克服(1)
ティーナさん、レッカさんが非番の日の午後、レッカさんの恐怖症克服のために、ウッドバウムも誘って私たちは食料庫の前に立っていた。
料理長さんには断りを入れてあるので、鍵も開けっ放しにしておいてくれている。
この食料庫はそんなに大きくないけど、だからこそ狭くてレッカさんには怖いかもしれない。
窓はなく、扉を開けておかないと中は真っ暗だ。
「レッカさん、大丈夫ですか? 怖ければいつでも言ってくださいね」
「うん、少し怖いが、挑戦してみたい」
レッカさんはぎゅっと拳を握った。表情は少し硬いが、やる気も見える。こんなに頑張っているレッカさんにご褒美をあげたくなるが、ジャーキーはいらないだろうな。
「じゃあ、ようせいは外でまっててね。……あ、こっちか」
淡い光しか放っていない妖精は日差しの中では見難くて、全く違う場所を見て話しかけてしまっていた。
「僕も外で待っていた方がいいかな?」
「いえ、是非ウッドバウム様も一緒に……迷惑でなければ」
レッカさんは、最初から一人で入るのは怖いようだ。なるべくみんなと一緒がいいようで、ウッドバウムにもそう頼む。
「もちろんいいよ。僕で力になれるなら」
「ありがとうございます。では……行きます」
先頭で入るのも怖いらしく、ティーナさんの後ろに続いて食料庫に入った。レッカさんの一番大きなトラウマは誘拐された時に木箱に入れられた事だけど、北の砦に来る前には倉庫に閉じ込められそうになった事もあるから、その時の恐怖も思い出してしまうのだろう。夜の自室や狭い砦の通路より、こういう倉庫の方がレッカさんには恐ろしく見えているのかも。
ティーナさん、レッカさん、そして私とウッドバウムという順番で食料庫の中に入っていく。出入り口の木の扉は、まだ大きく開けたままだ。
中は手狭で、床や棚には野菜や果物、穀物、それにチーズやお酒なんかが雑然と置かれてる。地下の方にもたくさん食料が備蓄されているみたいだけど、ここにある分だけでも砦は何日か持ちそうだ。
「レッカさん、どう?」
私はレッカさんの前に回って、顔を見上げる。
「今は平気です。扉も開いているので」
声も表情も冷静だった。嘘はついていないみたいだ。
しかし、その瞬間――
一瞬突風が吹いたかと思うと、バンと大きな音が鳴って、それと同時に視界は真っ暗になった。
全員がビクッと肩を揺らす。
どうやら風に押されて扉が勢いよく閉まってしまったみたい。
「び、びっくりした」
黒い画用紙に白い色鉛筆で線を描いたように、扉のアーチ型に合わせて外の光が細く漏れているけれど、あれくらいじゃ扉近くの床すら照らしてもらえない。
まだ目が暗闇に慣れていない事もあって、すぐ近くにいるはずのティーナさんやレッカさん、ウッドバウムの姿も確認できなかった。
「みんな大丈夫? レッカさん、平気ですか?」
暗闇の中、周りに誰もいないような気分になったので、ティーナさんの声に安心する。
「レッカさん?」
ティーナさんが心配そうに言った。突然の出来事に、レッカさんの呼吸の音が短く浅くなってきていたからだ。
「レッカさん、出ようよ」
「最初だし、無理する事ないですよ。扉を開けてきますね」
「い、いや、まだ大丈夫だ。だがちょっと、精神統一のためにスクワットを……」
そう言って、レッカさんがその場でスクワットを始めた時だった。
チュ、チュッ、と、私の足元から小さな音が聞こえてきた。
何の音だろう? と、私は耳を澄まし、真っ暗で何も見えないけれど、自分の足下を見る。
「チュッチュッ」
何かの鳴き声にも聞こえる。それに他には、床を歩き回る小さな足音も。
というか、これはもしや――
謎の音の正体に気づいた瞬間、私の頭に走馬灯のような映像が流れ始めた。
談話室の壁の穴。ソファーで昼寝をしている私の姿。そしてその私の後ろ足に近づく小さな敵。
その映像が途切れると、再び足下で「チュッ」と鳴き声が響き、私は恐怖の悲鳴を上げていた。
「ぎゃああぁぁー!? ねずっねずみっ、ねずみがわしたのあすにっ」
ネズミが私の足に、と言いたかったのだが口が回らず、訛りの強い田舎のおばあちゃんみたいになってしまった。
