夕日と初恋と。 (藤谷要 作)
ぼくの友だちが失恋をしたらしい。
彼が好きだったのは、同じクラスの女子だ。以前、彼のとなりの席にいた人だった。彼が教科書を忘れたとき、彼女は親切に一緒に読ませてくれたらしい。
たったそれだけの理由で、相手を好きになる彼におどろいたものだった。
でも、後になって彼女には別に好きな男子がいると知って、彼の始まったばかりの恋は終わりを告げたようだ。
一緒に学校から帰る途中、ランドセルを背負った彼は、うつむきながらぼくに話してくれた。
「気にするなよ。またいい人が現れるって」
「……うん」
心あらずに返事をする彼が心配だったけど、彼と別れて帰路についた。
ぼくにはいまだに分からない。人を好きになるという、彼の気持ちが。
友だちとは違う、特別ななにか。
その不思議な感情を小学五年生のぼくはまだ知らなかった。
家の中でテレビを見ていたら、夕日が窓から差し込んでいた。人によっては美しいという、その光をぼくは特に何も感じたことがなかった。
昼間には青かった空が夕方に赤くなる理由は、ちゃんと科学で証明されている。
太陽の光には、もともと青や赤などの様々な色が混じっている。自分たちの位置から太陽までの長さに応じて光の色が散らばる種類が違う。太陽が遠くなった夕方では、赤い色が多く空に散らばっているため、ぼくの目には赤く見えるだけだ。
だから、別にその夕焼けに特別な理由などなかった。
次の日、友だちが学校を休んだ。熱を出したらしい。家が近いということで、彼のプリントを先生からぼくは任された。
彼の家にはよく遊びに行ったことがある。見上げるほど大きなマンションだ。広いエントランスで呼び出しボタンを押すと、友だち自身が応答してくれた。
「良かったら、入って」
「大丈夫なの?」
「うん、熱はもう下がったんだ。お母さんが知恵熱だろうって」
彼に呼ばれて、中まで入ることになった。エレベーターのボタンを押して、目的の階まで上がる。
共用の外廊下を歩いていると、解放されたすき間から、一匹の虫が飛んできた。ブンブンと激しい羽音をさせながら近づいてくるので、ぼくは逃げながら慌ててドアの横のインターフォンを押した。
早く友だちがドアを開けてくれることを祈っていると、やっとガチャリと音を立ててドアが開いた。ほっと一安心したけど、中から出てきた人を見て、ぼくはすぐに固まってしまった。
「あら、どうしたの?」
可愛い声とともに制服を着た女の子が姿を現した。ぼくの見知らぬ人だった。中学生くらいだろうか。ぼくよりも年上の顔をしてこちらを見ていた。友だちの家族ではない。彼には姉はいなかった。
彼女のとても大きくてきれいな目。さらさらとした彼女の細くて長い髪。
目をそらすことを許されないほど、ぼくは彼女に釘付けになる。
不思議そうな表情で彼女に見つめられるだけでぼくはドキッとして、今まで経験したことないくらい、ひどく緊張してしまった。
一体、どうして彼女が現れたんだろう?
頭の中は真っ白になっていて、先ほどの彼女の問いに全く答えられなかった。いつもならハキハキと答えられるのに、口をパクパクと水そうの金魚みたいに動かすだけで、みっともないくらいあやしい態度しかとれなかった。
その間、彼女はきょとんとした顔をして、こちらを見つめていた。
「もしかして、となりの武宮さんちの友だちかな?」
彼女の言葉によって、ぼくはやっとインターフォンを押す部屋を間違っていたことに気付いた。
うんうんと首をたてに振って、ようやく人間らしい対応ができた気がした。
「ご、ごめんなさい……! 間違えたみたいで」
やっと自分の口から声が出たとき、ひどく安心した。
「うふふ、いいのよ。じゃあね」
彼女が浮かべた笑みに、さらに心臓が激しくドキドキした。
目の前でドアが閉まり、廊下に一人きりになる。ぼくを怖がらせた虫は、いつの間にかどこかへ消えていた。
それから友だちの家に無事について彼と遊んでいたが、先ほどの彼女のことが気になって仕方がなかった。それで友だちに自分のうっかりミスを話して、となりの家について質問していた。
「ああ、木村さんっていうんだよ」
「そうなんだ。それで、そのお姉さんの名前は?」
「知らない」
「そうなんだ……」
友だちの返事にがっかりした自分に少しおどろいた。
学校からの帰り道だったので、遅くなる前に家に帰らなきゃと思い、ぼくは彼に別れを告げた。
ぼくが押し間違えた家のインターフォンの前を通るとき、再び彼女が出てこないかなと期待したけど、何も起きなかった。
そのことを残念に感じて、そんな自分が少し変だと思った。
帰り道、日がくれかけて、街並みを赤くそめていく。
いつもの見慣れた光景。それなのに、彼女のことを考えながら見ていると、とても落ち着きのない気持ちになる。そんな自分の変化にとてもおどろいていたけど、不思議と心地よかった。
目に映る太陽までも、いつもよりも赤くきらきらとかがやいているように見える。まるでこの日だけ、ぼくのために夕日が世界を赤くしているみたいだった。