表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

5話 レベル1へ到達せし者

 正直もう、限界だった。

 いつかスライムを倒せることを信じて、今日までやって来た。

 でも、まるで駄目だった。

「はぁ……はぁ……」

 異世界に来て一年経過したというのに、変わり映えせず、レベルゼロのままスライムと向き合っている。

 重い聖剣を両手で構えて、汗水垂らしながら、手も足も出ないまま時間だけを浪費している。

 そんな事実に堪えられない。

 スライムが高速で跳ね回り、襲って来る。

「こんのぉぉぉ!」

 俺はあらん限りの力で剣を振るった。が、力み過ぎて空振って、その勢いですっ転ぶ。

 見物していた子供五人組――ミーナやフット達、それから大人達が笑った。

「あははは! 兄ちゃん転んだー!」

「お兄ちゃん頑張ってー!」

「今日はまた一段と派手に転んだな!」

「勇者様、早く立たないと次が来るわよ!」

 一体、俺は何をしているんだろう。なんで俺がスライムと戦わなきゃならない。なんで俺が勇者なんだ。

 俺はただ、自分の好きな本を静かに読めていればそれで良かったのに。

 何を間違って、俺はここに居るんだろう。

「はぁ……っ……!」

 立ち上がる。剣を構える。重くて面倒臭い。

 スライムを目で追うのがダルい。周りの声がうるさい。

 何もかも煩わしい。全部、全部全部!

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――ッ!」

 そんな全部から逃げ出したくて、俺は咆哮した。物心ついてからこんな叫び声を上げたことは無いだろう。

 腹の底から声を出した。村人の声が消える。子供達は耳を塞いで、目を丸くしていた。

 俺は馬鹿みたいに、力任せに剣を振るった。剣術など知ったことか!

 もうスライムに剣が当たろうが当たるまいが、どうでも良かった。

 俺はただ感情のままに剣を振るった。疲れ果てて倒れるまで、がむしゃらにぶん回して、それで――

 バランスを崩して、仰向けに倒れた。スライムは俺の異変を感じてか、近くの民家の屋根に退避して、じっとしていた。

 聖剣が甲高い音を立てて、近くに転がった。

「勇者様、どうなされました!?」

 ジージが駆け寄って来る。

「もう疲れた……」

「え?」

「ウンザリだもう。俺にはスライムを倒せない。俺は元の世界に戻れない」

 前に進むことは出来ない。

「何を言っているのです、勇者様!」

「勇者様勇者様ってジージは言うけど、本当は情けないただのガキだって思ってるだろ……! 一年間やって結局このザマだ! スライムの餌以外、何の役にも立ちやしない!」

 右手の拳を振り上げて、力一杯地面に振り下ろして叩く。

「何が勇者だ! 本当は皆、馬鹿にしてんだろ! 面白かったか!? ただのガキが一年、無意味に鍛えて負け続けた様は! ふざけんなッ! 俺は好きで勇者になったわけじゃないッ!」

 叫んで、目頭が熱くなった。

「ちくしょう! どうして……!」

 どうして俺はこんなにも上手く行かなくなってしまったのだろう。

 抜け出したいと思っているのに。変わりたいと思っているのに。

 子供達や村人達は何も言わなかった。

 口を開いたのは、ジージだった。

「……私は、確かに最初、どうしてこの方が勇者に選ばれたのかと思っておりました」

 やっぱり、そうだ。

「けれど、室崎風太様。今はそんなこと思っておりません。あなたは間違いなく勇者様ですよ」

「嘘を言うな! ジージは俺を、スライムと戦わせ続けたいだけだろ! 村を守る為に!」

「私はこれまで、あなたより幼い子供達に幾度となく剣を教えて参りました。リスタートに来る前は、各地の都で騎士達にも手解きをしておりました」

「だから何だって言うんだ」

「剣の道は通常、一年やそこらの修行でどうにかなるものではありません。もっと根本的な、身体を鍛えることにしてもそうです。何年も修行して、それでようやく才能に恵まれた者がレベルゼロの壁を越えられる」

「レベルゼロの壁……?」

「あなた様の世界ではレベルの概念が無いようですから、分からないでしょう。レベル1に到達出来る者は、この世界において限られた者だけなのです。そしてあなたは――」

 ジージは言った。

「わずか一年の修行でそこに到達しようとしている」

「俺……が……?」

 ジージは頷く。

 と、その時だった。

「お、おれは兄ちゃんをからかってたけど、バカにしてたわけじゃない……!」

 フットがズボンをギュッと握り締めて、泣きそうな顔で続ける。

「たしかに村に来たばかりのころはバカにしてた! なさけないやつだなって思ってた! でも兄ちゃん、なんどスライムに負けてもたたかってただろ!? あきらめなかっただろ!? おれ、それはすごいかっこいいって思ってて、だから……!」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、

