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北の砦にて 新しい季節 ~転生して、もふもふ子ギツネな雪の精霊になりました~  作者: 三国司
第一部・はじめてのおるすばん

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暇を持て余した子ギツネの悲劇

 名前をつけてもらった。

 名付け親は、あの女性騎士ティーナさん。


 ここでの私の呼び名は『ミル』だ。ミルクのミルらしいけど、私の本当の名前であるミルフィリアと偶然にもかぶっていて驚いた。

 まだ言葉の話せない私は自己紹介も出来ないし、せっかく母上がつけてくれたものと違う名前で呼ばれるのも悲しいから、偶然にしたってミルと呼ばれるのは嬉しい。

 白いから『シロ』とか、小さいから『チビ』とか、安直にそんな名前にされなくてよかった。いや、ミルクのミルも安直っちゃ安直なんだけど。

 でも、チビなんてつけられたら、大きく成長してしまった時に何だか申し訳なくなるもんな。


 

 さて、人の増えてきた食堂を無事に抜け出し、私は隻眼の騎士の後を追って廊下を早足で歩いていた。

 狭い廊下で人とすれ違う時は、私はなるべく隻眼の騎士の足の陰に隠れた。知らない人に見られるのは緊張するから。

 前世ではそうでもなかったと思うんだけど、今世の私は人見知りだ。生まれてからずっと、母上としか接してこなかったせいかな。


 隻眼の騎士はここでは結構偉い人らしく、すれ違う騎士たち皆に挨拶されている。あと『副長』とか呼ばれてた。

 そういえば私、未だに隻眼の騎士の名前知らないな……。


 食堂から宿舎に戻り、隻眼の騎士の部屋に帰ってきた。隻眼の騎士は上着を着たりして、仕事に行く準備をしている。

 私は連れて行ってもらえるのかな。それとも留守番かな。

 そう思いながら、隻眼の騎士の一挙一動をじっと観察する。留守番はつまらないし、できれば一緒に連れて行ってほしい。


「昼には一度戻ってくる」


 期待を込めて見つめてみたけど、やっぱり駄目だった。隻眼の騎士は仕度を整えると、私を見下ろしてそう言ったのだ。

 留守番かぁ……。

 私の耳としっぽが分かりやすく垂れた。

 

「今日は午前中、部下と一緒に外へ見回りに出るんだ。お前は馬に乗れないだろう」


 拗ねる私に、隻眼の騎士が小さく笑う。

 馬くらい、私だって乗れる。抱き上げて背に乗せてくれたら、ちゃんとバランスをとってみせるよ。それに私、厩舎にいる馬たちとは結構仲良いんだから。

 でも私がいると仕事の邪魔になるだろうって事もよく分かってる。しょうがないから、大人しく留守番していよう。

 諦めて、籠の中に毛布が敷いてある自分のベッドに向かう。

 と、何故か隻眼の騎士がいそいそと追いかけてきた。


「昼には戻ってくるからな」


 そう言って私の頭を撫でる。

 それさっきも聞いたよ。

 その後たっぷり5分くらいワシワシと私を撫でた後、ちょっぴり名残惜しげに隻眼の騎士はお仕事へ向かったのだ。


「昼には戻ってくるからな」


 わかった、わかったって。もう聞いたよ。三回目だよ。

 昼までいい子で待ってるよ。



 隻眼の騎士が部屋を出た後、私はすぐにベッドにもぐり込んで眠った。不眠とは無縁な素晴らしいこの体。

 けれど昨夜もたっぷり睡眠はとったので、さすがに昼まで寝て過ごす事は出来なかった。

 1時間ほどで目が覚めて——時計がないので、この1時間は体感だけど——、その後は毛布の上で仰向けになってゴロゴロしてみたり、ベッドの籠の取っ手部分を噛んでみたりした、けど……

 

 暇だ。 

 超暇だ。


 せめて何か玩具でもあれば、一人遊びに興じられるんだけどな。隻眼の騎士のシンプルな部屋には、遊べそうな物がなーんにも無い。

 

 ベッドから出て窓から外を眺めてみる。だけど、小さな私の目線では空しか見えない。窓が少し高い位置にあるせいだ。

 早朝は晴れていたけど、今は分厚い雲が天を覆って絶え間なく雪を降らせている。ちょっと大きくて平べったいやつだ。

 

 ひらひら、ひらっ

 ひらり、ひらひら


 じっと雪を見ていたら、勝手にしっぽが揺れていた。規則性があるようでない、あの雪の落ちる動きを見てると、何かワクワクしてきちゃうんだよな。雨みたいにさぁっと降る粉雪はそれほどそそられないんだけど。


 しばらく窓から外を眺めて楽しんで、けど結局飽きて、次はどうしようと部屋を見回す。

 ちょっとした悪戯心で隻眼の騎士の大きなベッドに乗ってみる。足下がふかふかして楽しい。だけどベッドは隻眼の騎士の匂いがいっぱいで、それが少し恥ずかしくなりそそくさと降りた。何やってるんだ、私。


 次に目を付けたのは窓際にある文机だ。机の上には、広げられたままの書類と羽ペン、インク壷が見えた。それに古くて分厚い本が何冊か。

 そういえば私、この国の文字って読めるのかな?


