盲目の姫の花嫁衣裳 (Veilchen(悠井すみれ) 作)
作者マイページで加筆版を公開予定です。
都からはるばる旅してきた姫をひと目見て、彼は内心で落胆の溜息を吐いた。仮にも王の娘だというのに、花嫁となるべく送り出された方だというのに、姫が纏う衣装は質素そのもの、花嫁衣裳らしい点といえば、白一色というところだけだったのだ。金糸や銀糸の刺繍はおろか、宝石のひとつも飾られていない。盲目の姫は父王にさえ冷遇されているという噂は、どうやら紛れもない真実だったようだ。見えないのだから衣装に金をかける必要はないだろう、という王の声がはっきりと聞こえるようだった。
(やはり、厄介払いでしかなかったか……)
彼が治めるこの土地は、都からも主要な街道や国境からも離れた純然たる田舎だ。これといった産物もない。王が持て余していると聞いた姫を引き受ければ、あるいは何かしらの恩を売れるかとも思ったが、これでは期待外れに終わるかもしれない。簡素すぎる花嫁衣装は、姫だけでなく彼とこの地への侮りでもあった。たとえ田舎者が気分を害したとしても、都や、まして外つ国まで醜聞が届くことはないだろうと見積もられているということだから。
「ようこそお出でくださいました。尊い方を伴侶にできる光栄に、うち震えております」
とはいえ、花嫁の目が閉ざされているのは新郎新婦の双方にとって幸いだった。花婿は声音だけを取り繕えば良かったし、花嫁は夫となる者の失望の顔を見ずに済んだ。婚礼を祝うべく集った民が戸惑う姿も、彼女に付き従う乳母や侍女が屈辱に歯噛みする姿も。
どこかぎこちない雰囲気の式の間、花嫁だけが幸せそうに微笑んでいた。
形ばかりの式と宴がはねた後、寝室で新妻と二人きりになった彼はひたすら当惑していた。両の目を閉ざしたままの頼りなく華奢な方にどのように触れれば良いのか、光を持たない方に何を語りかければ良いのか分からなかったのだ。
「我が君、わたくしの衣装を自慢させてくださいませ」
「無論です」
姫の方からそのように言い出した時も、彼の胸に芽生えるのは新たな不安だった。侍女たちはこの方に何と言って聞かせたのだろう。豪奢な衣装だと嘘を聞かせるのは優しさかもしれないけれど、彼に上手く話を合わせることができるだろうか。
「どうか、ご覧になって――」
言いながら、姫は、けれど彼の手を手探りに取って衣装の長い裾に触れさせた。彼女にとって見るとは触れることなのだろうか。ひたすら白いだけと見えた衣装の表面に細かな凹凸があるのを感じ取って、彼は指先を跳ねさせる。
「見事な刺繍でございましょう?」
「え、ええ……とても……」
顔をよくよく近づけてみなければ分からなかっただろう。白の生地に、白の糸で。姫の花嫁衣裳には、それは精緻な刺繍がほどこされていたのだ。
彼の手を導いて、衣装を手繰って、姫は刺繍の一つ一つを説明していく。
「地に根を伸ばした種が芽を出し花を咲かせます。花の色と香りに鳥や蝶が集い、実れば民の恵みとなります。男たちが振るう鋤、女たちが紡ぐ糸。騎士の剣が彼らを守ります。誰も一人で生きるのではなくて、王侯もただ城に居て奢るのではなく、人と自然の営みの中に――」
目で捉えるのは難しい物語が、姫の指と言葉によって色鮮やかに浮き上がった。王が住まう城の尖塔の、その切っ先までを辿り終えると、姫は彼に微笑みかけた。
「お父様がわたくしへの支度を惜しむだろうと、お母様たちは早くから悟っておられました。だから長年かけて用意してくださったのです。わたくしが覚えるべき心がけを教えながら」
「それは……」
「ものの役に立たぬ身ではございますが、せめて道を誤ることはなきよう、常に正しい助言を差し上げられれば、と存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
深々と頭を下げられて、彼は答えることができなかった。自身に恥じ入って舌が凍りついてしまったのだ。父王の軽侮だけでない、彼の落胆もきっと感じ取ったに違いないのに、この方は微笑んでくれたのだ。
「御目を……見せていただけるでしょうか」
「え……は、はい」
震える声での突然の願いに不思議そうな表情を見せつつ、姫は初めて彼に目蓋を開いてみせてくれた。現れた空の色の目は澄んで美しく、純白の衣装には何よりの装飾とも見えた。
「指輪を用意しておりましたが、御目の色に合わぬようです。もっと良いものを、すぐに手配いたしましょう」
表情を見られることがないことに、先とは別の意味で安堵しながら彼は嘘を吐いた。指輪を用意していたのは真実だが、王と同様、見えぬのだからこの程度で良いだろうという考えのもとに見繕われたものでしかない。そのようなものは渡せない。触れても楽しめるよう、細かな彫刻を施して、この目に合う色の――この心にそぐう輝きの宝石を探さなくては。
「必ず、幸せにして差し上げましょう」
出会った時の不敬と非礼を償って、その上で心からの親愛と尊敬をこの方に注ごう。そう心に誓いながら、彼は新妻の細い身体を抱きしめた。