誰が為に君は鳴る (橙山ロボ富 作)
ジャカジャカ、ジャン。と最後の一音をかき鳴らす。
これにて、おしまい。
僕はピックを机の上に置いて、ふぅっと息を吐く。
僕と相棒の最後の一曲は、妻との思い出が詰まったこの曲だと決めていた。
そういう意味では予定通りで、まさか本当にこんな日が来るなんて、という意味では予想外でもある。
僕の相棒。
高校入学のお祝いに買ってもらったアコースティックギター。
相棒を手放す日が来るなんて、本当に、驚きだ。
ミュージシャンの真似事をしていた極貧生活の大学生時代、その日の食事にも事欠く有り様だった時だって、コイツだけは売らなかったのに。
相棒。そう、まさしく相棒だ。
僕の青春を美しく彩ってくれて、僕の人生をいつもすぐそばで見守ってくれた存在。
思えば、人生の節目はいつも相棒が一緒だった。
大学の受験勉強で徹夜したとき。
寝ている両親に怒られないように、ポロンポロンと爪弾いていた。
合格発表を見たあとに、喜びのあまり帰ってジャカジャカ鳴らしてたら、結局父親に怒られたっけ。
就職活動がうまくいかずに苦しんだとき。
リクルートスーツも脱がずに好きな曲を弾いて、くじけそうな自分を奮い立たせた。
最終的に今の会社に入社して、今では係長というポストまで来ている訳だから、たぶんここが一番僕に合っていたのだろう。諦めずにいて良かったと思う。
妻との初めてのデートの時も、自室に招いた彼女の前で僕は一曲弾いてみせた。
その後に妻からリクエストされた曲を僕は知らなくて、「次会ったときには弾いてみせる」と約束をしたんだった。
それから妻とのデートの締めは、前回のデートでリクエストされた曲を弾いてみせるというのが恒例の流れになり。
妻にプロポーズした時は、その時に一番流行っていた恋愛ソングを全力で弾ききってみせた。
結婚式では、さすがに弾けなかったけど。
新郎控え室には持ち込んで、式の直前まで緊張をまぎらわせていた。
ほかにも、たくさん。
今ぐらいの冬の寒い日に、息子が産まれた時も。
暑い暑い夏の日に娘が産まれた時も。
友人たちの結婚式の余興のたびに。
息子と娘が大きくなるたびに。
妻との結婚記念日のたびに。
父が倒れ、旅立った日も。
僕の人生の思い出と呼べるものには、いつも相棒がいた。
親兄弟や友人知人、妻や息子ともまた違う、相棒としか言いようのないモノ。
何度かエレキに買い替えようかとも思いながら、結局この歳までずっと使ってきた相棒。
何度も弦を張り替えて、いつもきれいに磨いてきた大切なギター。
今だってそうさ。昨日、新しい弦に張り替えて、さっきまで丁寧に丁寧に磨いていた。
出来映えを確かめるために最後に弾いた一曲が、妻へのプロポーズの時に弾いた曲なんだ。
いちばん、いちばん練習した曲だから、今でもちゃんと暗譜で弾ける。
流行っていただけで、そこまで好きな曲じゃなかったんだけど。妻がとても喜んでくれたから、今では一番好きな曲だ。
ああ、それにしても。
本当にこれでお別れか。
今日、相棒とサヨナラをする。
寂しさはある。惜しくもある。
けど、悲しくはない。つらくはない。
離別を惜しんでも、ひき止めることはしない。
手に入れたモノは、いずれ離れていくものだから。
きちんと送り出してやらなくては、と思う。
相棒には、これからもっと大切な役目があるのだから。
「……アナタ、そろそろ準備できたわよ?」
「うん、分かった。行くよ」
妻が呼びに来てくれた。
名残惜しいけど、いよいよお別れだ。
僕は相棒を抱えて部屋を出る。
新しく買っておいたピックと一緒に。
「しかし、早いものだね」
息子の待つリビングに向かいながら、僕はそう呟いた。
今日は息子の誕生日。今からするのはお誕生日会だ。
しかも息子は、次の春から高校生になる。そのお祝いも兼ねているのだ。
そんな息子に、僕から渡せるモノなんてこれしかないと思えたから。
「お誕生日おめでとう。そしてこれは、お前へのプレゼントだ」
相棒を手渡された息子の目が、驚きと喜びに輝いた。
本当に良いのか、と弾んだ目で問いかけてくる。
良いとも。良いんだとも。
お前なら、お前になら託せる。
喜び跳ねる息子。まるで相棒を買ってもらった時の僕のようだ。
それじゃあ相棒、僕とはこれでサヨナラだ。
次は息子の人生を彩り、見守り、助けてやってくれ。
いつか、息子の相棒となった君の音を、聴かせてくれたら嬉しいな。