無機物恋愛
短編です。一話のみ。
多くの人間は恋、恋愛というものを論理的に説明できない。
だから、僕がしたのはそういう恋だと思う。
僕の恋は三日前のある出来事から始まった。
その日はいつものように仕事があり、そのあとにはいつものように残業が待っていた。
いつもなら残業を終えるとそのまま帰路につくのだが、その日は違った。
残業を終えた僕は黄ばんだ車をガソリンスタンドへと走らせた。灯油を買う為である。
ガソリンスタンドに着くと、持ってきたポリタンクを出てきた店員に差し出し、二十リットルの給油をお願いした。
深夜なのに店員の作業は素早かった。きっとこの人はしっかりと目標を持って生きているんだろう。
そんなことを考えていると、作業を終えた店員が話しかけてきた。
「どちらに積みますか?」
僕は後ろにお願いします、と言うと店員はバックドアを開けポリタンクを積んでくれた。
店員の仕事に僕はお礼を言い、お金を払ってガソリンスタンドを後にした。
十分ほど車を走らせると僕が住んでいるアパートへと着いた。
何度もギアを入れ替えて車の駐車位置に満足した僕は車を降り、車の荷物室からポリタンクを取り出し、錆びついた階段を乾いた足音と共に上っていった。
部屋の鍵を開けて中に入ると、仕事に行く前と何も変わらない景色が僕の帰りを待っていた。
僕はため息を吐き、結局最期までつまらない人生だったな、と改めて思った。
そう、僕はこれから自殺するのだ。
理由はつまらないから、ただそれだけである。しかし、僕には死ぬ理由としては十分だと感じていた。
僕にはこれからこのつまらない人生を変えていく自信も気力もない。それならば死んで死後の世界に期待するほうが良いと思ったからである。
もちろん死後の世界があるのかも、生まれ変わるのかも、ただ暗闇が待っているのかも、はたまた人類の想像を超越した何かが待っているのかも分からないが、それでもこの世界で生き続けるよりはずっとマシだ。
僕は自分をそう納得させ、部屋中に散りばめた洋服など燃えやすいものに買ってきた灯油をまんべんなくかけた。
どうせなら最期に恋愛ってものをしてみたかったな、人生で一度も恋をすることができなかった僕はそんなことを思いながらマッチに火を点け、灯油をたっぷりと含んだ洋服へと投げ込んだ。
僕は最期は人生で付き合いの一番長かったベッドで迎えることにした。ベッドに横になると、もうほとんど部屋を覆いつくしている炎へと目をやった。
これが僕を包んで死へと導いてくれるのか。そう考えると死への恐怖がうっすらと湧いてきた。
火が近づいてきた。熱い。溶けそうだ。痛い。熱い。怖い。痛い。
僕はベットにうずくまると、身体はすでに熱くなっているのにベッドから感じたことの無い微かな温もりを感じた。
これは温度とか気温などの温もりではない。自分は瞬時にそう理解した。
そうだ、聞いたことがある。恋愛というのは、心があったかくなるものだと。
心があったかくなる。まさにそれは今だ。僕は完全に理解した。
これが、恋か。
僕はいま、もうすぐ死ぬだろうという状況でベッドに恋をしている。もしかしたらこの二十数年という長い年月の間、ベッドは毎日僕に語りかけてくれていたのではないだろうか。なんと言っていたかはもちろんわからない。しかし、恋というものを理解した今ならわかる。いまベッドはこう言っている気がする。
「がんばったね。でも、もうがんばらなくていいんだよ。おつかれさま。」
僕は温もりを与えてくれたベッドに感謝した。それと同時に、今までベッドの言葉に気付くことができなかったことを悔い、泣きながら何度も謝罪した。
「ごめん。ごめんね。ごめんね。気づいてあげられなくて。でも、ありがとう。愛してる。」
もう死への恐怖はなくなっていた。なんていったって、僕はベッドという恋人がいるのだから。
次の日、僕のアパートは消防車やらパトカーやら警察官やらで賑わっていた。お目当てはもちろん僕だろう。
帰ってきたアパートの住人が迷惑なことに早くに通報したものだから僕の身体は完全には焼けていなかった。
何人もの警察官が現場を調べるため、僕の部屋へと入って来た。
そして、決まって聞こえてくるのはこの会話だ。
「ちょうど、顔だけ焼けていませんね」
「ああ、しかもこいつの顔・・・」
「笑ってるぞ」
ある日ふと思い立って書きました。