「ほんとうに兄ちゃんのこと、勇者だって思ってるんだ……!」

「フット……」

 他の子達も言う。

「おれもバカになんかしてない!」

「兄ちゃん、あきらめないでよ!」

「立ってよ、兄ちゃん……!」

 村の大人達も言ってくれる。

「勇者様がスライムと身体張って戦ってくれてる。感謝こそすれ、それを馬鹿にしたりなんかするもんか!」

「勇者様のおかげで、子供達やアタシ達が安心して過ごせてる。皆、そのことを知ってるよ!」

 そして、ミーナが叫ぶ。

「勇者とかかんけいないもん! お兄ちゃんは、私の大好きなやさしいお兄ちゃんだから!」

「ミーナ……!」

 気付けば俺は、拳を強く握り締め、上半身を起こしていた。

 疲れ果てた身体に力が戻って来ていた。

 ふと、ジージが片膝を着いて、小声で言う

「……実は、勇者様にずっと伏せていたことがあります」

「ジージ?」

「勇者様が今日まで戦って来たあのスライムは、ただのスライムではありません」

「え?」

「勇者様に変な重圧を与えてはと思い、今日まで言わずにおりましたが……あのスライムは『魔王候補体』と呼ばれる存在なのです」

 曰く、魔王候補体はスライムの体内に見えているような黒い核を持つのだという。

 黒い核は膨大な魔力を放ち、魔物の力を飛躍的に高める。

 あのスライムの尋常じゃない動きはそれ故だったのだ。

「あの核こそがやがて魔王に成長するという証。放っておけば、遠くない先、世界に害を為す存在となるでしょう」

「遠くない先って……じ、じゃあ、ちなみにあいつは今、どのくらい成長してるんだ?」

 ジージは俺に剣を教えている時よりもずっと真剣な顔立ちで告げた。

「溢れ出る魔力の波動がかなり強くなっています。このままだと、あと数日、下手すれば今にも魔王へと覚醒を果たすでしょう」

「なっ……!」

 背筋が一気に冷却されて行く。

 異世界に来てから一年、害獣駆除のような感覚でスライムと戦って来た俺にとって、その話こそまるでファンタジーのように思えて、

「じ、冗談とかでは無くて……?」

「事実です」

 ジージの言葉が重く圧し掛かった。

「このこと、村の人達は……?」

「大人は皆、知っていました。子供達は知りません」

「か、仮にあいつが村の中で魔王に変化したら、村はどうなる……?」

「そうなった時は、私の転移魔法で村人全員を避難させる手筈になっています。しかし、村はおそらく……跡形も無く消し飛ばされるでしょう」

 俺は屋根の上で未だじっと待機しているスライムを見やった。

 直径三十センチ程しかない不定形な物体。それが急に怖い物に感じられて、身体がガクガクと震え出す。

 心臓も大きな鼓動を繰り返す。村の人達の言葉を聞いて、身体に力が戻って来たというのに。これでは立つこともままならない。

 ジージもスライムに視線をやりながら、

「加えて、一度魔王に覚醒してしまうと、触媒にされた魔物も救えません」

「……ん?」

「ですから、勇者様には何としても覚醒前にあのスライムを――」

「待て、ジージ。魔物を救うってどういうことだ」

 俺が言葉を遮ると、ジージは考えるように少し間を置いて、

「そういえば、大事なことを言い忘れてましたな。この世界における魔物というのは、我々と同じ知的な存在なのです」

「知的な存在って、言葉が通じるってことか!?」

「はい。人間と交流も持っておりまして、昔は戦争したりもしましたが、今は友好的な関係を――」

「待て待て! じゃあ、あのスライムは一体何なんだ!? 言葉が通じたことなんて今日まで一度も無いぞ!」

「魔王候補体というのは、魔物の女性――魔女の中でも極めて強大な魔力を持つ者が、世界の負の感情を集めてしまい、体内で核として結晶化させてしまうことから誕生します。あのスライムは――」

