ポイ捨てダメ、絶対。 (青月クロエ 作)
もって二時間から三時間、映画一本分の時間が限界。
だから、映画館を出てすぐに喫煙所へ行けば良かったんだ。
「ほんとに寄らなくてもいいの??」
ガラス張りの喫煙所を横目に通り過ぎ、近くのエスカレーターで一階に下りていく。
映画館があるショッピングモール内一階には飲食店のテナントも数多く入っているし、その内のどれかには入れるだろう、とタカを括っていたら、どの店も入店するには厳しい状況だった。
日曜の15時過ぎなんて一番混雑する時間帯に決まっているから、仕方ないっちゃ仕方ない。
ただ、厳密に言えば、喫煙席が設けられた店の席が空いていなかったから、僕が煙草を我慢しさえすればすんなり入店できたのだけれど。
「外に出て、煙草吸えるお店探そっか。ヒロ、三時間越えると辛くなってくるでしょ」
「うーん、まぁね」
曖昧な返事で濁してはみたが、真奈美の気遣いは正直有難かった。
映画館の固いシートは座り心地が良くなかったし、目も疲れている。
モール内の人混みにも少々うんざりしていて、どこかで一服でもしないと気が落ち着かない。
ヒロはちょっと神経質だからねぇ、と真奈美にもよく呆れられるし自覚も充分にある。
仕事の時も休み時間が始まると同時に喫煙所に直行する。
口に含んだ煙を、疲れやイライラ共々吐き出せば、気分がすっきりしてくるんだよ。
僕にとって煙草は三度の食事よりも重要、なくてはならない必需品。
禁煙なんて絶対考えられない。
健康がまったく気にならないと言えば嘘になるけど、心の健康を保つのだって大事だろう??
「天気も良いし、お散歩代わりにもなるね。じゃあ、外出ちゃおっか」
真奈美は確かに笑って言ったんだ。
その時は、ね――
真奈美の言う通り、このショッピングモールに隣接する森林公園を迂回し東へ3分程直進で進むと大通りに架かる橋があって、川周辺が繁華街になっている。
外資系の某コーヒーショップや地元で有名なチェーン店カフェもあったし、個人経営の喫茶店も何件かあった筈。
ところが、川沿いの繁華街のカフェを探すこと約一時間、歩いても歩いても尚、喫煙できる店はことごとく席が空いていなかった。
真奈美の笑顔が少しずつ消えていくのが気になり、「別に全席禁煙の店でもいいよ」と言ってみたが、彼女は頑なに聞き入れようとしない。
半ば意地になる真奈美に困惑しつつ川の両岸共に見て回った後、もう一度対岸に戻るために橋を渡る。
カツカツと尖ったパンプスの靴音の大きさ、春色のトレンチコートの裾を蹴るようにして歩く後ろ姿。
肩から背中にかかる長い髪の揺れ方も大きく、歩調も普段より速い。
燦々と降り注ぐ陽射しは穏やかなのに、川を渡る風は春なのに冷たかった。
僕ですら寒いと感じるのだから、薄手のコートにスカート姿の真奈美はもっと寒そうだ。
苛立つ真奈美と遠慮がちに後ろを歩く僕を橋の歩道で擦れ違う人たちが訝しげに振り返っていく。
僕たちが醸し出す不穏な空気は車道を挟んで向かいの歩道の人々にも伝わっているみたいで、そちらからも好奇の視線が飛んでくる。
刺さる視線の痛さにもう煙草はどっちでも良く思えてきた――、否、本当はこういう時程吸いたくて堪らないのだけど。
『この際、もう煙草吸えなくてもいいから、適当に空いてる店入ろう』
内心を押し殺し、そう言おうと思ったのに。
「あのさ、まな……」
「もう、いや!疲れた!!」
俺の言葉を遮って叫ぶと、真奈美は欄干の手摺にガシッと掴まった。
川面に伸びた橋の影と欄干に寄り掛かる真奈美、立ち竦む僕の影が重なる。
「俺、もう煙草……」
「煙草、煙草って、うるさいよ!」
「だからさ、……って、、真奈美?!」
真奈美は、今までに見たことない程の機敏さで僕に詰め寄り、ジャケットを鷲掴んで胸ポケットに素早く手を突っ込んできた。
止めるどころか声も出ない程驚き、呆気に取られる僕に構わず胸ポケットから煙草を抜き取ると、あろうことか橋下の川目掛けて勢い良く投げ捨てたのだ。
赤と白の二色の小箱は頼りなさげに春風に舞い、宙を揺蕩っていたが、やがて、ぽちゃん、水面に落下していく。
ゆっくりと青緑に染まる川を流れていくのを視界の端で捉えながら、恐る恐る真奈美を見返す。
大きな目を細め、僕を冷たく一瞥する真奈美に項垂れるしかなく、怒る気力ら湧いてこない。
僕の『相棒』に対する、彼女の偽らざる本心を見せつけられた気が、した。