命の森-緑なす- (布袋屋光来 作)
(ああ、また、夢の中を旅している)
少女は、心地よい微睡みに落ちながら、胸の中で呟いた。
少女の名は譲羽。
幾百年、あるいは幾千年の時を超えて、譲羽は旅の夢を見る。あるいは夢の中で旅をする――。
山。
真っ白な山。続く尾根。
山の頂点は清らかに眩しい、真っ白。なだらかな稜線。
かき氷にシロップをかけたように、頂点の方はただ白く滑らかで、山の中腹の辺りから青い灰色が広がる。青い灰色は、葉を落として雪を被った木々。木々は青くこんもりと連なりながら、麓に向かってずっと生えている。
その山の中腹全体に、光のシャワーが降り注ぐ。雲の切れ間から差し込む黄金の光が、中腹から頂点へと、光の波のようにゆっくりと流れていき、山の神秘的な美しさを映し出す。
圧巻の光景。
譲羽はこんなものは見た事がない。
譲羽は光のシャワーに釣られて、空を見上げる。
そこにあるのは、譲羽の知る、無機質に重苦しい灰色の空ではなかった。
蒼穹――。
どこまでも雄大に広がる蒼。
そこに、山から立ち上る真っ白な雲が、刻々と形を変えながら、風に乗って流れていく。
目にしみるような冬の青空。
冷たく輝く白雪とは対称的に、柔らかで伸びやかな白い雲。
(こんなところがあったんだ……)
夢の中の事なのに、その光景に打ちのめされて、譲羽は言葉を失う。
ただ、山の凜とした空気を肺の奥深くまで吸う。
冷たい風の匂いがした。
……夢がまわる。
……夢がかわる。
次に譲羽が気がついたのは川の上だった。
冬の間凍り付いていた川が、雪解け水となり、山の上から流れ落ちてくる。
苔むした岩が雪解けの清流を割り、真っ白な飛沫を上げている。
恐らく、その雪解け水は手を触れれば凍傷を起こすほどに冷たいのだろうが、水しぶきは太陽の光を受けてキラキラと輝き、水の流れはどこまでも清冽であった。
降下して間近からのぞき込むと、穏やかな流れの下の砂利は、雪解け水に磨かれて高価な宝石のように輝いていた。
譲羽は川の上を踊りながら登っていった。
やがて、屋根のような形の氷雪の塊を見つけた。
雪の屋根から乳首のように一部が垂れ下がっている。そこからしたたり落ちる小さなしずく。
――ぴちょん
――ぴちょん
恐らくその小さな一滴一滴の雪解けが集まってこれほどの清流を作り上げるのだろう。そして雪解け水は麓まで降りていき、人々の生活を潤すのだ。
偉大な意志のようなものを感じながら、譲羽はしたたり落ちる雪解け水を見つめる。その雪が解ける音は、まるで春の訪れを示す音楽のようであった。
夢がまわる。
夢がかわる。
気がつくと、譲羽は枯れ葉の森の中にいた。
足下に降り積もる枯れ葉。
そしてすぐそばに、緑の芽生えがあった。
双葉。
譲羽の世界にはないもの。
だから、譲羽は、それが蕗の双葉だということが分からない。
若々しい柔らかい緑。
見回すと足下にはそこかしこに、蕗の双葉が生えている。
どれ一つとして、大きさも形も同じものはない。
生命は生まれた時点で、どれ一つとして同じものはないのだ。
譲羽は徐々に足下から上に目線を上げていく。
すると枯れ葉の茶色ではなく、鮮やかな緑が視界を覆い尽くしていった。
森の緑の梢で、鳥が鳴いている。下生えには譲羽の知らない虫が群がり、独特の羽音を立てている。
譲羽はその圧倒的な森の生命力に驚きながら、枯れ葉を踏みしめて進む。
やがて、譲羽の前には、神殿の円柱よりも堂々と太い、一本の大樹が現れた。
大樹の木肌は、灰色だったがところどころ斑点のように白が広がり、節くれ立ち、天に向けて何本もの枝を広げ、まるでこの森の神か精霊のように威厳に満ちていた。
譲羽は樹の前で、思わず祈りの言葉を口にした。
大樹の名も、知らない。群れなす緑の名も、知らない。それでも、命の威厳は理解出来たのだった。
――夢の旅をいったん終えて、譲羽は目を見開いた。
「どうでした、巫女様」
侍従に声をかけられ、譲羽はゆっくりと起き上がると、神殿に集まった人々の前に立った。
「夢を渡しましょう」
思念の魔力を駆使して、譲羽は今回の旅で見た『過去の地球』の光景を人々の頭脳に照らし出した。
人々は感嘆の声を漏らした。そしてやがて、泣き出した。
そうだろう。灰色と黒しかなくなったこの荒廃後の地球においては、あんな豊かな命の色彩は見る事は出来ない。
「絶望することはありません」
譲羽は、しっかりとした声を出した。
「かつてこの土地はあんなにも豊かだった。それを殺してしまったのは人の手。……ならば、再び生き返らせる事も、人の手で可能だと言う事です」
譲羽は、人々を勇気づけるために微笑んだ。例えそれが作り笑いであっても、泣いているより何倍マシな事だろう。
「胸に希望を持ち、立ち上がりましょう。再びこの地球を、緑なす命の星へ」
譲羽は顔を上げ、一歩、前へ進み出した。人々へ。そして未来の方角へ。
譲羽の夢の旅は続く。
彼女達の『夢』が叶えられる、その日まで。