 ジージは言った。

「稀代の魔力を持つと言われ、絶世の美少女と謳われたスライム族の魔女――ライム・エンドフィールドの成れの果てなのです」

「ジージ……」

 身体の震えがぴたりと止まった。全身に力が漲って来るようで、俺は聖剣を手に取り、難なく立ち上がることが出来た。

「勇者様?」

 俺は驚いた様子でこちらを見るジージに向かって叫んだ。

「何故それをもっと早く言わないんだぁぁぁ――ッ!」

「ええっ!?」

 俺は屋根の上のスライムに視線と、聖剣の切っ先を向ける。

「おい、スライム! 降りて来い! 俺と勝負しろ!」

 ビクッとスライムが反応する。それからピョンと跳ねて、俺から少し離れた場所に着地する。

 俺は大きく深呼吸をしてから、両腕でしっかり聖剣を持って構えた。

 ジージや村の人達が何かを言っている。ただ俺はそれらをシャットアウトして、全ての感覚を目の前のスライムに傾ける。

 どれだけの時間が経っただろうか。限りなく長いと感じられた時間の中で、スライムが動き出す。

 高速で跳ねて、まずは民家の壁へと向かう。壁を蹴って更に加速、それを繰り返してどんどん速度を上げて行く。

 それが何十と続いた後で、スライムが進行方向をこちらに向けた。

 俺の背後――七時の方向。視覚、聴覚、それから何かを肌にビリビリと感じて、振り向き剣を構える。

 自分の全てを一つのことに集中させたからだろうか。

 俺の目は確かにスライムの姿を捉えていた。

 未だかつてない感覚は、それだけでは無い。一度だって軽いと感じたことは無かった聖剣『エターナルエイト』が、まるで両腕の延長のように思えた。

 自由に、羽のごとく軽く。

 飛んで来るスライムの中にある黒い核向けて、

「スライム美少女ぉぉぉ――ッ!」

 願望を乗せた剣を思いっきり振り抜いた。




 確かな手応えがあって、パキッと黒い核が割れるのを、俺は確かに見た。

 真っ二つになったスライムがべチャッと地面に落ちて、動かなくなる。

 半球になった黒い核が白い光の粒子を放ち、空気に溶けて、消えて行く。

「倒した……」

 俺がふっと息を吐くのと同時に、わっと周囲から大きな歓声が上がった。

「やったぁぁぁ――ッ!」

「勇者様がスライムを倒したぞぉぉぉ――ッ!」

「兄ちゃん、すげぇぇぇ――ッ!」

「こりゃあ、皆に早く報告しねえと!」

 その時である。


『テッテレテッテッテー♪ 室崎風太のレベルが1に上がった!』


 安っぽいSEと、棒読みのナレーションみたいのが脳内に流れたのは。

「しょぼい!」

 ジージが近くへ駆け寄って来て、

「おめでとうございます勇者様。まさか本当に、一から鍛えて、たった一年でレベルゼロの壁を越えるとは……!」

「って、ジージにも聞こえてたのか、今の!?」

「はい。周囲の人間には伝わるようになっています」

 ジージは顔を皺くちゃにして「ほっほ」と笑う。心の底から喜んでくれているようだった。

 ふと、今度はスライムの方に異変があった。真っ二つになったクリアブルーのゼリー体が動いて、くっ付き、大きくなり始めたではないか。

 俺はジージの背後に隠れて、

「じ、ジージ! スライム大きくなって行くんだけど、俺ちゃんと倒したよね!? 核斬ったよね!?」

「ほっほ、大丈夫です。勇者様」

 直径一メートル以上はあろうかという球体となったスライムが、今度は変形を始めて、細かい造形を為して行く。

 やがて数分程して、そこに現れたのは――

「スライムの……女の子……!」

 クリアブルーの肌をした、静峰さんやマーナさんにも劣らぬ絶世の美少女だった。

 胸はとても大きく、腰は括れて、お尻から足に掛けて性的なラインを描いている。

 細い睫毛がゆっくりと動いて、瞼が開き、宝石のような瞳が俺に向けられる。

 神秘的なまでの美しさに、種族の壁を超越してドキッとさせられてしまう。

 スライム少女は胸の前で両手を祈るように重ね合わせて、

「初めまして、勇者様」

 元が不定形のスライムとは思えない程、繊細で可愛らしい微笑みを浮かべて言う。

「は、初めまして」

「スライム族の長であるマリガン・エンドフィールドの娘、ライムと申します。この度は命を救って頂き、本当にありがとうございました」

「い、いえ、それは結果的にと言うか……俺は今日まであなたを救おうだなんて、これっぽっちも思って無くて……」

「けれど、私は……身体の自由が利かなくても、今日まであなた様をずっと見て参りました」

 ゆっくりとこちらに歩み寄って来るライムさん。

「あなた様は、どれだけ暴走した私に生命力を吸われても、屈せず私と戦って、村の人達を襲わぬようにして下さいました。私は勇者様の強さと優しさをよく存じております。そして――」

