いつもと違う電車に乗ってみた。 (飛島 明 作)
ぽてぽてしたサラリーマンの、ほてほてした逃避行
僕はいわゆる、普通のサラリーマン。
眼鏡をかけてスーツを着て、都心に出勤している。
……ちょっと、BMIが普通を上回っているかな……。
月曜日から金曜日、9時から18時まで働いている。残業は殆どないからホワイト企業だって、みんなに羨ましがられる。つまらなくはないけれど、面白くもない仕事。でも会社ってそんなものだよね。
月曜日の朝7時32分。これに乗らないと、会社に8時45分にはつかない。けれど、反対側の電車を僕はいっつも眺めている。向かい側のホーム7時34分発の海岸行きの電車に乗れば、どんなことが待ってるんだろう。キラキラしているんだろうか。美女と出逢っちゃったりする?
ある日、僕はとうとう反対側の電車に乗ってしまった。
やった! 係長に連れ戻されないように携帯の電源もオフにしちゃった。
ドキドキ、心臓の音が煩い。視線が泳ぐ。車掌さんに不審人物扱いされたら、どうしよう……。
さりげなくBOX席で相席になった人達を観察した。
僕の母と同じ位のおばさん。競馬新聞を読んでるおじさん。そして窓の外を眺めている、女子高生?
みんなで海に向かっている。なんか運命共同体って感じ? キャラメルなんか持ってたりしたら、みんなに配りたいな。話しかけて、どんな駅で降りるのかリサーチしてみたい。
けれど、おばさんはたどたどしく携帯に文字を打つので一生懸命。
おじさんは新聞に熱心に〇を付けている。
女子高生に至っては、車内を振り返ろうともしない。
こんなに近いのに、誰も関心がない。まるで、自分以外は世界に存在していないかのように振る舞う人達。
なんか、へこんできた……。
係長に怒鳴られて居場所のなくなった僕を思い出してしまった。BOX席の中で居たたまれなくなる。トイレに行きたい。けれど、席を立ったら最後、席はなくなっているだろう。自由席って一人旅だと本当につらい。
諦めて、 僕も窓の外を眺める事にした。
だんだん、空の配分が大きくなってきた。そうか、低い建物が多くなってきたんだ。改めて思う。空って大きいなあ。すっぽりと、僕達の地球を覆っているんだ。
日中の空は水色。夜になると現れる星たちは隠れてしまって見えない。空の向こうには宇宙がある。電車の終点には海がある。なんか不思議だ。
気が付けば、おばさんが降りおじさんも居なくなっていた。電車を降りる人は多くなったけれど、乗り込む人は少なくなった。
車両に何人かが座っているだけになった。そのうちの二人が僕と高校生の彼女。向かい合って、窓の枠に肘なんかついちゃって。僕達は他人から見たら、カップルに見えたりする?
ちらちら見ていたら気づかれてしまった。
ぎろりと睨まれて、凄まれた。
「おっさん、痴漢かよ?」
「めめめ滅相もございませんっ!」
うわあ、課長より怖い人がここにいたよ! 僕の必死ぶりにドン引いたのか彼女はぷい、とそっぽを向いてしまった。
彼女ががばり、と窓から乗り出した。ぶんぶん!と手を振った先には、イマドキのサワヤカ男子高生。なんだ、待ち合わせしてたのかよ。ちぇ。
不機嫌さは何処へいったのか、女子高生は羽が跳ねたような足取りで電車を降りていった。
トンネルが多くなり、地面の色が灰色から緑になってきた。僕は思い切って窓を開ける。風が翠の匂いがする。そして、ちょっと獣くちゃい……。あ、牛がいた。生きている牛って画面越しじゃなくて久しぶりにみたかもしれない!
とうとう、ぷっしゅーとか言って終着駅についた。
僕は駅の案内板に従って、ぶらぶらと歩く。太陽の光が濃い。じりじりと炙られて、僕のミディアムステーキが出来そう。僕は潮の匂いを頼りに海へと歩いて行った。
「おおーーっ!」
海がざざん、なんて波打っちゃってる。三日月型の砂浜には当たり前だけど僕しかいない。灰色の砂には昆布がびろんと広がってたり、ヤドカリがもしゃもしゃと歩いている。ぶっちゃけ鄙びた海岸だった。だけど夏になれば、それなりに海水浴客で賑わうのだろう。おじいちゃんと、彼に抱っこされた犬が近づいてきた。あれって、誰の散歩なんだろう。おじいちゃんの?
「あ、船だ」
遠くの水平線に船が浮かんでいる。タンカーかな。外洋航路のヤツだろうか。そうか、この海は外国につながっている。あの船に乗せて貰えば、僕はいつのまにか外国に着いちゃうんだな。
降り立った外国で僕は何をするのだろう。お腹空いたから、まずは小腹を満たしてだな。それから美女に出逢えちゃったりしないだろうか。
いつの間にか僕は座り込んで波が寄せては引いていくのを見ていた。波が砂を舐めては押し戻される。灰色の砂は濡れたところだけ黒くなる。ぷちぷちと穴がそこここに開いて、小さいカニがわしゃわしゃと歩き回る。彼らは余韻のように寄せてきた波に攫われていく。大航海時代の幕開けだな。お前たちはどんな世界を見るんだろう。
なんか気が済んだ。
「帰るか」
会社へとつながる電車に乗って、都会に向かって帰ろう。