 興味をかられ、私はまず椅子によじ登ろうとした。机に直接飛び乗れるほどの跳躍力はないから。

 両前足を椅子にかけて後ろ足二本で床に立つと、そこからぴょんぴょんと何度もジャンプを繰り返し、何とか上に乗ろうとする。

 が、なかなか上手くいかない。私の足の、弱っちい筋力め。


 次で決めてやる! と、渾身の力を込めてジャンプをする。そしてそれと同時に、前足の力でも体を支えた。

 上半身が椅子の上に乗り、あとは下半身だけ。空中で足をばたばたさせて、その勢いでよじ登る。気を抜くとすぐにズリ落ちそうだ。

 うぉぉ、頑張れ私の上腕二頭筋! 下半身を引っ張り上げるんだ!


 何とか椅子の登頂に成功した時には、軽い達成感を味わった。前足がプルプルする。

 その後、椅子から机の上に登るのは、床から椅子に上がるより段差が低くて簡単だった。

 机の上から見下ろす部屋の景色は何だか新鮮だ。視界が高くてテンションが上がる。


 さてと……と、机の上に積み上げられていた数冊の本に向き直った。背表紙の文字を読もうとするが、やはり意味が分からない。アルファベットを崩してもう少し複雑にしたような、そんな文字。前世でも見覚えが無い。

 やはりちゃんと勉強しないとだめか。なんかこう……精霊の力とかでパァっと読めたりしないだろうか。無理か、そうか。


 実際、話し言葉も私は最初から理解していた訳ではない。母上が話すのを聞きながら覚えていった感じかな。しかしそれでも人間の赤ん坊よりは学習能力が高かったと思う。それは私が精霊だからなのか、前世の記憶を持っているからなのかは分からないけど。


 目の前に積み重なっている一番上の本を、鼻先で器用に開いてみる。インクと、少し湿っぽい紙の匂いが広がった。

 綴られている細かい文字を目で追う。うん、わからん!

 もうちょっと大きくなったら、母上に文字を教えてもらおう。


 本を読む事を諦め、狭い机の上で私はくるりと体を反転させた。もう一度椅子に、そして床に降りようと思って。

 しかし歩を進めた途端、前足に小さくて固い何かがぶつかった。私に蹴り飛ばされるようなかたちで倒れたそれは、蓋が完全には締まっていなかったインク壷だった。


 言うまでもなく、インクというのは液体だ。粘り気もほとんどなく、さらさらしている。つまり私が倒してしまった瞬間、それはもう机の上に広がってしまっていた。止める暇などなかったのだ。

 そして言うまでもなく、インクは黒い。これ以上ないくらい黒い。


 真っ黒なそれが、大事そうな書類の上に広がっていく光景を、私は慌てるでもなく、ただじっと眺めていた。

 人間、緊急事態に陥ると逆に落ち着いてしまうものである。

 黒いインクが真っ白な書類や木の机に染みていくのを、「あぁ、どうしようかなぁ……」などと思いながら呑気に見つめる。脳がインクをぶちまけた事実を認めたがらない。

 

 広がるインクが本にまで到達しそうになったところで、やっと私の頭は働き出した。鼻でぐいぐいと本を押して、インクの脅威から遠ざけてやる。

 が、押し過ぎて机から落っことしてしまった。

 バサバサバサッと、派手な音を立てて床に本が散らばる。脳がまた活動を停止した。

 

 大丈夫、大丈夫だ。

 自分を励ましながら、恐る恐る机の上から下を覗き見る。飛び降りを強要された無惨な本たちの死体がそこにあった。ああ……。

 

 とりあえず、私も床へと降りた。机の上に広がってしまったインクはもう元には戻せない。それはもう仕方ない。

 だが、散らばった本を何とか整えるくらいの事は、肉球付きの前足を持つ私にもできるだろう。

 鼻先や口、前足を使って、私は本を一冊一冊、床に並べていった。開いたまま床に落ちたものも、きちんと閉じて置き直していく。

 と、その作業の途中でふと気づく。

 本が、インクで汚れている事に。


 おかしい。私は確かに彼らを机から落としてしまったが、真っ黒なあいつからは助けられたと思ったのに。

 この悲劇の原因を探り、私は恐ろしい事実に直面した。


 私の前足が……インクで真っ黒に染まっているではないか……。


 机の上でインクに足を浸していたことに、間抜けな私は気づいていなかったらしい。

 私はごくりとつばを呑んだ。心臓がバクバクと音を立てている。

 大丈夫、大丈夫。

 戦々恐々としながらも、そっと周囲を見回す。


 床と椅子。私が歩いたところには黒い肉球の足跡がいくつも残り、部屋を汚していた。

 机の上からはインクが滴り、現在進行形でぽたぽたと床にシミを作り続けている。


 ちょっとこれ……えーっと……。


 焦るな、焦るな。

 ここから挽回できないか、小さな脳みそを必死で働かせてみる。

 この世界にはティッシュという便利なものはなさそうだ。部屋には雑巾もない。あったとしても私の手では上手く扱えないし、黒いインクが完全に拭き取れる訳もない。ますます広がるだけだ。


「……」


 肉球からぶわっと冷や汗が吹き出た。


 どどどど、どうしようッ!!


 このままでは隻眼の騎士に怒られる! どうにかして、彼が帰ってくる前に原状回復させておかなければっ!

 いても立ってもいられず、その場でわたわたと足踏みを繰り返す。

 しかしそれによってさらに床が汚れていく事に気づき、慌てて静止する。むやみやたらに動かない方がいい。今の私の足は、インクの呪いを受けているのだ。これ以上被害を広げてはいけない。


 机の上でぶちまけられたインク。その浸食を受けて黒く染まった書類。そして椅子や床、散らばった本についた、いくつもの黒い肉球跡……。

 目を覆いたくなる惨状に途方に暮れ、私はただ立ちすくんだ。


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