4話 それから……
「ファッ!?」
俺が目覚めると、そこはまたジージの家だった。異世界転移した目覚めた場所と同じ部屋で、ベッドに寝かされていた。
「気が付かれましたか勇者様」
横にはジージが居た。椅子に座り本を読みながら、俺が起きるのを待っていたらしい。本をパタンと閉じる。
「俺、気を失ってたのか……!」
「スライムに生命力を吸われ過ぎたのでしょう」
そう言われて、スライムと戦った時のことが蘇って来る。
恐怖が背筋を這い上がって来て、身体がぶるるっと震えた。生命力を吸われて分かったが、あんな見た目をしていても、中身は正真正銘のモンスターだった。ジージが助けてくれ無かったら、俺は死んでいただろう。
「じ、ジージ!」俺は思わず縋り付いて、「無理だ俺には! 元の世界に戻してくれ! 俺にあのスライムは倒せない!」
しかし、ジージは首を横に振った。
「申し訳ございません。勇者を召喚することは出来ても、その逆は簡単には行かないのです。
勇者様が元の世界に戻るには、条件を満たさなければならなりません。それがこの世界の理でして」
「条件って!?」
「クエストを成功させることです」
「クエスト!?」
「クエストとはすなわち、私が勇者様に依頼したこと。今回の場合は、あのスライムを倒して頂くことです。それを成功させない限り……勇者様は元の世界に戻ることは出来ません。まことに申し訳ございませんが」
「う……嘘だろ……?」
「本当のことなのです」
ジージは申し訳無さそうな表情を浮かべていた。
全身から力が抜けて行くのを感じる。それでも何か言わずには居られなくて、
「そ、そもそも何で俺じゃ無ければ駄目なんだ!? ジージ、魔法で炎を出してたじゃないか! あれを上手く使えば、スライムだって!」
ジージは首を横に振りながら、
「足止めくらいは出来るでしょう。ですが、核を破壊出来るのは聖剣だけです。そして、聖剣の力を扱えるのは勇者様だけ。ですから、勇者様をお呼びする必要があったのです」
「じ、じゃあ、俺が倒すしか無いのか? あのスライムを……?」
「はい。しかし、正直に申しまして、今の勇者様の実力では万に一つも勝機はありません。ですから――」
ジージは眼鏡を光らせながら言った。
「修行しましょう」
「へ?」
「一から戦い方を覚えるのです」
「しゅ……修行ぉぉぉ――ッ!?」
たとえ勇者になっても、世の中そんなに甘くないと思い知った瞬間だった。
それからジージに戦い方を教わる日々が始まった。
修行して、村にあのスライムが現れる度、俺はジージと一緒に駆けつけて戦った。
「はぁ……はぁ……」
重い剣を振り回し続けて、息は切れ、両腕は痙攣し、いつものように全身汗びっしょりになる。
スライムにはすっかり敵として認識されてしまい、対峙するとすぐにピンボールのように周囲を跳ね回って襲って来る。速度は野球の剛速球のようであり、スライムの大きさは凡そバスケットボールくらい。
仮に聖剣がクリアブルーの軟体を捉えたとしても、ピンポン玉くらいの大きさをした核は、実は身体の中で縦横無尽に動き回るということが発覚した。
分かりやすく言うと、高速で跳ね回るバスケットボールの中にある、縦横無尽に動き回るピンポン玉を斬らなければならないという状況だった。
小学校や中学校の頃、外でサッカーをやったりするよりも図書室や教室で本を読んでいる方が好きだった典型的インドアタイプの俺にとっては、至難の業以外の何物でも無い。
疲れて足が動かなくなれば、即スライムに貼り付かれて、
「あばばばばばば!」
生命力を搾取されるというオチが待っている。
「ファッ!?」
目覚めると、リスタートの綺麗なオレンジ色をした夕空が広がっていて、ジージがいつものように側に立ってこちらを見下ろしていた。
「目覚めましたか、勇者様。スライムのエナジードレインにも大分慣れたようで」
「……どのくらい気絶してた?」
「もう十分も掛かっておりませんよ。いやはや、体力の成長が著しいですな」
「いや、別に体力を付けたいわけじゃないんだけどね……」
地面から上半身を起こして、溜め息を吐く。今日も駄目だった。
「おーい、ジージさん、勇者様」
声を掛けられて見やると、村に最初へ来た時に会った漁師――ラリーさんが手を振って、こちらにやって来る。
ラリーさんは座り込んでいる俺を見て、
「今日もお疲れさん」
「すみません。今日も駄目でした……」
「なーに、ちゃんと撃退してるんだから上々よ。それはそうと、今日この後時間空いてるかい?」
「えっと……はい。基本、いつも修行してるか、スライムと戦ってるかなので」
「だったら、家に寄ってかねぇか? 良い魚が獲れたんだ今日は! ミーナの奴も連れて連れて来いってうるさいしよ! ご馳走するぜ! ジージさんも一緒にどうだい?」
ジージに目配せすると、「ほっほ、お言葉に甘えさせて頂きましょうか」と笑みが返って来る。
俺はラリーさんに視線を戻して、頷いた。
「ご馳走になっても良いですか」
「決まりだな!」
そうして俺とジージはラリーさんの家へと向かうことになった。
途中、夕日が落ちる頃なので、家へ帰る最中だったのだろう。
