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お留守番開始

「そなたには、これからしばらく一人で留守番をしてもらわなければならなくなった」


 静かに歌っているような心地いい声で、母上が言う。

 留守番と聞いて、私の耳とふさふさのしっぽはシュンと垂れ下がった。この体は素直すぎていけない。


「実は王から呼び出しを受けてな。……人の王のことは前にも話をしたであろ? このアリドラ国を治める、人間の中で一番偉い奴じゃ」


 この国が王制らしいということは教わって知っていた。そして母上がその王様に『協力』していることも。

 精霊は基本的に自分と同じ土地に住む人間に愛着を持ち、時に助ける。

 例えば戦争が起きた時など、アリドラ国に住む精霊たちはアリドラ国の人間の味方をするのだ。よそ者──他国の人間が、どかどかと自分たちの土地に入ってくるのが嫌だから。


 もちろんすべての精霊が積極的に人間に協力するわけではない。人間の問題は人間たちで解決しろ、と一切手を貸さない者もいるらしいんだけど、その点、母上は協力的だ。


「最近、隣国ともめ事が起きているようでな。事態が一段落つくまで、わらわが側についてやる事となった。あれは人間にしてはなかなか気のいい奴じゃ。子供の頃から見ておるし、死なせるのは惜しい」


 母上は続ける。


「まだ生まれて1年しか経たぬそなたを置いていくのは辛いが、かといって一緒に王都に連れて行くのも気が進まぬ。あそこは人の欲望や野心が渦巻いておる場所じゃからの。精霊の力を自分のものにしようとする者もおる。清らかなそなたには毒じゃ」


 そんな……私全然清らかじゃないから、一緒に連れてってほしい。

 欲まみれだから、私も。

 

「ひと月ほどで戻るからの、それまでの辛抱じゃ」


 母上がさらっと言った一言に、私は自分の耳を疑った。1ヶ月も一人で留守番しなきゃいけないなんて。

 今までも母上が王様のところに出かけて行く事はあったけど、たいてい1日で帰って来ていたのに。


 きゅんきゅん鳴いて母上の足にすがる。幼児を1ヶ月も放置するなんて、育児放棄という名の虐待だー!

 母上は困ったような顔をして言う。

 

「そなたは妙に大人びたところがあると思っていたが、やはりまだ子供じゃの。だが、スノウレアの名を受け継ぐ者として、もっと強く生きなければならぬぞ。ひと月の間、この母を頼らず生活して、その臆病な性格を直すのじゃ」


 スノウレアというのは私たちの一族に代々引き継がれる名前らしく、今は母上の名前でもある。

 母上は普段は優しいけれど教育に関しては結構スパルタ思考で、私には女の子らしくお淑やかにと言うより、強く逞しく育ってほしいと思っているみたい。

「下から登ってくるのじゃ」と言われて崖の上から落とされたこともあったっけ。精霊じゃなけりゃ死んでたよ、あれ。


「では頑張るのじゃぞ、ミルフィリア。わらわの愛しい子よ」


 母上は私のふかふかの頭に口づけを落とすと、地面から母上の体を包むように巻き上がってきた小さな吹雪とともに、この場から姿を消した。

 王様がいるという城へと行ってしまったのだ。


 わーん、母上のばかやろー!

 幼児の私が1ヶ月も一人で生活するなんて無理だよー! 

 

 恨みったらしく鳴いてみるものの、しかし冷静に考えればそれほど難しい事でもなさそうだった。

 精霊の私には『お腹がへる』という感覚がなく、何も食べなくても生きていける。だから別に狩りをする必要はない。


 もう1つの問題は外敵のことだが、これもあまり心配する必要はなさそう。なぜなら私が生活する山の頂上付近には、寒すぎてほとんど動物がいないから。

 大型の肉食動物なら、たまに雪グマという冬眠しないクマに出会う事もあるけど、彼らが精霊である私や母上を襲うことは今までなかった。動物は敏感だから、私たちが彼らとは違う次元の生き物だという事を本能で感じているらしい。


 つまりこの雪山に私の敵となる動物はいないし、狩りに失敗して餓死するという心配もない。

 幼い私でも、ひと月くらいなら無事に生きられるのだ。


 なーんだ。結構余裕じゃないか。

 ほんの数ヶ月だが前世で私は一人暮らしも体験していたし、これもそれと変わらない。楽勝、楽勝。

 

 なんて調子に乗っていた私は、大学へ通うため一人暮らしを始めたその日からホームシックにかかっていたことなど、すっかり忘れていたのだ。



 ***



 真夜中にふと目を覚まして隣に母上がいないことに気づき、なんだかとても心細くなった。ねぐらにしているほら穴の中は静かで、キンと耳が痛くなる。外ではしんしんと雪が降っていた。

 もう1度眠ろうと目をつぶるが、ざわざわと気持ちが波立って眠れない。こんな山の中で独りぼっちは寂しい。


「きゅーん!」


 起き上がってほら穴の外へ出ると、空に向かって鳴き声を上げた。母上を呼ぶとき用の声で、普段の声よりさらに高い。なるべく悲痛な感じを出すのもコツである。

 普段、山の中で迷ったりした時にこの声で鳴くと、もれなく母上が回収しに来てくれるのだ。

 

「きゅーん! きゅーん!」


 しかし今はどれだけ鳴き続けても、母上は迎えに来てはくれない。

 教育の一環として崖から落とされた時でさえ、こうやって鳴けば「仕方のない子じゃ」と底から引き上げてくれたのに。


 やっぱり1ヶ月も一人は嫌だー!

 敵に襲われも餓死もしないけど、寂しくって死んでしまう。

 だけど母上は今、王都にいて、どんなに大きな声で呼んだって戻って来てはくれない。

 だったら——


 

 決めた。

 母上を追って王都へ行こう。

 もし私が自力で王様のいるお城まで行けば、母上も驚きつつ、そのタフさを褒めてくれるだろう。

 そうと決まれば、さっさとこの山を下りるのだ。


 私はしっぽを高らかに上げて、勢いだけでねぐらのほら穴を後にした。


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