、洗練されているが、別の様相もうかがえる。つまり、軍人だとか、荒事にも通じるような訓練を受けた人間の動きだった。
「マック・レーンだな?」
しかめっ面のまま、男が尋ねてきた。
「お宅はママから『表札』というものを教わらなかったのか? そう書いてただろ」
安酒の瓶を呷る。その鉄面皮がかすかな苛立ちに歪んでいるのを感じた。
「よりにもよって、君のような男が選定されるとはな」
「話が見えない」
「そうだろうとも。君の場合、気づかなかっただろうな。
お前は『ディザイア・ゲーム』に当選したんだよ。
よりにもよって魔力無しのお前がだ。プレイヤー・マック」
最近の安酒は、幻覚剤でも入っているのか。あるいは目の前の男は古代妄想狂なのか?
ディザイア・ゲーム、だって?
その黴た都市伝説紛いの名前に、得体の知れないものが混ざっている安酒の酔いが、あからさまに醒めてしまった。
※あとがき
誓って記すが、今後マック・レーンが消火ホースを腹に巻いて、ビルの屋上から飛び降りたりするシーンなどは、絶対ありません。