それはメリルの幸せか?お主の幸せか?
俺は今、母神さまと対峙している。
言いたい事があるのだが筋肉が強張って口を開ける事ができない。
お願いしたい事があるのだが頭の中の言語処理速度が極端に低下し言葉の前後がかみ合わない。
だがすがりたい事があるのだ。やり直したい事があるんだ。
そんな俺を見かねたのか母神さまのお髭が俺の頭を一撫でする。すると今までの緊張がなんだったのかと訝るほど落ち着いてしまった。
俺は、母神さまにお願いする。
「母神さま、私は私が至らなかったばかりに大切なものを無くしてしまいました。
後悔の念に駆られ皇帝陛下ばかりか母神さまのお手まで煩わせるようなことをしてしまいました。
この身が対価となるのであれば差し出したい。地獄の業火に焼かれるのも厭いません。どうかメリルを生き返らしてください。」
「・・・。」
母神さまはじっと俺を見つめたままだ。
俺もただただ返事を待つ。
周りにいる子神たちも微動だにしない。
暫くすると母神さまのお髭が俺をやさしく撫でた。
母神さまはおっしゃる。
「勇者よ、そなたの願いを叶えるのは容易い。しかし、生き返った者は生涯死の瞬間を忘れることはない。夜な夜な思い出し恐怖に震え涙するであろう。」
「!!」
俺はそんなことまで予想できていなかった。一度死んだ者は生き返ることが苦痛になる?
俺はメリルがそんなことになるのは望まない。しかし、俺の身勝手な願望は小ざかしい言葉を吐き出す。
「どうか、どうか母神さまのお力でそのようなことのないよう取り計らいをお願いします。その時の記憶を消してください。」
俺の言葉を聞き、何故かメリルは目を伏せる。
そして口に出した途端、俺の心を何かが刺した。大した痛みではないがそこから溢れる何かは止まることがなかった。
「勇者よ。」
母神さまは言葉を続けない。
それはやさしさ故の躊躇なのだろうが、俺は無言の責めを受けたように感じた。
「勇者よ、そなたの願いを叶えるのは容易い。しかし、それはメルクリルの幸せか?お主の幸せか?」
「!!」
母神さまの言葉が俺の胸に突き刺さる。
俺は無言で拳を握り締める。
ああっ、ここで自分の為だ、それがメリルの幸せになるんだと言えたらどんなに楽だろう。
だが俺は、俺のためだ!と嘯くこともできなかった。
ましてやメリルのためだなどと言えるはずもない。
「・・・。」
だが、だが、だが!メリルには一点の非もないのだ。なぜ優しき者がこのような目に合わねばならないんだ。理不尽だ、不合理だ。強き者が弱き者を喰らう?違う!邪まな存在が優しき者を犯すのだ。己の生存を優先する心が邪悪を絶つ事を躊躇わせているのだ。
違う!こんな世界は本物じゃない。やり直そう、作り直すんだ。一度全てを壊して汚い者を取り除くのだ。綺麗なものだけで構成するんだ。そう、楽園を作ろう。メリルのために。俺の手で・・。
その時、また母神さまのお髭が俺を撫でる。
俺ははっとして意識を取り戻す。俺を支配しようとしていた影が怯えたように奥に逃げていく。
「その思いを恥じることはありません。表があれば裏があるのは当然なのです。二つで一つ、それが万物の理です。」
「勇者よ、苦しいのですね。楽になりたいのですね。そなたの苦しみを取り除くのは容易い。そなたからメルクリルの記憶を消せば事足りるのです。」
「勇者よ、忘れることもやさしさのひとつです。望みますか?」
「!!」
母神さまは厳しかった。だがそれはやさしさ故の叱咤だ。自分の足で立ち上がることを促す愛だった。
「メルクリルもそなたと同じ事を願いました。けれども彼女は重みを背負い自分の足で立ち上がりました。」
「勇者よ、あなたにもできます。辛い事ですがそれはあなたとメルクリルの幸せに繋がるでしょう。」
「・・・。」
その時、メリルがうな垂れる俺の肩をそっと抱いた。
そして、母神さまにお願いする。
「母神さま、お願いがあります。私を現世に転生させてください。」




