夜空をみあげて (サラ・ローズマリー)
父は星が大好きな人だったらしい。
田舎の方の生まれで、青春時代は夜空ばかり見つめて過ごしていたと言う。上京して通っていた大学も、星を研究する為だけに受けたとか。
数ある父の星好きエピソードの中でも、私が一番ひどいと思っているのは「私の名前」だ。父が何を思って名付けたのかは知らないけれど、私の名前は「星愛」。星を愛する、だなんて馬鹿馬鹿しくて父らしい名前。
けれど、そんな父や名前を持っている私は、空なんて好きじゃなかった。こんなに忙しいのに空なんて見上げている暇はない。
そもそも都会に住んでいるせいで星は一つ二つしか見えないし、父の稼ぎが少ないせいで母は過労によって倒れてしまったのだ。おまけに父はどこかに消えてしまったし。
「こんなんで『星を愛せ』なんて、よく言える」
私はそう吐き捨てると、深くため息をついた。
山奥に来るのに虫除けスプレーを持ってきていなかったせいで、全身がかゆい。蚊に刺されたところを激しく叩いてもかゆみはおさまらない。
下生えがびっしりと生い茂っていて、それがまた足をかゆくさせる。あたりを見回すともう日は落ち始めていて、「逢魔が時」とでも言われそうな時間になっていた。
「なんで私がこんなことしなきゃいけないのよ、もう」
真っ暗になるまでに帰りたかったけれど望みは薄そうだ。
元はと言えば、父が久しぶりに送ってきた手紙が原因だった。もうとっくに死んでるかと思っていたのにどうやら生きていたらしい。あの人らしい達筆な字がぎっしりと詰まっていた手紙。二週間前に来たその内容を今でもはっきりと覚えている。
『星愛へ。
久しぶりだな、元気か? 父さんの研究がようやく軌道に乗りはじめたんだ。今なら星愛の好きなものをたんと食べさせてやれるぞ。ハンバーグでも寿司でも何でもな。
そういえば、星愛に見せたいものがあるんだ。昔から、いつかお前に見せようと思ってたんだ。一ヶ月以内に下に書いてある住所に来てくれ、よろしくな。
母さんにはすまないと言っといてくれ。まぁ、でも元気でやってくれているだろう? このお金で何かしておいてやってほしい』
ふざけた手紙だった。
もう母の体は丈夫じゃないし、私も食べ物につられるような子供じゃない。手紙を破り捨てたいくらいだったけれど、手紙を見た母はこう言った。
「もうわたしも入院したから心配することないわよ。行ってきなさいよ」
その青白い顔は優しさに満ち溢れていて、私はうなずくしかなかったのだ。
父の手紙に書かれていた住所は名前も知らないような山の奥深くを示していた。しかも、バスも電車もきちんと通っていないド田舎。
そのおかげで私はもう二週間も一人旅をしている。どうして父なんかのためにこんな苦労をしなきゃいけないのか、まったくもってわからない。会った時に言う文句を考えつつ、母のためを思って少しは我慢した。
けれど、その我慢ももうすぐ終わるはずだ。
携帯のGPSによると、書いてあった住所のすぐそばに来ているようだった。すっかり暗くなってしまった中、簡易ライトで足元を確認しながらゆっくりと歩く。手紙によれば、ここら辺に小屋があるみたいだけれど……。
「おい、星愛か?」
突然、懐かしい声がした。
「父さん?」
声のした方を振り向くと、父が立っていた。
記憶にある父よりも少し、老けているように見える。しわも白髪も増えて、背中も曲がっていて。ちょっとやつれてもいた。
「久しぶりだな、星愛。よく来た。早速見せたいものがあるんだ」
久々の再会だというのに惜しんだりもせず、ぐんぐんと父は歩き出す。こんなところに置いていかれちゃ叶わない。私も必死で父を追いかけた。
急に止まった父の背中にどん、とぶつかる。父がよろけた。
そこはちょっとした空き地だった。木も少なく、月が地面を明るく照らしている。
「父さん、久しぶり。見せたいものって何よ?」
声に混じる長年の苛立ちを隠せなかった。強く言いすぎてしまったかもしれない、と反省しながらも、このくらいがこの人には妥当だとも思った。
「上、見てくれないか?」
「うえ?」
私はゆっくりと目線をあげた。そして、言葉を失った。
私たちの頭上にはたくさんの星が浮かんでいた。まさに「満天の星」の状態。夜空は宝箱のようにも見えたし、無数の星がきらめいていてとてつもなく美しかった。
こんな綺麗なものを私は今までに見たことがなかったと思う。
見つめずにはいられないし、見つめていると吸いこまれそうになる。大昔に学校で習った「引力」という言葉を思い出した。星には本当に引力があるのかもしれない。今まで持っていた負の感情が消え、自分が星に埋め尽くされていく。
「きれい……」
私はため息をつくように言葉を吐きだした。言葉は闇夜に消えて、星は変わらず輝いていた。
視界の端で父が笑っているのが見えた。