このネズミが談話室に現れたネズミなのかは判断のしようがないが、もし一緒のネズミなら再び私の肉球が狙われるかもしれないのだ。
肉球は敏感なのに、かじられたらと思うとゾッと背中の毛が逆立つ。
一方、私の叫びを聞いたティーナさんは、その中からしっかりとネズミという単語を聞き取ったようで、私と同じように大きな悲鳴を上げた。
「え、ネズミ!? いやぁぁー!」
「な、何何何っ!?」
そしてウッドバウムは私たち二人の声に驚いて飛び上がったようだった。近くの棚に角が当たったのか、食材が大きな音を立てて崩れ落ち、それに自分でまた驚いている。
「わぁぁぁ! 何か落ちた! 何か落ちたよごめん!」
パカパカ蹄を鳴らしながら慌てている。驚きながら謝るなんて器用だ。
しかしウッドバウムのお陰でふと冷静になれば、ネズミの鳴き声も足音ももう聞こえなくなっていた。
悲鳴や物音に驚いて隅の方へ逃げていったのかも。
よかったと息を吐き、みんなに言う。
「ごめん、びっくりさせて。ネズミ、もういなくなったみたい」
「レ、レッカさんの事もあるし、一旦出ようか」
ネズミにビクビクと怯えながらティーナさんが言い、暗闇の中を扉の方へ歩いていく。目が慣れてきたのか、キツネだからか、私はうっすらとみんなのシルエットを確認できるようになっていた。
「レッカさん、だいじょうぶ?」
「はい……。あの、でもやっぱり、そろそろ出ようかと思います」
「うん、ムリしないで」
今、ティーナさんが扉を開けてくれるからね。ティーナさんが……
「ティーナさん?」
いつまで経っても扉が開かないので、私は振り返ってそう声をかけた。
「待って、なんだか変なの」
「へんって?」
「取っ手が無いし、扉がぼこぼこしてて……何だろう、これ」
困惑しながら言う。確かに、扉の輪郭に沿って漏れていた外の光も消えているようだ。
どうなっているのかと私も扉の方へ近づくと、その手前でボコっと盛り上がった何かを踏んでしまった。硬くて、ざらざらしている。
けれど、匂いを嗅いでみれば正体はすぐに分かった。
「木だ」
しかも真っ直ぐに伸びる木ではなく、うねった太い蔓のようだった。木製の扉から根のように生えたそれが、床や壁、天井へと張りついて扉の開閉を不可能にしているのだ。
私は少し前の談話室での出来事を思い出した。ウッドバウムにネズミの穴を塞いでもらった時、彼はこんな木の蔓をあちこちから生やしていなかっただろうか。
「ウッドバーム?」
ウッドバウムの黒いシルエットに向かって言った。彼はもじもじして二度蹄を鳴らした後、申し訳なさそうな声を出す。
「……ご、ごめん、びっくりして力を使っちゃったみたいだ」
食料庫の中が、しんと静まり返った。
レッカさんは彫像みたいに固まっている。
「ま、待って。全力で押せば開くかも」
ティーナさんは懸命に扉を押し始めたが、ガタガタと揺れる事すらなかった。蔓が扉を完璧に食料庫と一体化させている。
私も必死で蔓を噛んでみたけど、少しの傷をつける事ができただけで全く歯がたたない。
と、その時。
「出られない……」
ぼそりと呟かれた言葉に、全員がレッカさんを振り返った。
「出られない、密室……閉ざされた、真っ暗な……空間……」
レッカさんの独り言はぶつぶつと止まらない。これはやばいと、ティーナさんも私も扉から一旦離れてレッカさんのもとに戻った。
「レッカさん、気を確かに!」
「そうだ、すくわっとしてみたら? ね?」
二人であわあわしながらレッカさんに声をかけ続ける。
移動術で隻眼の騎士のところへ行って助けを呼ぼうかな。でもそれでも、外から扉を壊してもらうまでレッカさんは中に閉じ込められ続ける事になる。
レッカさんと一緒に移動術を使えたらいいけど、今まで精霊としか一緒に飛んだ事はないから人間を連れて行けるのかは分からないし、もし失敗してレッカさんの体がどうにかなっちゃったら怖い。
頭の中で色々考えを巡らせていた次の瞬間――ドンと低い音が鳴って、食料庫の扉が揺れた。
ウッドバウムが角を扉に向けて、突進していたのだ。