 ライムさんが俺の手を取った。

 クリアブルーの手は柔らかく、思っていたのとは違い、とても温かくて心地が良い。

「私はそんなあなた様を強くお慕い申し上げております」

「え」

 どういう仕組みなのか、ライムさんは恥ずかしそうに、ぽっと顔を赤く染めて、上目遣いで、

「ゆ、勇者様はスライムの娘はお嫌いでしょうか……?」

「えぇぇぇ――ッ!?」

 俺は叫ばずには居られなかった。

 なにせ生まれて初めて告白されたのだ。

「ダメぇぇぇ――ッ!」

 俺が叫ぶと同時に、大声を上げた少女が居た。ミーナだ。

 彼女は走って来ると、ライムさんの手を俺から振り解いて、間に割って入る。

「スライムとケッコンなんか私がゆるしません! だって……お兄ちゃんは私とケッコンするんだからぁ――ッ!」

「ミーナ!? 突然何を言い出すの!?」

「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんだから! ほかの女の人になんかわたさないもん!」

「いや、ミーナはまだ十歳でしょ! ラリーさんが聞いたら何て言うか」

「許す!」

「へ?」

 声がした方を振り向くと、そこにはいつの間にかラリーさんが来ていて、グッと親指を立てる。

「勇者様……いや、フータ! お前のような男なら、娘をくれてやることもやぶさかじゃないぜ!」

「まあ、アナタったら」その横でマーナさんが、にこにこと微笑んでいる。

「何言ってんですかラリーさん!? ミーナまだ十歳ですよ!? 俺は十七歳で……!」

「よく聞けフータ。俺とマーナは七歳差だ」

「嘘ぉ!?」

「ちなみにマーナの方が年上だ」

「マーナさん何歳!?」

 そんなやり取りをしていると、腕を強く引っ張られる。

 ライムさんが瞳を潤ませながら、俺の腕を抱くようにしていた。

 豊かな胸の膨らみが腕に押し付けられて、心臓がドキドキと高鳴る。

「勇者様、私は心の底から勇者様をお慕いしております。ですから、どうか……!」

 恥ずかしそうに目を閉じながら、クリアブルーの透き通った綺麗な唇がそっと近付けられる。それが意味するところは――いや、しかし。

「あっ、スライムのお姉ちゃんずるい! わ、私だって……!」

 ミーナが強く俺の腕を下に引っ張って、頭を下げさせる。緊張しているのか震えながら目を閉じ、唇を寄せて来た。

 ミーナはまだ幼いが、マーナさんの血を引いていて十分過ぎる程の美少女だ。そんな彼女に好意を寄せられて嬉しくないわけが無い。正直ドキドキしている。

 二人の唇が近付く。その唇に触れていいものなのかどうか、触れるにしてもどちらを選べばいいのか、それとも両方選んでいいものなのか。

 しかし、果たして俺はいずれの唇にも触れることは叶わなかった。

 腕を包んでいたライムさんの柔らかな胸の感触も、ミーナに強く引っ張られていた力も、急に感じなくなったからだ。

 見れば、俺の全身が半透明に透けて、白い光を帯び始めていた。

「ちょっ……俺の身体消え始めてるんですけど!?」

 ジージが言う。

「どうやら、勇者様が元の世界に戻る時が来たようですな」

「えぇ――ッ!?」

 まさかのこのタイミングで!?

 しかも結構消えるの早い! 俺の身体、どんどん透明になって行く!

「勇者様!」

「お兄ちゃん!」

 ライムさんとミーナが俺に触ろうとするが、すり抜けてしまってどうにもならない。

 俺は皆と別れる前に、お礼の一つでも言いたかったが、口が透けてしまってそれも出来ない。

(ああもう、何だったんだ俺のこの一年はぁぁぁ――ッ!)

 最後くらい綺麗に終わりたかったのに!

 音が遠ざかって、視界も遠ざかって行く。

 最後に俺が見たのは、ジージが手を振る姿で。

 魔法でも使ったのだろうか。

「どうかお元気で。勇者様」

 それだけはしっかりと聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