弓沢線
ひゅうひゅうと風鳴りのする登山道の傍らの、居酒屋の幟が一つ、竿から外れて舞い上がり、誰もいない坂道のはるか上空を浅間大社の方へ、糸の切れた凧のようにひらひらと舞っていった。散歩しているとこんな思わぬ光景に出合うことがある。強い北風は道沿いの警察署の辺りにも吹いていたが、あまりに寒い日和であることもあって、休日であるのに人通りは不気味なほどに少なかった。
散歩から戻っても、何故か私は落ち着かない気持ちであった。落ち着かないというより妙な胸騒ぎを感じ、居てもたってもいられないような気がした。ふらっと車でどこかへ出かけたくなり、おもての駐車場へ出て愛車に乗った。登山道を下ってから右折して弓沢線を道なりに走っていると、歩道の人々がどういうわけか判らないが、みな駈け足で大月線(旧国道)の方へ向かって走っている。ふと思ったのは今日が駅伝大会の当日であることで、そのため選手の応援にみな走っているのだろう。今年の駅伝のコースはどこか判らないが、例年は市役所を出発点に途中から大月線を通ることが決まっていたし、例年通りなら弓沢線を通るのではないことはわかっていた。とにかくここが通行止めになっていないということは、今年もコースではないのだろう。私は走っている通行人の姿を見ていた。もうお昼近かったし、弓沢線は大月線に直接つながっているので、おそらく今ごろは競技が始まっていることだろうと察せられたから、歩道をどんな人が走っていようと、特に不思議には思われなかった。
にわかな空腹を感じたので、腹ごしらえしようと沿線の中華料理店に這入ったが、時間的に早かったせいかやや広めの店内には客がまだ誰もいなかった。
西窓に沿ったテーブルに南側を向く形で席についたが、給仕の男性がおしぼりと水の入ったコップを持ってきたので注文しようと、卓上のメニューを開いてみてチャーシュー麺を頼んだけれど、男性はおしぼりとコップを置くなり返事もせず、こっちが頼むのを聞くか聞かないうちに踵を返して向こうへ行ってしまったから、注文を聞いて行ったのかどうかが曖昧で判らなかったが、この近距離で聞いていないということはあり得ないと思ったので、注文をし直すために、もう一度呼ぶこともないだろうとそのままにしておいた。
この料理店の南側には大きな素通しの硝子窓があって、表通りである弓沢線がよく見えるから、見るともなく外の様子を窺っていたけれど、散歩の時ともさして変わらず例によって人通りも疎らなようであったが、ここらは特に人で込み合う地域ではないので、いつもの日曜と何ら変わりないと言ってよかった。
しばらくすると、私の思惑通り、給仕がチャーシュー麺を持ってきたから早速食べはじめたけれど、これが実にうまいので、夢中になって麺を啜り込んでいると、程なくしておもてに面した硝子窓ががたがたと揺れはじめた。
これは地震だ、と思ったから食べるのを中断して、じっと身構えていたが、給仕は動揺することもなく忙しそうに歩きまわっていて、揺れそのものも身体をよろめかせるほどではなかったので、地震ではないのかと思い直しもしたのだけれど、それにしては大型の重機がおもてを過ぎっている様子もなかったし、テーブルのかたかた言う音も、窓の音も、やはり錯覚ではなく地震が続いていることを示しているのか、鳴り止もうとしなかった。
一分以上そんな揺れが続いたであろうか。しばらくして揺れそのものの性質が変わってきたような気がしはじめたので気をつけて見聞きしていたが、そう言えば表通りの車の往き来はこの揺れが始まってからぱったり途絶え、店の床までがどどどどどどどど、という縦揺れのような振動を伴って揺れ出しただけでなく、店の窓という窓が大きくがたがたと言いだした。
ところが給仕の男性は依然として気に留めた様子もなく、テーブルを拭き、醤油や酢、つまようじや箸の補充をやっていた。私にはその普段通りと思われる行動があまりにも妙と言うか、不審に思えたので近くに来た時に訊いてみた。
「地震じゃないですか」
「そうですか?」
「じゃあ、何の騒ぎでしょう」
「そりゃあねえ、へへへ」
「何ですか」
「見れば判るでしょう」
そう言われて外を見たが、人の行き来も車の行き来もまったくない。
あまりに辺りの揺れが止まないから、せっかくのうまいラーメンの味もよく判らなくなってきてしまったが、とにかく食べ終えたので、勘定をして、おもてへ出ると、その、どどどど、と言う音は東の方から中華料理店の前の道路の方へむかって物凄い轟音を立てて迫ってきた。何だろうと思って注視していたけれど、それは次第に明らかになった。と言うより、私の視線は交差点の角をこちらへ曲がってやって来る物音の正体に釘付けとなってしまったのである。
それは人波だった。最初は百人か二百人くらいの群に過ぎないと思われたが、角を曲がってくる後続の人波はいつまでも途切れず延々と続いた。それはどんどん数を増してゆき、津波を思わせるような夥しい人波がこの表通りを狂ったように走っていた。まるでレミングの大移動のようであった。彼らは弓沢線を東から西へ向かって走っていたが、それは規律正しい行進などというものではなかった。だが逆行する者はいなかったし、ある一定の秩序の下に走っているらしかった。
今日が駅伝の当日であったことで、それと関係のある出来事のように私も無理に考えようとしてはみたけれど、彼らはどう見ても選手ではないらしく、ランニングのユニフォームも着ておらず、着の身着のままであって、ただ一様に前方だけを見て無我夢中の面持ちで走っているのであった。私は思い切ってその中の一人に声をかけてみようと思い、走り寄ったが、後続の人波に危うく撥ね飛ばされそうになっただけでなく、「あの、何の騒ぎですか」と声をかけたのに、誰ひとりとしてこちらを見ることもないまま、一様に必死の形相でわき目もふらず夢中になって駈けぬけて行ったのである。
私は車に乗り込むと、弓沢線を諦め裏道を走らせて自宅へ戻ったが、変に思ったのは私の住んでいる辺りは人口密度も高く密集した住宅地であるのに、アパートのおもて道を歩いていても人っ子一人見当たらず、アパートも、ほかのどの家も人のいる気配がまったくなかった。やがて夕方になり暗くなってきたが、どこの家々もしんとして灯一つ点ることもなかったのである。
登山道から弓沢線、そして大月線へかけての怒濤の大移動はそのまま暮れ方になっても止む気配がなかった。宵になっても真夜中になっても狂ったように走る人影は尽きず、どれだけの人の大群が走っているのか数の把握は出来ないが、この正気の沙汰とも思われない騒ぎは、今日の駅伝とは何の関係もないようであった。仮に駅伝に関連したことだとしても、暮れ方になり、とうに競技が終わっている時刻になっても、この大移動が終わらないことの意味を駅伝の競技と関連付けることはできなかったし、走っている人々が何を目的にしているのか、何処へ行こうとしているのか、いったいこれは何のための大移動なのかいくら考えても私には判らなかった。