村の子供達五人組の声が背後から聞こえて来る。
「あっ、勇者の兄ちゃんだ!」
「くらいやがれー!」
振り返った刹那、人一倍悪戯好きな男子のフットに思いっきり脛を蹴られる。
「あ痛っ! この、フット! やりやがったな!」
「あはは! 兄ちゃんスキありすぎー!」
「俺だから許されてるだけで、別の奴が勇者だったら拳骨喰らってるところだぞお前!」
とフットに気を取られていたら、
「スキあり!」「パンチ!」「どーん!」
続けてカンチョウ、脇腹パンチ、足カックンの三連撃を喰らう。
「お前らぁぁぁ――ッ!」
「ギャー! 勇者の兄ちゃんがキレたー!」
「家ににげろー!」
「あははは! 兄ちゃんまたねー!」
笑いながらフット達は走り去って行ってしまう。一人を除いて。
「お・に・い・ちゃん!」
「ぐえっ!」
「んふふー、背中ががらあきー!」
後ろから勢い良く抱き付かれて、頭をぐりぐりと押し付けて来る少女が一人。
「ミーナ、いつの間に……!」
ラリーさんの一人娘で、現在十歳。茶色い髪でツインテールの元気っ娘、ミーナだ。
「がははは! 勇者様は相変わらず、子供に大人気だな!」ラリーさんが笑う。
「そうですか? 良いオモチャにされてるだけの気が……」
「えー、私は勇者のお兄ちゃん、大好きだよー?」
ミーナは、にへっと無邪気な笑顔を浮かべた。
ラリーさんが釣って来た異世界の魚(名前をエレバスというらしい)を塩焼きにして、醤油(異世界ではミングレという名称で呼んでいる)に付けて食べると滅茶苦茶美味しかった。
「勇者様、こちらも食べて下さいね」
「ど、どうも」
ラリーさんの超絶美女な奥さん――マーナさんがイカ(異世界ではヌーヤという)の唐揚げを持って来て、食卓に置いてくれたので熱々なうちにいただくことにする。これも涙が出るくらい美味しい。
そんな超絶美女の娘に生まれた美少女であるミーナが、俺の膝の上に座った状態で言う。
「お兄ちゃん! 私にもちょーだいっ!」
「いや、自分で取れるだろ」
「あーん」
そう言って雛鳥のように小っちゃな口を開けて、こちらに向ける仕草がどうにも愛らしく、ついつい従ってしまう。
「ほれ、あーん」
「んー、おいしー!」
「というか、そろそろ膝の上から降りてくれない? 足痺れて来たんだけど」
「ダメです、これもスライムをたおすためのしゅぎょうなのです」
そう言って退いてくれない。
マーナさんが美しい顔に申し訳無さそうな表情を浮かべて、
「申し訳ございません、勇者様。ミーナったら、勇者様のことになると、全然言うこと聞かなくて」
「い、いえ、大丈夫ですよ。これくらい全然平気ですから!」
美女に対して顔がニヤけてしまうのは男の性なのだろうか。そう言えば、元居た世界で静峰さんを前にした時も同じだったな、などと思っていると、
「痛たたたっ! ミーナ、なんで足抓るの!?」
視線を下にやると、ミーナが何やらジト目でこちらを見て、頬を膨らませていた。
「ふんだ」
ぷいっと視線を逸らして、目の前の食事をぱくぱく食べ始める。
「ちょっ、それ俺の分!」
「そんなの知らないもん」
ジージと共に酒を煽っていたラリーさんが、がははは! と笑う。
「勇者様もすっかり村に馴染んだよなー! いっそのこと、このまま村に住んじまうのはどうだい?」
「いや、それはちょっと……」
「別にスライム倒せなくたって、撃退してくれるだけで勇者様には十分感謝してんだぜ? おかげでミーナ達も安全に遊べるしな!」
俺がスライムと戦うようになってから、スライムは無差別に村人を襲うのを止めて、俺だけを狙うようになったという。
ジージ曰く、別の世界から来た俺の生命力は他者と異なるもので、スライムがそれを気に入ったからではないか、とのことだった。
「私はこのまま、勇者のお兄ちゃんが私のお兄ちゃんになってくれたら嬉しいなー」ミーナが言う。
「おっ、それはいいな。俺も勇者様が息子になってくれるのはやぶさかじゃないぜ!」ラリーさんが笑う。
「まあ、アナタったら」マーナさんが微笑む。
楽しい食卓だ。心の底からそう思う。ジージは何も言わない。
俺は笑って見せる。俺は今、一体どんな笑顔を浮かべているだろう。
ラリーさんの家で日付が変わるくらいまで盛り上がった翌日。
俺はこっちの世界に来た時から世話になっている、ジージの家の部屋で目覚める。ここをずっと自分の部屋として使わせて貰っていた。
リスタートでの朝は、起きるといつも窓を開けて外の景色を眺めたくなる。
窓を開けると、海と草原の香りが混ざった風が肌を撫でる。
リスタートには驚くことに日本と同じような四季があった。夏には子供達が海で遊び、秋には村のお祭りがあり、冬には雪が降り積もったりもする。
俺は朝一番の空気を吸ってから、壁に立て掛けてある木の板に向き合う。机からナイフを取り出して、木の板に線を一本引く。俺の日課となっていた。
日本の漢字である『正』。それが今日でちょうど七十三個目を刻もうとしている。
要するに――
俺は窓の外に身を乗り出して、叫んだ。
「異世界に来て、一年経っちまったじゃねぇかぁぁぁ――ッ!」
俺こと室崎風太、異世界に来た日がちょうど誕生日だった為、本日で十七歳。
レベルは未だゼロ。